より良き明日の為に

人類の英知と勇気を結集して世界連邦実現へ一日も早く

敵基地攻撃能力保有の危険性

2020-10-18 19:42:00 | より良き我国のために

 米国内の銃撃事件は一向に無くなりません。民間にある銃の数が人口を上回り、殆どの国民が銃を保持出来る社会ではどうしても正当防衛を理由にした殺人が多くなります。2014年から18年までの米国における正当防衛を理由にした銃撃事件は年平均1,782件です。これには警官によるものは含んでいません。相手が銃を持っていると思えば例えそれがオモチャであろうと水鉄砲であろうと、はたまたポケットの中で指を立てているだけであろうと、相手より少しでも早く引き金を引こうとしてしまうのです。そして正当防衛を主張します。「本物の銃に見えた」とか「銃を向けられた」と言い訳するのです。一方日本のような銃規制社会では正当防衛を理由にした銃撃事件は略ゼロです。私たちは普段、撃たれる危険を感じずに生活しています。

 安倍前総理は退陣表明後の9月11日、敵国のミサイル攻撃を防ぐため「迎撃能力」を上回る対策を検討し、与党と協議して年内に結論をまとめると発表しました。これは敵基地攻撃能力(ミサイル)保有を目指すということで、米国トランプ政権の意向にも沿うことでしょう。ここで「迎撃能力」とは海上自衛隊が持つイージス艦や陸上自衛隊が持とうとして断念したイージスアショアです。何れも敵国から飛んで来るミサイルを打ち落とすもので、言わば「盾」の役割です。これまで我が国は憲法9条の制約のもと、「盾」の武器しか持たず、「矛」の武器は米軍に依存していたのです。しかし今後「矛」である敵基地攻撃能力を持てば話は全く違ってきます。こちらは相手のミサイル基地だけを叩くつもりでいても相手はそうとばかりは受け取りません。直前に照準をずらして首都の要衝を狙われる危険性を考えないはずはありません。例えミサイル基地だけを爆破されるだけでも相手にとっては被害甚大であり、当然その前にこちらのミサイル基地を爆破して来ることでしょう。つまり上記米国内での正当防衛による銃撃と似たような事になるのです。

 1945年の敗戦以降我が国は憲法9条の精神のもと専守防衛に徹し、その為の武器しか持ちませんでした。その結果他国も我が国に対しては「正当防衛」という言いがかりすら成り立たず、一度の戦火も無く、戦争で誰一人として殺しも殺されもせずに来れたのです。しかし安倍政権ではその精神が一変しました。2013年には米国との間の軍事機密を守る必要性のために特定機密保護法を強行採決しました。14年には憲法9条の解釈を変更して限定的な集団的自衛権行使容認を強行採決しました。15年にはその集団的自衛権行使を裏付ける安全保障関連法(戦争法)を強行採決しました。17年には「21世紀の治安維持法」とも言われる共謀罪法を強行採決しました。これらは全て国会において野党の意見を無視した強行採決でした。こうして憲法9条を一文字も変えずに自衛隊が米軍をサポートし、その手足となって戦う事が出来るように変えてしまったのです。

 一方で自衛隊の装備面では18年にヘリコプター搭載型護衛艦を攻撃型艦載機搭載も可能にすべく改修すると決定しました。これはこれまで「盾」だった物を「矛」にもなり得る物に変えることです。そしてこの度、敵基地攻撃能力(ミサイル)保有を目指すとなれば、世界の我が国を見る目は一変することでしょう。日米安保条約に基づき米軍の「矛」に守られつつも9条を含む憲法を掲げて「盾」のみを持つ平和主義国家ではなく、米国の手先となって「矛」をも持つ国となります。例え憲法9条は変わらないとしても世界は最早その平和主義を信じることはないでしょう。かくして国内の米軍基地はもとより自衛隊基地をも他国から狙われる危険性が出てきます。命を落とす米兵や自衛隊員も出ることでしょう。或いは基地周辺の住民にも被害が及ぶかも知れません。逆に当方のミサイルで相手国の兵や住民の命を奪うこともあり得ます。かくして自衛隊員のなり手が不足して徴兵制が敷かれる事態も考えられるのです。

 それはもうあの第二次世界大戦下の我が国の姿とあまり変わらないのではないですか。また同じ愚を繰り返すのはやめませんか。私たちは国連を急いで改革・強化すべきではないでしょうか。そして世界を米国のような銃蔓延社会から我が国のような銃規制社会に変えるのです。世界各国は武装解除し、唯一の実力組織は国連軍と世界警察になります。そうすれば全ての紛争は話し合いで解決出来るでしょう。勿論日米安保条約も北大西洋条約機構も不要になります。そうなって初めて世界を我が国の憲法の平和主義が想定した社会に変えることが出来るのです。