建築家・前川國男の仕事生誕100年前川國男建築展実行委員会美術出版社このアイテムの詳細を見る |
「美の巨人たち:前川國男邸」
本日のテーマは、前川國男邸。建築家本人が戦時中とはいえ、
夫婦で住む家として建築した30坪の和風建築です。
切妻屋根・渋みのある板張りの概観・内部は4・5mの吹き抜け。
不要になった電柱の柱など興味は尽きない。
考えようによっては、今のマンションの間取りを思わずには
いられない。
非常に合理的であり、動線を意識したつくり。
前川國男とはいかなる人物であるのか。
建築関係に暗いわが身は、番組で紹介されるまで、知りません
でした。
実は、彼の建築物を長年見てきたのですが。(笑)
東京文化会館・京都会館・国会図書館・埼玉会館・熊本県立
博物館・埼玉県立博物館・東京都美術館・慶応病院・紀伊国屋本店
日本相互銀行本店など。
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東大卒業後、単身シベリア経由で渡仏し、ル・コルビュジェの弟子
となった。2年間にわたる師事をとおし、近代建築の真髄を受け継ぐ。
コルビュジュのDNAが随所に生かされた前川國男邸をぜひ、ご覧
ください。
場所は、移築されて、現在小金井市江戸東京たてもの園にその姿を
見ることが出来ます。
ル・コルビュジュに師事を受け、帰国後、戦争という時のめぐり
合わせに前川の開花は少々遅れる。
戦後、復興という側面で、自らを売り出した。
上野公園にある国立博物館の建築コンペで物議をかもし出す。
従来日本で取られた方法を無視し、自由発想したコンペはコンペ
出終わらず、上野公園の造園まで勝手に描いていた。
これは彼の人となりを現すエピソードであろう。
与えられた平面図を元に描く従来の建築など・・・クソ喰らえ!
だったのでしょう。(笑)
30歳で独立後、昭和17年に「前川國男邸」を建築、資材統制の
時代であり、建築坪制限の中、生み出されました。
実は、この家を最初に見たときに、私は驚きました。
なぜか?
我が家の奥(妻)が、老後に住みたい小さな家という設計図を手書きで描いた
図面と非常に似ていたからです。
奥は前川邸をしりません。
しかし、描いたものが、ロフトも吹き抜けも、大きなLDも、
両脇に抱えたダイニングやトイレも似ています。
同時に、LDから庭への動線もしかりです。
違うのは、庭園が日本式か洋式かの違いぐらいです。
どうやら、何十年をつぎ込んだ主婦感覚がすでに、前川國男には、
見えていたようです。
動線の魔術師!
一筆書きで人の動きを考えた建築であるとの評でしたが、
みなさん、ぜひ、前川建築物を訪ねて、その動線と描き出す
風景(視線)を確認してみてください。
芋太郎は、近くの上野公園と浦和の建物で確認しました。(笑)