>オバマ大統領の就任演説のあと、感想を求められたわが国の総理大臣は「世界一位と二位の経済大国が協力してゆくことが必要だ」というコメントを出しました。>これは典型的に「日本人」的な発言だと言ってよいでしょう。
そうでしょうね。
>「日本は世界の中でどのような国であるか」ということを言おうとしたとき、首相の脳裏にまず浮かんだのが「経済力ランキング表」のイメージであったというのはまことに徴候的です。>もし、日本が軍事力でもいい順位にあれば、あるいはODAや国際学力テストの得点でいい順位にあれば、首相はその「ランキング表」をまず頭に浮かべ、それをもって日本の国際社会における役割を言い表そうとしたでしょう。
同感です。国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思っているのでしょう。憲法前文にその想いが書いてあります。
日本語には、階称 (言葉遣い) というものがあります。日本語を正しく使うためには、まず言葉遣いを覚えなくてはなりません。
言葉遣いは、上下関係を表します。正しい上下関係を知らなければ、正しい日本語゛は使えません。
日本人の礼儀作法も序列作法になっています。正しい序列関係を知らなければ、正しい言葉遣いもできず、礼儀正しい日本人にはなれません。
人を見損なってはいけない。序列判断は、日本人にとっての強迫観念になっています。序列のないところには、日本人の礼儀もありません。
>ある国の国民性格は、そのGDPや軍事予算の額やノーベル賞受賞者の数などとは無関係に本態的に定まっているという発想がここにはありません。>私たちにとって、国民性格の問題は「誰それに比べたときに、どの順位にいるか。“トップ”とどれくらい離れているか」というかたちでしか立てられない。>ぼくはこのようなもっぱら他国との劣等比較を通じてしか国民性格を規定することのできない不能こそが日本人のもっともきわだった国民性格ではないかと思っています。
同感です。’上とみるか、下とみるか’ の判断が、我々日本人には、とりわけ大切ですね。天皇制の根本原理のようなものかもしれませんね。
>日本人の国民性格は非日本人との比較を通じてしか自己の性格を特定できないという他者依存のうちに存する。>「日本人はイエスとノーをはっきり言わない」とよく言われます。>たぶん、その理由は、日本人は「誰が何と言おうと言いたいこと、言わなければならないこと」を持っていないからだとぼくは思います。
そうですね。無哲学・能天気では、自分の考えはありませんね。
現実の内容は、頭の外側に存在します。これは見ればわかります。内容は一通りです。
非現実の内容は、頭の内側に存在します。これは見てもわかりません。話を聞いても理解できる場合と、できない場合があります。その内容は一通りではありません。矛盾を含まない話は、すべて正しい。内容を全然持たない人もいる。
現実の内容は、普通の言葉で話ができる。日本語は、普通の言葉であるから、実況放送・現状報告の内容を表現できます。
非現実の内容は、時制ある文章の内容となって、表現されます。時制には、過去時制、現在時制、未来時制などがあります。時制は日本語文法にはなく、英文法にはあります。ですから、日本人は、頭の内側の内容を非現実の内容として表現できません。それで、自分の考えが無いのです。
>「自分が言いたいこと」よりも、「相手が聞きたいこと」「相手が聞きたくないこと」の方が気になる。>だから、そちらをまず優先的に配慮する。
そうですね。自分に考えが無いのであるから、相手の考えを聞くしかありませんね。
>相手との関係の中で、相手に好かれるか嫌われるか、尊敬されるか軽蔑されるか、そのことが最初に意識される。>相手が自分をどう思おうと、「私は言いたいことを言う」ということがない。>コンテンツの整合性や論理性よりも、「それを言ったら相手にどう思われるだろうか」という気遣いの方が優先する。
そうですね。自分には考えが無いから、相手の態度に注目しますね。相手次第で、自分の態度を大きくなったり、小さくなったりさせている。気分・雰囲気に乗っているのですね。
>それは巷間にあふれる「アメリカ論」「中国論」「韓国論」などなどすべての国民論に共通しています。オバマ大統領就任の後、あらゆる新聞の社説は「新大統領は日本に対して、親和的だろうか、それとも威圧的だろうか。日本の要求に耳を貸してくれるだろうか、日本を軽視するだろうか」ということをまず論じました。>アメリカの東アジア戦略が「何であるか」よりも、それを物質化する際に「どういう口調で、どういう表情で、どういう物腰で」日本に触れてくるのか優先的に論じられた。>これはまことに徴候的な態度であるとぼくは思います。>これがまことに徴候的な態度であるということにメディアの当事者が誰も気づいていないという点で際だって徴候的であると思います。
同感です。自己の雰囲気・印象を歌い上げることに徹するのは、日本人の伝統ですね。あまりにも自然なためか、日本人のメンタリティを論ずる人は昔から誰もいませんね。
>相手がまず仕掛けてきたことにどう効果的に反応するかという発想のことを武道の術語では「後手に回る」と言います。>日本は外交において、決して「先手を取る」ということがない。>進んで「場を主宰する」ということがない。>つねに誰かが主宰した場に後から出向いて、相手の出方をまず見て、とりあえずもっともフリクションの少ない対応をする、というのが日本外交の基本姿勢です。
日本人には意思がない。意思は未来時制の文章内容で、日本語には時制がない。それで、日本人には意思がない。優柔不断・意志薄弱に見える。
意思が無ければ、能動的態度はとれない。それで、日本人は、受動的態度に終始する。
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そうでしょうね。
>「日本は世界の中でどのような国であるか」ということを言おうとしたとき、首相の脳裏にまず浮かんだのが「経済力ランキング表」のイメージであったというのはまことに徴候的です。>もし、日本が軍事力でもいい順位にあれば、あるいはODAや国際学力テストの得点でいい順位にあれば、首相はその「ランキング表」をまず頭に浮かべ、それをもって日本の国際社会における役割を言い表そうとしたでしょう。
同感です。国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思っているのでしょう。憲法前文にその想いが書いてあります。
日本語には、階称 (言葉遣い) というものがあります。日本語を正しく使うためには、まず言葉遣いを覚えなくてはなりません。
言葉遣いは、上下関係を表します。正しい上下関係を知らなければ、正しい日本語゛は使えません。
日本人の礼儀作法も序列作法になっています。正しい序列関係を知らなければ、正しい言葉遣いもできず、礼儀正しい日本人にはなれません。
人を見損なってはいけない。序列判断は、日本人にとっての強迫観念になっています。序列のないところには、日本人の礼儀もありません。
>ある国の国民性格は、そのGDPや軍事予算の額やノーベル賞受賞者の数などとは無関係に本態的に定まっているという発想がここにはありません。>私たちにとって、国民性格の問題は「誰それに比べたときに、どの順位にいるか。“トップ”とどれくらい離れているか」というかたちでしか立てられない。>ぼくはこのようなもっぱら他国との劣等比較を通じてしか国民性格を規定することのできない不能こそが日本人のもっともきわだった国民性格ではないかと思っています。
同感です。’上とみるか、下とみるか’ の判断が、我々日本人には、とりわけ大切ですね。天皇制の根本原理のようなものかもしれませんね。
>日本人の国民性格は非日本人との比較を通じてしか自己の性格を特定できないという他者依存のうちに存する。>「日本人はイエスとノーをはっきり言わない」とよく言われます。>たぶん、その理由は、日本人は「誰が何と言おうと言いたいこと、言わなければならないこと」を持っていないからだとぼくは思います。
そうですね。無哲学・能天気では、自分の考えはありませんね。
現実の内容は、頭の外側に存在します。これは見ればわかります。内容は一通りです。
非現実の内容は、頭の内側に存在します。これは見てもわかりません。話を聞いても理解できる場合と、できない場合があります。その内容は一通りではありません。矛盾を含まない話は、すべて正しい。内容を全然持たない人もいる。
現実の内容は、普通の言葉で話ができる。日本語は、普通の言葉であるから、実況放送・現状報告の内容を表現できます。
非現実の内容は、時制ある文章の内容となって、表現されます。時制には、過去時制、現在時制、未来時制などがあります。時制は日本語文法にはなく、英文法にはあります。ですから、日本人は、頭の内側の内容を非現実の内容として表現できません。それで、自分の考えが無いのです。
>「自分が言いたいこと」よりも、「相手が聞きたいこと」「相手が聞きたくないこと」の方が気になる。>だから、そちらをまず優先的に配慮する。
そうですね。自分に考えが無いのであるから、相手の考えを聞くしかありませんね。
>相手との関係の中で、相手に好かれるか嫌われるか、尊敬されるか軽蔑されるか、そのことが最初に意識される。>相手が自分をどう思おうと、「私は言いたいことを言う」ということがない。>コンテンツの整合性や論理性よりも、「それを言ったら相手にどう思われるだろうか」という気遣いの方が優先する。
そうですね。自分には考えが無いから、相手の態度に注目しますね。相手次第で、自分の態度を大きくなったり、小さくなったりさせている。気分・雰囲気に乗っているのですね。
>それは巷間にあふれる「アメリカ論」「中国論」「韓国論」などなどすべての国民論に共通しています。オバマ大統領就任の後、あらゆる新聞の社説は「新大統領は日本に対して、親和的だろうか、それとも威圧的だろうか。日本の要求に耳を貸してくれるだろうか、日本を軽視するだろうか」ということをまず論じました。>アメリカの東アジア戦略が「何であるか」よりも、それを物質化する際に「どういう口調で、どういう表情で、どういう物腰で」日本に触れてくるのか優先的に論じられた。>これはまことに徴候的な態度であるとぼくは思います。>これがまことに徴候的な態度であるということにメディアの当事者が誰も気づいていないという点で際だって徴候的であると思います。
同感です。自己の雰囲気・印象を歌い上げることに徹するのは、日本人の伝統ですね。あまりにも自然なためか、日本人のメンタリティを論ずる人は昔から誰もいませんね。
>相手がまず仕掛けてきたことにどう効果的に反応するかという発想のことを武道の術語では「後手に回る」と言います。>日本は外交において、決して「先手を取る」ということがない。>進んで「場を主宰する」ということがない。>つねに誰かが主宰した場に後から出向いて、相手の出方をまず見て、とりあえずもっともフリクションの少ない対応をする、というのが日本外交の基本姿勢です。
日本人には意思がない。意思は未来時制の文章内容で、日本語には時制がない。それで、日本人には意思がない。優柔不断・意志薄弱に見える。
意思が無ければ、能動的態度はとれない。それで、日本人は、受動的態度に終始する。
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