母の味、家庭の味はどこに!
副題:お弁当のすすめ
お弁当をどう思うか
多くの子供や男性は、恐らく「めんどくさい」というだろう。
通勤にお弁当持参は結構かさばる。
実に、重たいお弁当です。
ずっしりと重たいお弁当がキーワード・・・1 です。
次に、お弁当というと、「どうも照れくさい」という男性は多い。
「愛妻弁当ですね。」と必ず声がかかるだろう。
まんざらではないのだが、いちいち答えるのも照れくさいという。
どうにも照れくさいお弁当がキーワード・・・2 です。
では、お弁当はマイナス要因だけかというと決してそうではない。
実は、この2つのキーワード自体がプラス要因にそのまま転嫁する。
1、 重たいとは、心に重たいとう意味もある。
まさに愛情弁当である。
最近の主婦は、子供の弁当を作らない。
給食だから・・・ではなさそうです。
実は、遠足なども、弁当を作らない。
コンピニのおにぎりを持たせる人が多い。
「え」といわれる高齢のご婦人方もいるだろう。
そこには、「食事」=栄養を取るだけ、と錯覚している
姿が垣間見える。
食事が栄養補給に過ぎないと考えるのは、少し考えれば
違う側面が見えるだろう。
独り食事する「孤職」はまさに栄養補給という側面しかない。
食事には、皆で食べるとか、作り手に感謝して食べるとか、
別の側面があることを忘れている。
2、照れくさいというのは何も男性だけではない。
実は子供たちも、ある年齢になるとそう感じるようだ。
しかし、照れくさいとは、感謝している証の裏返しでもある。
手前味噌なことであるが、私の弁当遍歴からすれば、
まず思い出すのが、おかずが少ないお弁当。
小学生の頃は、社会全体が貧しかった。
日の丸弁当もいた。
それでも、皆、つくり手である母に感謝しながら食した。
中学生の頃は、弁当を温める道具があった。
暖めたら、お豆が不味くなった。
高校生の頃は、早弁して、昼前にはなくなっていた。
大学と独身時代は中断した。
結婚後、子供のお弁当とともに、私のお弁当も復活した。
サラリーマン初年生の頃は、外資の影もあり、
パンを公園で食する一方、
パワーランクと称して昼間から豪華に食するときもあった。
いつのまにか、またお弁当に戻っていた。
母の味から妻の味へ。
世代の交代があった。
弁当を通して、世代間の技術移転があった訳である。
しかし、最近は便利になりすぎて、技術が移転しない。
コンビニは着実に日本の文化を侵食している。
こと、食に関しても、弁当からコンビニ食や菓子パンに移転し、
そこに、愛情の欠けらも見られない。
寂しい家庭の縮図が見えるのは私だけであろうか。
弁当の中身はどうでもいい。
母や妻が食する人の健康や安全を祈りながらつくる弁当、
歌を明ければ、作ったものの思いが、今日もかおる。
美味しいにこしたことはないが、
不味くても一向に差支えがない。
胃袋に入れば同じです。
それよりも、幸福な時間に包まれることが嬉しい。
本当は世のかなの男性も子供たちもそう思っている。
しかし、そう口にしない。
手間を省くことで主婦に自由な時間を与えたいと思う
ご主人もいるだろう。
単なるテレかもしれない。
最近、家庭崩壊とか育児放棄や家族による虐待が新聞紙上で
盛んに報じられる。
原因は心の病であろう。
自らを思うことに専念し、他人を思うことを忘れている。
他人への行為が自らに戻るという簡明な事実を忘れている。
すれ違う人々の顔が、やたらに険しい。
中には怒った顔で歩いている人もいる。
これでは、人は近づかないし、自らに幸も訪れまい。
人の幸せというと大げさであるが、他人様のことを少し考える
それだけで、体中に幸せ感が宿る。
新設にした後の心地よさを思い出そう。
県下をした後の体の不調を思い出そう。
そして、身近な家族のことを考えることから始めよう。
他人様への心遣いは、そこから始まる。
笹川良一が昔宣伝していた言葉がある。
「一日一善」
いい言葉だ。
「一日一膳」でもありたい。
膳とは、昼なら弁当である。
朝のご膳は難しかろう。
夕方も家族バラバラの食事が多い時代だ。
せめて弁当で「膳」を取ろうではないか。
お弁当箱ご参照はこちら
家族をも追う一度考える小説はこちら
砂の王国 著者:萩原 浩 出版社:講談社
人生という名のジェットコースターになった主人公の波乱
人生。その最後の出直しの選択はどこに。
パンドラの箱の最後の1つが、なぜ希望なのか。
今一度、じっくり考えたいものだ。
副題:お弁当のすすめ
お弁当をどう思うか
多くの子供や男性は、恐らく「めんどくさい」というだろう。
通勤にお弁当持参は結構かさばる。
実に、重たいお弁当です。
ずっしりと重たいお弁当がキーワード・・・1 です。
次に、お弁当というと、「どうも照れくさい」という男性は多い。
「愛妻弁当ですね。」と必ず声がかかるだろう。
まんざらではないのだが、いちいち答えるのも照れくさいという。
どうにも照れくさいお弁当がキーワード・・・2 です。
では、お弁当はマイナス要因だけかというと決してそうではない。
実は、この2つのキーワード自体がプラス要因にそのまま転嫁する。
1、 重たいとは、心に重たいとう意味もある。
まさに愛情弁当である。
最近の主婦は、子供の弁当を作らない。
給食だから・・・ではなさそうです。
実は、遠足なども、弁当を作らない。
コンピニのおにぎりを持たせる人が多い。
「え」といわれる高齢のご婦人方もいるだろう。
そこには、「食事」=栄養を取るだけ、と錯覚している
姿が垣間見える。
食事が栄養補給に過ぎないと考えるのは、少し考えれば
違う側面が見えるだろう。
独り食事する「孤職」はまさに栄養補給という側面しかない。
食事には、皆で食べるとか、作り手に感謝して食べるとか、
別の側面があることを忘れている。
2、照れくさいというのは何も男性だけではない。
実は子供たちも、ある年齢になるとそう感じるようだ。
しかし、照れくさいとは、感謝している証の裏返しでもある。
手前味噌なことであるが、私の弁当遍歴からすれば、
まず思い出すのが、おかずが少ないお弁当。
小学生の頃は、社会全体が貧しかった。
日の丸弁当もいた。
それでも、皆、つくり手である母に感謝しながら食した。
中学生の頃は、弁当を温める道具があった。
暖めたら、お豆が不味くなった。
高校生の頃は、早弁して、昼前にはなくなっていた。
大学と独身時代は中断した。
結婚後、子供のお弁当とともに、私のお弁当も復活した。
サラリーマン初年生の頃は、外資の影もあり、
パンを公園で食する一方、
パワーランクと称して昼間から豪華に食するときもあった。
いつのまにか、またお弁当に戻っていた。
母の味から妻の味へ。
世代の交代があった。
弁当を通して、世代間の技術移転があった訳である。
しかし、最近は便利になりすぎて、技術が移転しない。
コンビニは着実に日本の文化を侵食している。
こと、食に関しても、弁当からコンビニ食や菓子パンに移転し、
そこに、愛情の欠けらも見られない。
寂しい家庭の縮図が見えるのは私だけであろうか。
弁当の中身はどうでもいい。
母や妻が食する人の健康や安全を祈りながらつくる弁当、
歌を明ければ、作ったものの思いが、今日もかおる。
美味しいにこしたことはないが、
不味くても一向に差支えがない。
胃袋に入れば同じです。
それよりも、幸福な時間に包まれることが嬉しい。
本当は世のかなの男性も子供たちもそう思っている。
しかし、そう口にしない。
手間を省くことで主婦に自由な時間を与えたいと思う
ご主人もいるだろう。
単なるテレかもしれない。
最近、家庭崩壊とか育児放棄や家族による虐待が新聞紙上で
盛んに報じられる。
原因は心の病であろう。
自らを思うことに専念し、他人を思うことを忘れている。
他人への行為が自らに戻るという簡明な事実を忘れている。
すれ違う人々の顔が、やたらに険しい。
中には怒った顔で歩いている人もいる。
これでは、人は近づかないし、自らに幸も訪れまい。
人の幸せというと大げさであるが、他人様のことを少し考える
それだけで、体中に幸せ感が宿る。
新設にした後の心地よさを思い出そう。
県下をした後の体の不調を思い出そう。
そして、身近な家族のことを考えることから始めよう。
他人様への心遣いは、そこから始まる。
笹川良一が昔宣伝していた言葉がある。
「一日一善」
いい言葉だ。
「一日一膳」でもありたい。
膳とは、昼なら弁当である。
朝のご膳は難しかろう。
夕方も家族バラバラの食事が多い時代だ。
せめて弁当で「膳」を取ろうではないか。
お弁当箱ご参照はこちら
![]() | THERMOS フレッシュランチボックス オレンジ DJB-900W OR |
クリエーター情報なし | |
サーモス(THERMOS) |
![]() | きかんしゃトーマス ランチボックスミニ (中子付) PM-1 |
クリエーター情報なし | |
オーエスケー |
家族をも追う一度考える小説はこちら
砂の王国 著者:萩原 浩 出版社:講談社
人生という名のジェットコースターになった主人公の波乱
人生。その最後の出直しの選択はどこに。
パンドラの箱の最後の1つが、なぜ希望なのか。
今一度、じっくり考えたいものだ。
![]() | 砂の王国(上) |
荻原 浩 | |
講談社 |