拝啓、世界の路上から

ギター片手に世界を旅するミュージシャン&映画監督のブログ(現在の訪問国:104ヶ国)

ベルリンの壁(ベルリン/ドイツ)

2010-03-21 | 旅フォト(ドイツ)


かつての東西国境検問所の1つチェックポイント・チャーリー(現壁博物館前)に近い、Zimmer Strasse(ジマー通り)とWilhelm Strasse(ヴィルヘルム通り)が交差する場所あたりに現存するベルリンの壁です。


第二次世界大戦後ドイツが連合国(米・英・仏・ソ連)によって、東西に分割統治されたものの、首都であったベルリンは東ドイツ領内にも関わらず、東西による分割統治領(西側にとってベルリンは飛び地)となっていました。


その後東西のドイツは別国家となり、東ドイツは自国民の西側流出を防ぐ為(名目上は西側からの軍事的防御の為)、1961年に壁が築かれます。

これがいわゆるベルリンの壁で、全長155km、高さ最高4.1メートル(地下からの逃亡を防ぐため地下にも延びていた)の壁が、1989年までの約28年間、東西のベルリンを挟んで存在していました。


ベルリンの壁は実は2枚あり、その間は数十メートルの無人地帯となっており、壁を越える者がいないか、東ドイツ当局によって監視されていました。

この28年の間に壁を越えようとして東ドイツ当局によって192名の人々が射殺され、逮捕者が3000名以上、生きて西ベルリンに到達した人が5000名以上と言われています。



1989年に東欧諸国が革命によって次々と民主化され、同年5月にハンガリー政府がオーストリアとの国境を開放した為に、東ドイツからハンガリー、オーストリアを経由しての西側亡命が可能となり、東ドイツ国民が殺到した為、ベルリンの壁は殆ど意味を果たさなくなり、ライプツィヒ、東ベルリン、ドレスデン等の東ドイツ各地での民主化要求デモの活発化もあって、1989年11月9日についにベルリンの壁は崩壊しました。



第二次大戦後1つの民族・国家が2つに分断された悲劇の歴史。

今なお朝鮮半島の韓国・北朝鮮との間で、その悲劇の歴史は続いています。


そして1つ歴史の歯車が違えば、同大戦の敗戦国である日本も、同じように2つに分断されていたかもしれません。



旧国境検問所の1つ、チェックポイント・チャーリーの前にある壁博物館(Friedrichstr.43-45)に行くと、冷戦時のベルリンの様子や、境界となった建物の4階から飛び降りる子供の写真等、東から西へ亡命しようとした人々の写真が紹介されています。


ブランデンブルク門(ベルリン/ドイツ)

2010-03-20 | 旅フォト(ドイツ)

ベルリンのブランデンブルク門です。
高さ26メートル、長さ65メートルのこの門は、かつて城塞都市だったベルリンの18箇所の城門の1つで、現存する唯一のものです。

東西分裂時代は東ベルリン側に位置し、この城門の前を塞ぐ形で東西国境線となるベルリンの壁が築かれた為、門は通行止めになっていました。

1989年のベルリンの壁崩壊と東西ドイツ統一後は再びこの門の下を通行できるようになった為、現在はドイツ統一の象徴として世界中に知られています。

写真は昨年の地球一周旅で訪れた際のもので、この門の前でギター片手に歌いました。

その訪問の1ヶ月程前に、ベルリンの壁崩壊20周年を記念した大イベントがこの場所で行われ、欧州でも大きく報道されていましたが、東西の経済格差や心の壁をはじめとする多くの課題が20年たっても山積みのドイツで、この門は今も希望の象徴となっています。

デイラのアブラ乗り場(ドバイ/UAE)

2010-03-19 | 旅フォト(中東)


インド・パキスタン系やフィリピン系等の多くの労働者が住む町デイラ。

ドバイの人口の8割以上が外国人で、そのうちの大半がインド・パキスタン系の人々の為、デイラにいると、ここはインドか?と思う程、本当に多くのインド人、パキスタン人を見かけます。


そんなデイラとクリーク(運河)の対岸となるバール・ドバイ地区との間を結んでいるのが、アブラ(水上タクシー)です。


写真はデイラ地区のアブラ乗り場で、アブラは今も現地の人々の重要な「足」となっています。


ドバイは交通渋滞が酷く、通勤時間帯になると車がまったく動かなくなることも珍しくないですが、水上タクシーのアブラは渋滞知らず。

仕事場に向かう人達なのでしょうか、旧市街のバール・ドバイとデイラの両地区を結ぶクリークを、沢山の人を乗せたアブラが頻繁に行き来していました。

バージュ・ハリファ(ドバイ/UAE)

2010-03-17 | 旅フォト(中東)


ドバイの新しいシンボル、828メートルで現在世界一の高さを誇る、バージュ・ハリファ(Burj Khalifa)です。


自分が訪れた2009年12月はまだ建設中で、完成前まではバージュ・ドバイ(Burj Dubai/ドバイの塔の意味)の名前で知られていましたが、2010年1月の営業開始時に本タワーの完成に尽力したアブダビの首長の名前を冠して、バージュ・ハリファとなりました。


デイラ地区からローカルの循環バスで行こうとしたのですが、大きく見えてきたのでバスを降りてみたところ、歩けど歩けど近づかず、完成前ということもあって、結局この時は遠くから眺めるだけで諦めることに。
(完成前で行き方がよくわからなかったというのもありますが)


ドバイショックで揺れる砂漠の国に聳え立つ超高層タワーは、どことなく子供の頃読んだバベルの塔の伝説を思い起こさせますが(バベルの塔は現イラクのバビロニアの伝説ですが。このタワーは崩れ落ちないことを祈ります。汗)、バブルのはじけたドバイを立ち直す起爆剤となれるか、世界中が注目しています。

バージュ・アル・アラブ(ドバイ/UAE)

2010-03-16 | 旅フォト(中東)


ドバイのシンボルの1つ、バージュ・アル・アラブ(Burj al Arab)です。

1999年12月にオープンした高さ321mのドバイを代表する高級ホテルで、1部屋1泊最低10万円以上の7つ星ホテルと言われています。

ただ総じてドバイは、実際のクオリティと値段のバランスとの釣り合いがとれていないものが多いという印象(多くがバブル期に設定された低クオリティ高価格のもの)なので、その値段に見合った内容かどうかは疑問なのですが。

いかんせん値段が高すぎて試しに泊まってみることもできないので、自分には知るよしもありませんが、、、。


昨年の旅ではこのランドマークの前でも歌ったのですが、自分が泊まっていたのは1泊5千円程のインド・パキスタン系の労働者等が住むデイラ地区のホテルで、そこから片道150円ほどのローカルバスを使って往復しました。


ドバイはリゾートのイメージが強いですが、リゾートとは無縁な旅だったものの、人工的なハコモノに大金を使うより、こちらの旅の方が自分にはあっているのかも。

おそらく1泊10万円以上のホテルには生涯無縁かもしれません。(笑)

マンゴーづくしのデザート(タイ)

2010-03-15 | 世界の食

マンゴーアイス&マンゴープリン&フェッシュマンゴーのマンゴーづくしのデザートです。

激辛タイ料理の後は、タイの甘いマンゴー・スイーツがよくあいます。


写真のものは、Siam SquareのSoi3にあるマンゴースイーツ専門店、マンゴー・タンゴのもので、タイではちょっとお値段高めの100バーツ(約270円)ですが、東京やNYに出店しても流行りそうな高レベルのマンゴー・スイーツです。

パッタイ(タイ)

2010-03-14 | 世界の食


タイ風焼きそば、パッタイです。

焼きそばといっても麺はビーフン等と同じく、米から作った太麺で、唐辛子やもやし、卵、干しエビ、鶏肉、エビ、ピーナッツ、パクチー(コリアンダー)、ニラ等を入れ、マナオ(ライム)をギュッとしぼって食べます。


屋台などでもよく売られており、屋台のものは砂糖が入っていて甘い味付けが多いですが、レストラン等で食べるものは甘さ控えめで、どちらかというと少しピリ辛のパッタイだったりもします。


写真のものはThong Lo(トンロー)のSoi13のトンクルアンのもので、甘さ控えめの大きなエビ入りでした。

チューチー・クン(タイ)

2010-03-13 | 世界の食
大ぶりのエビにココナッツミルクをたっぷり使ったタイカレーをかけた料理です。

エビの殻をむくのがちょっと面倒ですが、プリップリのエビにスパイスが絶妙にマッチして激ウマです。

エビはお店によって油で揚げたり、炒め物にしたりと異なるようです。


写真はSiam Square Soi8のバーン・クン・メーのもので、こちらは大エビのピリ辛炒めという感じです。


トムヤムクン等タイ料理にはエビを使った料理が数多くありますが、タイのエビ料理の中では個人的にコレが1番です。

ガイ・ホー・バイトーイ(タイ)

2010-03-12 | 世界の食


複数の調味料(スパイス)で味付けした鶏肉をバイトーイ(パンダンリーフの葉)で包み揚げした料理です。

タイ料理といえば激辛料理のイメージですが、これはそれ程辛くないというか、甘辛といった感じで、個人的にはタイ料理の中で1、2を争う程大好きな一品です。