米国雑感「女性解放について」
数年前より白人女子集団から口に出されたウーマンリブについて少々ふれる。
ウーマンリブを唱えさけんでいるのは白人女子である。黒人女子が口にすることはあまり聞かない。なぜなら、黒人女子はすでに解放されているからである。ではどんな意味での解放か。おそらくそれは米国の奴隷制まで遡らなくてはならない。当時、白人家庭は通常、奴隷を持っていた。黒人男性は今でもそうであるが、オールド・ブラック・ジョーでもわかるように、白人にかいならされ骨抜きにされた。
しかし、黒人女性は白人男性の相手を務め、白人女性よりも影の力を持ったのであろう。混血が多いこともそれを示している。これがおそらく黒人女性のウーマンリブたらしめた原因なのであろう。つまり米国の社会が始まった時にすでに黒人女性のウーマンリブは経験済みなのである。
ウーマンリブをロにする女性はどことなく欲求不満な面があるようだ。骨抜きにされた黒人男性と亭主を寝取られた白人女性のカップルは、体制に対する抵抗のように見える。白人女子も黒人男子もお互い昔は、とうてい考えられなかった一線を犯すことによってお互い体制に反発し、それによって存在を認め、喜びを感じることにより、解放と同一視するのではないだろうか。この点ヒッピ一社会の考え方と同じような過程をふんでいるように思える。
翻って、我が国の状況は微妙である。女性の職場進出とともに、経済的に豊かになり、ウーマンリブのかけ声も薄れた感じがする。もっとも財布を握っているのは女性がほとんどなので、米国の状況とは全く異なっている。ほとんどの米国男性は財布を握り続けているとの話であった。(このシリーズ最終回です)