1000ピース 熊本城-熊本 10-662エポック社このアイテムの詳細を見る |
「美の巨人たち:熊本城」 日本の建築スペシャルNo.1
熊本城を知らない日本人は少ない。築城主は加藤清正。
戦国大名にて、豊臣政権崩壊の過程でスポットを浴びた人物の一人である。
歴史は、各自の習得に任せるとして、番組では、その築城の思想に迫りながら、
悲しくも美しい日本の忠義の美を紹介する。
日本三大名城といわれる熊本城(銀杏城)・名古屋城(金鯱城)・大阪城。
98万平kmに及び広大な敷地。そこには、見せる城・権威の城ではなく、
実践を想定した城がある。
戦を想定した清正の数々の工夫はいったい何を目的とするのか。
長塀・武者返しの石垣・49櫓・石落とし・鉄串・暗がりの間・などなど。
さらに、本丸御殿に隠された昭君の間は清正の君主の間より遼に格式が高い。
だれの部屋であろうか。
既に、察しの良い方々は、ご理解されていると思います。豊臣秀頼です。
清正の関が原以降の行動から妻の実家である徳川家康と対立しても、
秀頼を守護しようと切羽詰まった気概すら感じさせます。
熊本城の別名である銀杏の木は、篭城戦に備えて食料確保を目的として
います。他にも、白塀に隠された干瓢、無数の井戸、暗がりの間など。
城を当時考えられる限りの知恵で武装した熊本城です。
清正流の忠義の形。
清正は九州の地で、天下を相手に秀頼を守護する戦を考えていたのか。
恐らく、滅びを覚悟しても、主義を貫く考えでいたのであろう。
日本の美とは、かくも「ものの哀れを感じさせる」美しさが似合う。
白と黒のコントラストをまとう熊本城はまさに、力の象徴であるとともに、
刹那さをも感じさせる。
夕暮れ時の熊本城と月夜に輝く熊本城が、特に美しい。
そして、時代は次の幕に差し掛かります。
清正の言による「この銀杏が天守と同じ高さになる頃、禍がこの城に
降りかかるだろう。」との予言どおり、西南戦争に巻き込まれます。
3倍の軍勢で押し寄せた西郷軍も、名城の守りを崩すことが出来ず、
拠点を確保できないまま、ターニングポイントを迎えます。
真実の是非はともかく、西郷は、「加藤清正に負けた」といったとか。
加藤清正といえば、「虎退治」で有名な武断派の大名。
この清正が築城の名手であることは驚かない。
しかし、本丸御殿などの描かれた数々の美術的なこしらえは、
高い教養を裏づける。
当時の大名は、戦と同時に文化的な素養を学習するバランスの取れた
国主であったようだ。
今の現代エリートもかくありたいものですね。
参照熊本城めぐりはいかが!:http://www.manyou-kumamoto.jp/castle/
熊本市広報http://www.manyou-kumamoto.jp/