gooブログはじめました!

日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

白川英樹氏 2/2

2018-11-15 00:43:55 | 日本語文法


>■杉田玄白の「蘭学事始」が語るオランダ語翻訳の苦労
>――科学をはじめ多くの学問を母語でそのまま学べる国は、世界にそう多くありません。その点、日本人は恵まれていますね。
>白川 そうです。日本は古くから大陸の漢字文化を取り入れて昇華させ、万葉仮名を作り、漢字(表意文字)と、ひらがな・カタカナ(表音文字)を組み合わせた言語体系を作り上げました。

日本人が他国の文化の受け売りするためには、まず吸収が必要となりますね。国内には自分の頭を使う専門家はごく少なく、コメンテイタ・解説者などばかりが花盛りになります。根無し草の浮き草稼業か幅を利かせています。
日本語表記法である仮名漢字表記法は、どこの国でも通用しません。ですから、海外への発信には向いていません。海外から得られた知識は、もっぱら日本人向けの受け売りに使われています。
恵まれた日本人の境遇を広く世界の人々と共有するためには、非漢字圏の人々に対する日本語の普及が必要でしょうね。難解な仮名漢字表記法を廃してローマ字 (alphabet) 表記にすれば、たちどころに外国人に日本語の音読が可能になります。会話も可能になり、意見交換も活発になるでしょう。外国人研修・技能実習制度の成果も著しく改善するでしょう。
日本語を世界の第二言語にしましょう。世界に外国人の知日派を増やしましょう。日本の良さを共有させましょう。
受け売りを専門とする日本人は、外国人に信頼されていません。自己がないからです。民信なくんば立たず。‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’  (あるアメリカの国務長官)
漢人 (中国人) は、自分たちの考えを示すために漢字を発明しました。しかし、彼らは外国人の考えを示すために漢字を作ることはしなかった。だから、中国人は、外来思想の取入れには難渋しています。この短所により独善的な中華思想は治りません。

>それ以前の歴史記録と言えば、古事記の稗田阿礼のような人物が神話や伝説を口伝えで伝承するしかなかったのです。

そうですね。日本人は、文字のない民族でしたね。

>江戸時代には長崎に入って来る欧米の科学知識を懸命に日本語に翻訳しました。

そうですね。わが国は、今も昔も変わらない ‘受け売り文化’ の国ですね。忖度 (推察) による意訳も盛んですね。忖度は、話し手には責任のない、聞き手の勝手な解釈ですね。会話ができないと、独りよがりになりますね。

(略)
>■英語は大事だが、まず日本語をしっかり学んでほしい
>――最近は英語を使う機会が増え、政府も英語教育の早期化を進めています。2020年には「小学3年からの必修化」や、「小学5年からの教科化」を実施する方針です。>子どもたちへの英語教育については、どのようにお考えでしょうか。
>白川 確かにグローバル化はますます深化しており、世界共通語である英語をコミュニケーションの道具として学ぶのは当然のことだと思います。

そうですね。英語なしでは、日本人はノーベル賞にも手が届かないでしょうね。

>しかし、それは母語であり日本の公用語である日本語をしっかり身に付けた上でのこと。

そうですね。今ある日本人の経済力は、日本語のおかげですね。感謝・感激の毎日ですね。

>まず日本語でしっかり考え、理解し、それを的確に伝達できるようにする。

しかし、日本語には弱点もありますね。
現実の内容は、頭の外にある。これは、見ることができる。
非現実 (考え) の内容は、頭の中にある。これは、見ることができない。ただの話 (文章) である。理解が必要になる。
だが、日本人の判断によれば、目に見えるものは ‘本当’ の事、見えないものは ‘嘘’ になる。だから、只の話 (考え) は ‘嘘’ になる。
だから、日本人は、考えというものを突き詰めようとしない。それで、軽薄な人に見える。
矛盾を含まない全ての文章は、正しい考えを示している。だから、正解は一つではない。個人の数だけあることもある。矛盾を除去すれば、間違った考えは正しくなる。
全ての人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy. そうでなければ、我々は烏合の衆になる。

>日本語で論理的に説明できない人が、英語で論理的に説明できるはずがありません。

日本語は、ばらばらな単語により使われ、文章になっていないことが多いから、意味がないことが多い。意味も無ければ、矛盾もない。聞き手が忖度 (推察) により自分勝手に補足するから、議論に混乱が起こる。

>繰り返しますが、今や英語はコミュニケーション言語としてとても大事です。>学ばなくてよいということでは決してありません。>ただ、完璧な発音のバイリンガルになることを望むなら別ですが、大学生になってからでも、必要になった時点で真剣に学べば、1年もあれば何とかなるものです。

そうであるとありがたいですね。知的な英米人は、大学の上に大学院の教育を重ねています。

>科学者であれ、ビジネスマンであれ、日本語がしっかり身に付いている人のほうが、より一層核心に迫った理解ができるし、発想の自由度がより大きいと感じています。

日本語メンタリティ (考え方) では、’嘘・本当’ の世界を脱却することが難しいでしょうね。これが初歩的な難関でしょうね。

(略)



.

頑張り

2018-11-08 02:31:26 | 日本語文法



>■「人のがんばり」に頼るという悪循環

アメリカ人は日本人を見て、’ガンバって’ と声を掛けてニヤニヤしています。

>なにかとつけて「人」に解決策を求めてきたというのは宅配業界の価格が象徴している。>27年前の社会と今の社会で「価値」が激変しているというのに、クロネコヤマトの宅配料金は据え置きだった。>環境の変化を「人のがんばり」で補っていたのだ。>このような「昭和の宅急便」の「常識」や「ルール」をひきずっている人々が、先端技術で効率化をすることができるだろうか。>できるわけがない、と筆者は考える。

私も、同感です。

>例えば、ドローンを使って効率化をするにしても、「昭和の宅配便」のカルチャーのままならば、今度は単にドローン担当者たちが「ドローン操縦地獄」に陥るだけだ。>宅配ボックスを街中に完備したら再配達はなくなるかもしれないが、逆に早朝でも深夜でも配送ができるということで、「24時間宅配ボックスめぐり」を強いられるドライバーも現われるかもしれない。

人の一生は、重き荷を背負いて、遠き道を行くがごとし。

>誤解なきように断っておくが、決してこれらの効率化への取り組みを否定しているわけではない。>これまで何もしてこなかったわけではなく、むしろそれなりに効率化を目指してきてもこの現状だということを踏まえると、いくら画期的な対策をもってきても、宅配ビジネスそのものの考え方を改めない限りは、実効性の乏しいものとなり、結局のところ「人のがんばり」に落ち着きがちだ、ということが言いたいのだ。

そうですね。考える人になることが必要ですね。

>事実、こうしているいまも「人のがんばり」を求める声が出てきている。>宅配業界の効率化議論の中には、再配達を指定しない利用者はけしからんからモラルを上げろ、という声や、配達する人が不満タラタラだし、人手不足だからとにかく賃金を上げろという声も少なくない。>「人のがんばり」を信じてなにが悪い、みんなで力を合わせればどんな逆境も克服できるはずだ、と思う方もいるかもしれない。

タコつぼの中での頑張りですね。

>しかし、大きな変化を前にして自分たちの発想を変えることなく、「人のがんばり」で乗り越えようとしても、残念な結果しか生まないということは歴史が証明している。

そうですね。精神主義 (精神力の強度の集中・緊張によって物質力を支配し克服しようとする努力) はよくないですね。
<日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。
私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)

>■「人のがんばり」に依存した成長を止めにしないか
>かつて日本の航空技術は世界一と言われた。その結晶である零戦は他国の戦闘機の中で、別格の戦闘能力をもっていた。>しかし、この画期的な技術をもってして、効率良く戦うということはできなかった。>軍が戦局の悪化という「変化」に対応できず、これまでの「常識」や「ルール」に固執するあまり、効率化が機能せず「人のがんばり」で解決をするという最悪の戦い方に突入していく。>その象徴が零戦に片道分の燃料しか入れずに敵に突っ込む「神風特攻」だ。>日本人は真面目な性格なので、周りから「がんばれ」と言われると、一生懸命がんばる。>できないと、まだ甘えているからだと自分を責める。>そして、がんばった人は周囲にも自分と同じような「がんばり」を期待する。>これが強要になると、パワハラへとなっていく。

そうですね。日本人の常道である思考停止と恣意 (私意・我儘・身勝手) の活用では、物事は成就しませんね。
日本人には、意思 (will) がない。意思は、未来時制の文章内容であるが、日本語文法には時制 (tense) がないので、日本人には意思がない。だから、優柔不断・意志薄弱に見える。意思のあるところに、方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 日本人には仕方がないから、無為無策でいる。指導性が発揮できない。座して死を待つよりほかに方法はないのか。
このような状況の中で精神修養の必要性を認めるのは日本人だけなのであろうか。日本人には意思はないが、恣意はある。だから、これを活用することを思いつく。恣意を鍛えて意地・根性・大和魂とする。恣意鍛錬の手段として、武道を利用する。この励みにより動作は機敏な人間となるが、聡明な人間にはならない。

>「がんばり」を否定しているわけではない。>ただ、世の中にはそれだけでは解決できないものがあるのだ。>それを解決するために新しい技術がある。>それに機能させるためには、それに見合った新しい考え方やルールを受け入れる必要があるのだが、日本人はこのあたりがあまり得意ではない。

現実の内容は、頭の外にある。現実の内容は、見ることができる。
考え (非現実) の内容は、頭の中にある。考えの内容は、見ることができない。
日本人の考え方では、見ることができる内容は本当のことである。見ることのできない内容は、嘘である。だから、新しい考え方やルールは日本人にとっての嘘の内容ということになる。だから、日本人は、このあたりがあまり得意ではない。

>じゃあ、具体的にどんなも新しい考え方なのだ、と思うかもしれないが、部外者がああだこうだと言う前に、そこはさすがに当事者のみなさんたちはもう気付いている。>例えば、ヤマト運輸は佐川急便、日本郵便と首都圏の高層ビルなどで荷物を1社に集約して配る連携策を強化する方針を明らかにしている。>いずれは、高層マンションや一戸建てに広げていくという。>同じ空間を、さまざまな宅配便のドライバーたちが台車を押してかけ回っているというのは、「昭和の宅配便」からすれば、健全な競争だが、人口が減ってネット通販がこれだけ普及した時代になると、利用者にとってもドライバーにとっても効率の悪いこと極まりない。>宅配ドライバーのみなさんが大切な社会インフラだとすれば、その限りある資源をみんなで守りつつ、業界として取扱量を増やしていくとなると、おのずとこういう考え方になっていくのだろう。>つまり、ドローンだ、宅配ボックスだ、というさまざまな取り組みを機能させるためには、まずは「ヤマトの荷物を佐川のドライバーが運んでもいい」という新しい考え方を受け入れる必要があるのだ。

そうですね。日本人には、新しい考え方が必要ですね。さすればわが国にもGAFA (Google, Apple, Facebook, and Amazon.com) のような会社が設立されるでしょう。資源小国のわが国にとって、この分野での発展は魅力的ですね。

>もうそろそろ「人のがんばり」に依存した成長を止めにしないか。

そうですね。受験生の中にも ‘ ‘私の長所は、ただ粘り強いことだけです’ という人が少なくないですね。ただ今、わが国は人手不足で悩んでいます。だが、頭脳不足という話は聞いたことがない。日本人の働きは、人手に頼りすぎていますね。もっと頭脳に頼る仕事に切り替える必要があります。
考え (非現実) を大切にするには、非現実の内容を文章にする文法が必要ですね。文法に時制があれば、非現実の三世界 (過去・現在・未来) の内容を文章にすることが可能になります。時制は、英文法にあって、日本語文法にはありません。ですから、我々日本人は、日本語と英語の両方を学んで自己の考えを自由にする必要があります。このことがわが国の教育の大方針であるべきです。



.




 

 

主体性喪失の原理

2018-03-24 00:10:52 | 日本語文法
>個人主義社会では、自分の意志で、物事を判断していかなければ、生きていくことはできない。>ところが、主体性を喪失する事は、自分ではなにも判断できなくなることを意味する。>自分で決めなければならないのに、自分ではなにも決められない。>このような状況は、大変なストレスを生み出す。>解消のしようがないストレスは、やがて人格を破綻させ、精神に異常をきたす。

日本人には、意思 (will) が無い。意思は未来時制の文章内容であるが、日本語文法には時制 (tense) というものがない。だから、日本人には、意思が無い。優柔不断・意志薄弱に見える。意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 日本人には意思が無いので、仕方がない。だから、諦める。これが、日本人の主体性喪失の原理である。
全ての考えは文章になる。文章にならないものは、考えではない。矛盾を含まない全て文章は、正しい考えを示している。だから、正しい考えは一つではない。人の数ほどある。考えは、その人そのものを表している。全ての考えを保護することは、全ての個人を保護することになる。だから、これが個人主義の目的である。
日本人には意思は無いが、恣意 (self-will) がある。意思は文章になるが、恣意はならない。バラバラな単語のままである。文章にならないものには、意味が無い。矛盾も指摘できない。だから、議論にならない。話者の発する単語をもとに聞き手は忖度 (推察) を働かして目的を達しようとする。忖度は、聞き手の勝手な解釈であるから話者には責任が無い。それで、意思疎通、いや恣意疎通に関する問題が起こる。日本人の誇る以心伝心は、日本人が思い込んでいるほど便利なものではない。
忖度をさらに発展させるために、談合を開く。お互いに腹の探り合いをして、腹を括って決着する。リーズン (理性・理由・適当) の表明もなければ、リーズナブルな答えも明らかにはならない。ああ、空しい。
司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、単語でない文章の重要性を強調しています。
「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」


学歴信仰

2017-12-31 00:08:51 | 日本語文法
>日本の資本主義は、労働力の信用によって基礎付けられ、労働力の信用は、学校制度への忠誠と信用として根拠付けられてきた。

序列社会の我が国においては、学校は上意下達の精神を継承していますね。

>学校制度を支えたのは、学歴の価値に対する信仰であり、学歴信仰を根拠付けたのが、受験制度である。

日本語には、階称 (言葉遣い) というものがあります。階称を上手に使い分けるには、世俗の ’ものの上下’ を知る必要があります。ですから、学歴がその基準として通用するのであるならば、その上下を知る価値は大きいということになります。

>そして、受験制度が学生の価値を支配し、加えて日本人の価値観を深く支配してきた。

無哲学・能天気な日本人の価値は、実社会における有用性で決まりますからね。学歴は、我が国の位階制度の様なものか。。

>大学受験は落とすための試験である。

そうですね。入学志願者の選抜試験ですね。試験結果に差がつけば、それで用済みですね。

>誰もが大学を目指すようになると、試験を難しくして振るい落とすしかなくなる。

そうですね。民の向学心が旺盛になると、大変なことになりますね。

>大学受験を繰り返すごとに、入試問題は奇妙に難解さを増していく。

そうですね。大学側は、入学志願者の差を求めているのですから、内容よりも差を重視していますね。

>それに対応すべく、学校の勉強も、塾の補習も受験に照準を絞らざるを得なくなる。

そうですね。無意味なことが悪循環になっていますね。

>そして、受験にしか役に立たない知識の習得が学校での役割となっていく。

全ては、処世術の一環として存在していますね。浪人生活で遊ぶ、学生生活で遊ぶということになりますかね。勉強をする暇はありません。

>かくして、家庭も学校も塾も大学受験に成功することが最大課題とばかりに収束していく。

現実の困難を乗り切る方策で手一杯すね。非現実・教養・哲学が無い。

>その結果、大学ランキング、合格率の高い高校ランキングなど序列ができてくるが、卒業することに全く意味の無い大学は、当然のように実社会からは全く相手にされない。

縦社会においては序列判断が全てですね。それ以外の知識には価値が無い。学問 (哲学) が無い。

>全ては、受験制度という一点において、大きく狂っている。>受験制度によって作り出される学歴信仰も、空虚な幻想に過ぎない。

そうですね。学歴信仰は、空虚な序列信仰の一形態であり幻想です。序列社会に住む日本人には、どうしても序列の目安が必要です。それは、人を見損なってはいけないからです。日本人の礼儀作法は、序列作法になっています。 ’上とみるか・下とみるか’ の判断を誤ると、礼儀正しい日本人にはなれません。序列なきところに礼儀なし。ですから、日本人の上下判断は、強迫観念の域に達しています。これは入試地獄へと通じています。

>空虚な受験制度に振り回される子ども達の悲鳴はとうに限界に達している。

そうですね。限界に達していますね。時流に流されることなく理想を追求する指導者が我々には必要です。私は、日本語の階称 (言葉遣い) を批判する日本人に出会ったことがありません。外国人は、階称を難しいという。これは、何度も拝聴いたしました。



.




知的好奇心

2017-12-02 13:19:59 | 日本語文法
>日本企業の大半が長時間労働を厭わないのは、まさに詰込み型教育の影響がある。>知的好奇心がなければ確実にイノベーションは生まれない。>しっかりと社員には自分の時間を取ってもらい、読書や旅行を経て知的好奇心を刺激することの方が結果として企業にとってもプラスとなる。

それは良いアイディアですね。ぜひ実行に移したらよいですね。

> 以下リンク
>NewsWeekより
>-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-

>長時間労働がおそろしいのは、労働者の生活破壊(過労死など)をもたらすことだが、知識への欲求(知的好奇心)を削いでしまう可能性もある。<図2>は、週間の平均就業時間と、同じ調査で「新しいことを学ぶのは好きだ」と回答した比率の相関図だ。

知的好奇心が無いから長時間労働に耐えることになるではないですか。

>右下がりの傾向で、仕事時間が長い国ほど知的好奇心が低いという、マイナスの相関関係が見受けられる(相関係数は-0.7064)。

本当に、そうですね。

>長時間労働は知的好奇心を減退させる。長時間労働が過ぎると、新しいことへの興味、未知のことを吸収しようという意欲も萎えるのはあり得ることだ。読書をとっても、頻度の減少が著しいのは働き盛りの層だ(参考記事「働き盛りが読書しない日本に、やがて訪れる『思考停止』社会」)。

我が国は、現在、人手不足に陥っています。だが、頭脳不足の声は聞かれません。

>変化の激しい現代社会では、知的好奇心を枯らすことなく、学び続けなければならない。そのことで、斬新なイノベーションも生まれてくる。<図2>の傾向に因果関係があるのならば、長時間労働は早急に是正すべきという強い提言に繋がる。

長時間労働を規制しても、この傾向は変わらないと思いますよ。人々はあくなき労働を求めています。これは、半ば本能的ですね。

>しかし上記の散布図が因果関係を示しているとは限らない。2つの変数には、共通の背因(根)があるかもしれない。>「国民性」という曖昧な言葉で片付けるのは簡単だが、両方とも子ども期の学校教育の影響によるものと考えることもできる。

そうですね。ただ国民性というだけでは、対処のしようもありませんね。
特亜三国人 (日本人・中国人・韓国人) の頭のなかには、考えが育ちません。だから、好奇心も育ちません。これが共通の背因でしょう。
考えの内容は、非現実の内容です。日本語文法には時制というものが無いので、非現実の三世界 (過去・現在・未来) の内容を文章に表すことが出来ないのです。ですから、知的好奇心の発展も望めないのでしょう。日本語は現実描写の言語に止まっています。和文の内容は、実況放送・現状報告の内容になります。それ以外は、忖度 (推察) により生ずる独りよがりの空想・妄想になります。この特性が発展して我が国は漫画・アニメの大国にもなりました。それでも、夢と希望はこの国には存在しません。

>日本の学校教育では、長時間労働を厭わない精神が子どもに植えつけられる。皮肉なことに、教師がそのモデルになっている。また受験準備の詰め込み教育で、「学びとは苦行だ」という思い込みも刷り込まれている。<図2>の日本と韓国の位置が象徴的だ。

ひとえに忍耐・克己ですね。日本語脳の中に考えが育たないので、教育は暗記中心の洗脳教育になります。生徒は先生に教えの内容を求めています。

>もしそうなら、学校教育の問題ということになる。今年春に公示された新学習指導要領では、こうした弊害を克服する方向が示されている(アクティブ・ラーニングの重視など)。21世紀の学校では、学びの楽しさを理解させること、生涯にわたって学習する態度を育むことに重点を置かねばならない。

そうですね。アクティブ (能動的) が大切ですね。
日本人には意思 (will) が無い。意思は未来時制の文章内容で表されるが、日本語には時制 (tense) というものがありません。ですから、日本人には意思も無く、意思のない所には、方法 (仕方) がない。能動がなくて、受動ばかりがある。加害者意識 (罪の意識) が無くて、被害者 (犠牲者) 意識ばかりがある。閉塞感のある実に恨めしい生活です。
我々日本人は、日本語と英語を熱心に学ぶ必要があるのではないでしょうか。そうすれば、意思を使った発想法も習得出来て、私達の自己の表現が豊かになります。News Week のような週刊誌も発行できるかもしれません。

>-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-


.