鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

国際交流業務(4回シリーズその1)

2013年02月15日 00時00分01秒 | 旅行

 古い話であるが、大学校を卒業して、5年目の秋であったが、本部の国際交流担当専門役から電話があり、青年技能労働者交流事業で、米国へ幹事補佐として行ってくれないかという内容であった。直ぐに返事をくれとの急いでいる様子であったが、子供が1歳に届かなかったので、ワイフと相談するので1日考えさせてくれと返事をした。翌日、詳しい話を聞くとともに、承諾する旨を伝えた。この事業は、昭和43年度(1968年)から日本と米国、および日本とドイツとの間で、青年技能労働者を双方で派遣し研修する制度である。筆者は制度が発足して6年目に行くことになった。昭和56年度に制度の対象者が変わり、企業内教育訓練担当者となったが、昭和60年(1985年)日本と米国との交流事業は中断した。ドイツとの間の交流は平成12年までの32年間に亘り継続していた。現在は事業としては廃止となったと聞いている。
 この事業の目的は、国際交流として、両国の職業訓練施設、企業における生産現場等の視察や、企業内教育訓練指導者、経営者、関係機関の関係者等との意見交換を通じて国際的な視野を広めるとともに、相互に相手国の教育訓練等の現状について、理解と認識を深めることにより、教育訓練の発展および、技能水準の向上に寄与することであった。毎年派遣と受け入れを行ってきた。

 派遣団の概要は、団長、幹事、幹事補佐と団員15名であった。団員は国内の企業に所属し、もちろん企業の推薦が必要で技能検定の1級を保持しているか、全国技能競技会の経験がある者であった。
 約1ヶ月間の研修旅行は、羽田空港からアンカレッジ経由、ニューヨークJFケネディ国際空港に到着。ニューヨーク・ワシントンに2週間滞在し、南回りと北回りに分かれ2週間後にサンフランシスコで合流する。合流後、ハワイ経由で羽田に帰国する長旅であった。米国内を11回、飛行機を乗り換え、市内はバスやタクシーに分乗して移動した。
以下、当時メモ書きを残していたので、手を加えずに掲載することにした。(次回へ続きます)