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近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

生と死(4回シリーズその1)

2013年02月20日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 生きている実感は、目覚めたときに、今日もがんばるぞと気合いを入れるときである。また、一日の活動が終わり、寝床に入るときである。明日の予定を確認し、目をつぶると睡眠にはいる。睡眠は、小さな死であると何かの本で読んだ記憶がある。夜中に、あり得ない夢を見て起き、再び寝ると、継続した夢を見ることがあり、目覚めて、現実ではないことにほっとしたりする。夢は日常経験する多くのことを睡眠中に、脳の中で整理しているようである。脳のすべては眠っていないのである。その証拠に寝ていても呼吸や体温は維持されている。
 夢を見ないときもあり、たぶん、夢を見ているのだが、目覚めたときに記憶から去ってしまうのかもしれない。では、小さな死が大きい死になれば、そのまま起きずに死の世界にはいることになる。普段はそのようなことを考えずに床につくが、同年代の死亡記事を見ると、年齢を経るに従い、他人事ではすまされず、余命を確認したくなる。果たして自分の余命はどれほどか、ロウソクの火があとどのくらい灯り続けてくれるのか、燃え尽きるそのときのことを想像することができない。自らに訪れる死を意識的に考えず、むしろ避けてきた。

 気休めに言ってくれる友人の話では、老衰による自然死は痛みを感じないはずだ。そのわけは、爪や、髪の毛と同じで、細胞が死んでいくからだそうだ。細胞の通常の死はアポトーシスといってプログラム化された細胞死のことで、約60回の細胞分裂後に死滅する。
 死んだ細胞はマクロファージによって食べられる。細胞分裂は生まれ変わる細胞と死滅する細胞がある。痛みはない。痛みは神経が行き渡っている部位に打撲や、切り傷等を受けると神経が脳に伝達し、脳の細胞が痛みを感じるので、脳が機能しなくなれば痛みはないという。また、アポトーシスという細胞は死滅細胞と呼ばれていて、オタマジャクシのしっぽが無くなり、蛙になるときや、おなかの中にいるときの赤ん坊の手足の指は、始めは繋がっているそうで、あるホルモンが作用するのであるが、スイッチが入ることでアポトーシスが働いて、指に分化する。この死滅細胞は、痛みを伴わないそうである。
 このことから分かるように、生きていることはすなわち、細胞が再生をしているからで、死滅する細胞と共存しているのである。再生が止まれば死であるが、正しくは脳死を死としている。 一方、ネクローシスという死滅細胞は、壊死を起こす細胞で、血行不良で酸素不足になり、細胞が死んでしまう。この場合は痛みを伴う。(次回へ続きます)