皆さんは「朝三暮四」という中国の故事をご存知でしょうか。中国宋の狙公が猿を飼っていて、その猿たちに栃の実を朝三つ晩四つ与えると言ったら猿たちは怒ったが、朝四つ晩三つにすると言ったら喜んだという故事です。目先の利にとらわれて、結局は同じ結果であることを理解しないことの例えです。この話は朝から晩までで完結しますが、私は幾つもの世代を超えるレンジの長い話として考えてみます。
10月末の衆院選挙では与野党問わず公約は大盤振る舞いでした。消費税減税や現金給付などです。財源は全て赤字国債ですから子や孫に借金を背負わせることになります。しかしコロナ禍のパンデミック下で収入が途絶え、死を選ぶ人が増えている中ではやむを得ない施策と言えます。世界各国も同様に国債を発行して国民の命と生活を守ろうとしています。
問題はパンデミック以前2019年の政府総債務残高(対国内総生産(GDP)比)で日本は世界最悪の235%、先進7か国(G7)ではイタリア135%、アメリカ108%、フランス98%、カナダ87%、イギリス85%、ドイツ59%です。日本のこの惨状の原因は何でしょうか。日本は財政法第4条で「国の歳出は、公債又は借入金以外の歳入を以て、その財源としなければならない」つまり借金財政不可としています。しかし1975年大平蔵相は赤字国債を発行しました。「万死に値する」とはその際の大平氏の言葉です。その懸念は当たり、その後ほぼ毎年度赤字国債の発行が続いて今日の巨額借金に成長したのです。その間にこの度のコロナ禍の様な非常時が続いたならまだしも、十年前に東日本大震災があっただけの平常時が続く中で漫然と積み上げた借金でした。
国民が選挙で政権を選ぶ民主主義国家では、選挙を前にした政党は競って有権者の耳に心地よい政策を掲げます。例えば安倍内閣の2度にわたる消費税増税延期がそれです。逆に政府は有権者が反発する政策は選挙後に持ってきます。例えば憲法9条を解釈改憲した安倍内閣の安全保障法強行採決がそれです。
財政法4条を守らず、借金を膨らませる政権を漫然と選び続ける日本の有権者は「狙公の猿」と似ていませんか。自分たちが稼ぎだす以上の浪費生活を謳歌して栃の実4つを食べ続け、その返済の為に3つしか食べられなくなる子孫のことは考えないのです。
最近は現代貨幣理論(MMT)を唱える人がいます。インフレにならない限り、自国通貨での国債発行を続けても国家破綻しない、という考えです。著名な経済学者や政治リーダーでこの理論に与する人は見当たりませんが、コロナ禍以前の我が国の財政政策はまさにMMTそのものです。
このところ米国などの先進国がコロナ禍を脱して経済が上向き、インフレになって量的緩和の収束と利上げを見据えています。その結果日本の金利が相対的に下がり、円安を招いています。現在の日本は円安のメリットよりも食糧や石油の輸入の際のデメリットが多いので物価高つまりインフレとなるでしょう。それは取りも直さずMMT理論の「インフレにならない限り」という前提が崩れることであって国家財政破綻に繋がるのです。
話は変わりますが、我が国の原子力発電政策にも有権者の「狙公の猿」ぶりが見られます。政府は原発が運転中に二酸化炭素(CO2)を出さないクリーンエネルギーだとして2030年での電源構成原発比率を20~22%とし、以後はゼロを目指すとしています。しかし原子燃料製造時と使用後の放射性廃棄物は10万年保管が必要です。その廃棄物は稼働すればする程増えて行きます。今を生きる有権者は比較的安い(と政府が言う)原発エネルギーを使えます。つまり栃の実4つです。以後10万年に至るまでの子々孫々は原発エネルギーを使えず、我々が残した放射性廃棄物の管理だけを続けます。つまり栃の実3つです。
福島第一原発事故を引き起こしても尚原発に依存する現政権を選ぶ我が国の有権者は「狙公の猿」度が高いのです。一方ドイツは日本の原発事故を見て脱原発を選びました。来年には残った最後の原発も停止します。「狙公の猿」度は略ゼロと言えます。栃の実1つを半分に割って、今を生きる自分たちと子々孫々共に3つ半を公平に分けようとしているのです。
我が国の有権者の皆さん、「狙公の猿」から脱却しましょう。我々を「狙公の猿」と見くびって赤字国債を当て込んだ甘い話で票を集めようとする政党の顔を思い切りひっかいてやろうではありませんか。