おはようございます。8月20日日曜日です。広島は晴れ、今日も暑くなりそうです。セミの鳴き声は黄金山麓へと移り、選挙の「最後の願い」ばりの熱心な鳴き声で、また土中の生活を7年以上も強いる遺伝子を残そうとカップル成立を目指しているようです。
イチジクがスーパーの店頭に並ぶようになりました。早速初物なので買い求めました。
さて、本日のお大師様の言葉です。
名やお金で得るもの
名声や財産では幸せは手に入らない
衆生の解脱せざるは、ただ名利を貪(むさぼ)るによる。 ( 『五部陀羅尼問答偈讃宗秘論』 空海 )
名利ばかり追えば幸せは逃げていく
「衆生が解脱できないのは、名利を貪っているからだ」---名声や利益を求めているうちは仏の世界には到達できない、つまり世俗の欲を捨てないうちは悟れないと空海は言っています。
「みょうり」とは名聞利養(みょうもんりよう)を略したことばで、名聞は名声が世間に広がること、利養とは利益を得て自らの身を肥やすこと。仏教では特にこれを戒めています。ちなみに、茶人・千利休は禅を学んだことでも知られますが、名は「名利ともに休す」(名も利益も求めない)ということばからつけられたともいいます。
空海のことばは、解脱(悟りを開くこと)という目的を離れても、「名利ばかり追い求めても決して幸せなんて手に入らない」という人生訓に通じています。
鎌倉時代末に書かれた吉田兼好の『徒然草』にもこうあります。
「名利に使はれて、閑かなる暇(いとま)なく、一生を苦しむことこそ愚かなれ」
名利ばかりを追い求めれば、名利に振り回され、心が休まるときはないのです。そんな愚かな生き方をするより、自分が本当に大切にしたいものを見つけてください。
(出典 生き方が変わる! 空海 黄金の言葉 宮下 真 著 名取 芳彦 監修 ナガオカ文庫 抜粋 )
FX取引にどっぷりとつかっている小生には、耳の痛い言葉です。
こんな時に、稼ぐことに成功し、豪勢に遊んでいた人物が、心の空虚さに、はたと気がついたといいます。お金があっても幸福感を感じない、むしろ心配の種が増えたといい、お金があれば幸福になれると思っていたが、それは間違いであったというのです。幸福とお金は関係ないとまで言い切っています。
せちがらい世間です。生きにくく、お金がなくても、行政は健康保険料を支払えと言ってきます。否が応でもお金のことを意識せざるを得ない環境があります。
かと思うと、個人の資産は、貯蓄されていて、ほとんど使われないといいます。特に60代以上の貯蓄率は高いといいます。この世代はほとんどお金を使わず、退蔵しているだけのようです。「何かあったとき、お金がないと心配だ」といいますが、なぜでしょうか。心配とは、病気であり、死のようです。そのための資金だといいます。
小生は長生きしようとは思わず、重病となったときは延命治療は受けないことにしており、家族にもその旨伝えています。病気になったときの治療も限定的なものとしています。これで致命傷となったときは、これが小生の寿命と考えるようにしています。本来体がもってる生きる力が寿命と思っています。
その間に、体にとっても良いことをしていきたいともいます。ダイエットもその一つです。余計なものはできるだけそぎ落としていき、必要サイズに整えていく活動を続けたいと思います。
本日のお大師様の言葉は耳に痛いことかもしれません。しかし、FXで稼いで、その稼ぎを何に使うかで、お金の意義が全く異なってきます。名利ではなく、何か社会還元できる仕組みにすれば、そこには我利我利亡者は存在しません。
ユダヤ教徒やキリスト教では、収入の1割を神のために喜捨しなさいと教えています。仏教ではお布施がありますが、もともとはお金ではなく、布切れでした。布を施すことから布施、お布施となったわけですが、いつしか布から手取り早いお金へと変化していき、現在に至っているようです。施した布はどこへ行っていたのかというと、僧侶の袈裟になっていたわけです。昔の僧侶の絵の中には、袈裟がつぎはぎの布でできているものがあります。これがお布施の本来の形です。
FXで稼いで、その利益を社会へ還元する、このシステムが自身で構築できることを今でも願ってその実現に努力している小生です。そのための意識改革やメンタル構築に勤めているところです。
先週のFX相場の動きは、終わってみれば、月曜日の始値と金曜日の引け値では近似値で、週足は上髭の長い「トンボ」状態。上値の重さが形になっている様子です。この形は、今週もまだ上値が重いことを示唆しているようです。
24.25日のジャクソンホール会議が終わるまでの短期投機筋の稼ぎ方を考えると、火曜日ころまでは上伸させ、その後再度下押しさせてきて、金曜日の会議終わりを待つという流れを作り、この会議から、何か今後の相場へのヒントをつかもうとするのではないかと想定しています。ECBドラギ総裁はグローバルな視点での講演となるようであり、FRBイエレン議長もそうなるようで、資産縮小や利上げタイミングなどについては発言はしないとまで伝わってきています。しかし、講演を離れて、ディスカッションの場では、それなりに現状分析が出てきますので、それを踏まえて何をどうするか考えてからの発言があるのではないかとも想定されていて、少し目が離せない状況のようです。
ここで、サプライズは出てこないという見方が大勢ですが、これを逆手に取れば、何もなければ、ポジティブサプライズが出てくるまでは下押ししていくという短期投機筋の取り組みも想定できます。
反転反発のきっかけを相場が待つようになって、初めて、メジャーの新規資金が入ってくるようになると思われます。そうなるのは9月19・20日のFOMCが契機となるのかもしれません。このころになれば、トレーダーたちも夏休みから相場へ戻ってきていることと思われます。この付近が年末相場への転換点になるのかもしれません。年末相場の動きとしては下値は108円付近、上根は115円付近までかもしれません。
本邦の機関投資家も短い夏休みを終えて、そろそろ相場に戻ってくる頃と思われます。
甲子園高校野球も、本日のゲームを終えれば、ベスト4が決まり、いよいよ佳境に入ってきます。そのような中で、プロ野球では、セパ両リーグともにリーグ優勝はそろそろ決まりそうな気配になってきたようです。
甲子園高校野球が終わるとさらに秋色が深まります。彼岸花の咲くころとなってきます。まだまだ残暑厳しい昨今ですが、この暑さに負けないようにして相場取引に頑張ります。
本日も訪問いただきありがとうございました。今週もよろしくお願いします。合掌
イチジクがスーパーの店頭に並ぶようになりました。早速初物なので買い求めました。
さて、本日のお大師様の言葉です。
名やお金で得るもの
名声や財産では幸せは手に入らない
衆生の解脱せざるは、ただ名利を貪(むさぼ)るによる。 ( 『五部陀羅尼問答偈讃宗秘論』 空海 )
名利ばかり追えば幸せは逃げていく
「衆生が解脱できないのは、名利を貪っているからだ」---名声や利益を求めているうちは仏の世界には到達できない、つまり世俗の欲を捨てないうちは悟れないと空海は言っています。
「みょうり」とは名聞利養(みょうもんりよう)を略したことばで、名聞は名声が世間に広がること、利養とは利益を得て自らの身を肥やすこと。仏教では特にこれを戒めています。ちなみに、茶人・千利休は禅を学んだことでも知られますが、名は「名利ともに休す」(名も利益も求めない)ということばからつけられたともいいます。
空海のことばは、解脱(悟りを開くこと)という目的を離れても、「名利ばかり追い求めても決して幸せなんて手に入らない」という人生訓に通じています。
鎌倉時代末に書かれた吉田兼好の『徒然草』にもこうあります。
「名利に使はれて、閑かなる暇(いとま)なく、一生を苦しむことこそ愚かなれ」
名利ばかりを追い求めれば、名利に振り回され、心が休まるときはないのです。そんな愚かな生き方をするより、自分が本当に大切にしたいものを見つけてください。
(出典 生き方が変わる! 空海 黄金の言葉 宮下 真 著 名取 芳彦 監修 ナガオカ文庫 抜粋 )
FX取引にどっぷりとつかっている小生には、耳の痛い言葉です。
こんな時に、稼ぐことに成功し、豪勢に遊んでいた人物が、心の空虚さに、はたと気がついたといいます。お金があっても幸福感を感じない、むしろ心配の種が増えたといい、お金があれば幸福になれると思っていたが、それは間違いであったというのです。幸福とお金は関係ないとまで言い切っています。
せちがらい世間です。生きにくく、お金がなくても、行政は健康保険料を支払えと言ってきます。否が応でもお金のことを意識せざるを得ない環境があります。
かと思うと、個人の資産は、貯蓄されていて、ほとんど使われないといいます。特に60代以上の貯蓄率は高いといいます。この世代はほとんどお金を使わず、退蔵しているだけのようです。「何かあったとき、お金がないと心配だ」といいますが、なぜでしょうか。心配とは、病気であり、死のようです。そのための資金だといいます。
小生は長生きしようとは思わず、重病となったときは延命治療は受けないことにしており、家族にもその旨伝えています。病気になったときの治療も限定的なものとしています。これで致命傷となったときは、これが小生の寿命と考えるようにしています。本来体がもってる生きる力が寿命と思っています。
その間に、体にとっても良いことをしていきたいともいます。ダイエットもその一つです。余計なものはできるだけそぎ落としていき、必要サイズに整えていく活動を続けたいと思います。
本日のお大師様の言葉は耳に痛いことかもしれません。しかし、FXで稼いで、その稼ぎを何に使うかで、お金の意義が全く異なってきます。名利ではなく、何か社会還元できる仕組みにすれば、そこには我利我利亡者は存在しません。
ユダヤ教徒やキリスト教では、収入の1割を神のために喜捨しなさいと教えています。仏教ではお布施がありますが、もともとはお金ではなく、布切れでした。布を施すことから布施、お布施となったわけですが、いつしか布から手取り早いお金へと変化していき、現在に至っているようです。施した布はどこへ行っていたのかというと、僧侶の袈裟になっていたわけです。昔の僧侶の絵の中には、袈裟がつぎはぎの布でできているものがあります。これがお布施の本来の形です。
FXで稼いで、その利益を社会へ還元する、このシステムが自身で構築できることを今でも願ってその実現に努力している小生です。そのための意識改革やメンタル構築に勤めているところです。
先週のFX相場の動きは、終わってみれば、月曜日の始値と金曜日の引け値では近似値で、週足は上髭の長い「トンボ」状態。上値の重さが形になっている様子です。この形は、今週もまだ上値が重いことを示唆しているようです。
24.25日のジャクソンホール会議が終わるまでの短期投機筋の稼ぎ方を考えると、火曜日ころまでは上伸させ、その後再度下押しさせてきて、金曜日の会議終わりを待つという流れを作り、この会議から、何か今後の相場へのヒントをつかもうとするのではないかと想定しています。ECBドラギ総裁はグローバルな視点での講演となるようであり、FRBイエレン議長もそうなるようで、資産縮小や利上げタイミングなどについては発言はしないとまで伝わってきています。しかし、講演を離れて、ディスカッションの場では、それなりに現状分析が出てきますので、それを踏まえて何をどうするか考えてからの発言があるのではないかとも想定されていて、少し目が離せない状況のようです。
ここで、サプライズは出てこないという見方が大勢ですが、これを逆手に取れば、何もなければ、ポジティブサプライズが出てくるまでは下押ししていくという短期投機筋の取り組みも想定できます。
反転反発のきっかけを相場が待つようになって、初めて、メジャーの新規資金が入ってくるようになると思われます。そうなるのは9月19・20日のFOMCが契機となるのかもしれません。このころになれば、トレーダーたちも夏休みから相場へ戻ってきていることと思われます。この付近が年末相場への転換点になるのかもしれません。年末相場の動きとしては下値は108円付近、上根は115円付近までかもしれません。
本邦の機関投資家も短い夏休みを終えて、そろそろ相場に戻ってくる頃と思われます。
甲子園高校野球も、本日のゲームを終えれば、ベスト4が決まり、いよいよ佳境に入ってきます。そのような中で、プロ野球では、セパ両リーグともにリーグ優勝はそろそろ決まりそうな気配になってきたようです。
甲子園高校野球が終わるとさらに秋色が深まります。彼岸花の咲くころとなってきます。まだまだ残暑厳しい昨今ですが、この暑さに負けないようにして相場取引に頑張ります。
本日も訪問いただきありがとうございました。今週もよろしくお願いします。合掌