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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

管理職  

2022-12-23 14:24:05 | 文化

>東洋経済オンライン   >「管理職になりたい日本人」極端に少ない根本理由 職場コミュニティからはみ出てもいいことない   >太田 の意見 - 昨日 9:00  

>出世しても、給料が上がらない。   

>ならば「やらないほうが得」。  

 

過去の内容は変えることができないが、未来の内容は変えることができる。それには未来の内容を自己の意思として示すことが必要である。しかし、それには無為無策でその日暮らしをしている人には望み無しである。

日本人には意思 (will) がない。つまり、無心である。意思は英語の未来時制の文の内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がないので仕方なく無為無策でいる。それで、おとなしい。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて受動ばかりの生活を送っている。困った時には '他力本願・神頼み' になる。生きる力 (vitality) が不足している。だから戦時中は、玉砕するまで戦い抜いた日本兵であった。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)

どうやら 我々は '指示待ち人間' として育成されたようです。このやりかたで成功すると、他人の受け売りと後追いの専門家になりますね。我が道を行く人にはなりませんね。しかし、未来を先取りしない人は他人を唱道する人にはなれませんね。  

 

>しかし、日本のビジネスパーソンのモチベーションが低い理由はそれだけではない。   

>人間関係の摩擦や嫉妬といったストレスを計算に入れたら、チャレンジは割に合わないのだ。   

 

自分自身に考えも無く、摩擦と嫉妬ばかりがあるのでは割に合わないですね。    

 

>同志社大学教授の組織学者である太田肇氏が、日本企業の躍進を阻む構造的欠陥にメスを入れる(本記事は、太田肇『何もしないほうが得な日本』の一部を抜粋・編集したものです)。

>「管理職になりたい」意識が低い日本人   

>「迷惑」は嫉妬、すなわちねたみやそねみの感情と結びつきやすい。   

>実際はそれほど迷惑がかかっているわけではなくても、背後にある嫉妬心から相手の足を引っ張ったり、仲間はずれにしたり、調和や協調を名目に相手を押さえつけたりする場合がある。   

>とくに出世、すなわち昇進や昇格をめぐって、それがしばしば露骨に表れる。  

 

小さな体に大きな望みという立身出世の歌は流行らないですね。   

 

>パーソル総合研究所が2019年の23月に行った調査によると、日本人は「現在の会社で管理職になりたい」という人も、「会社で出世したい」という人も、調査対象になった国のなかで最も割合が低い。   

>実際に海外の企業で聞き取りをすると、管理職志向が日本に比べ明らかに強いことがわかる。   

>そもそもホワイトカラーで管理職になりたくないという社員はほとんどいないという。   

>日本人の管理職志向が低い理由としては、昇進しても給与が大きく上がらないことや、責任が重くなりストレスが強まること、それに仕事が忙しくなり残業が増えるなど私生活へのしわ寄せが大きくなることがあげられる。   

>しかし、それだけではないようだ。   

>つぎの調査結果は、やはり周囲からの嫉妬が昇進を尻込みさせていることをうかがわせる。   

>2016年に行われたある調査で「ビジネスで成功した女性は妬みを買いやすいと感じているかどうか」を聞いたところ、「あてはまる」「ややあてはまる」と答えた女性は22.2%で、男性は7.2%だった。   

>調査結果を見るかぎり、男性より女性のほうが嫉妬を強く意識していることがわかる。   

>それは、男性と女性の属するコミュニティの違いを反映しているのではなかろうか。   

>日本ではまだビジネスで成功を遂げた人も、管理職の数も女性は男性に比べて少ない。   

>厚生労働省が2021年に行った「雇用均等基本調査」によると、課長相当職以上の管理職に占める女性の割合は12.3%で、部長相当職になると7.8%と一割にも届かない。   

>そのため管理職になると、仕事だけでなく人間関係においても男性中心の社会に入っていかなければならず、孤立感を味わうおそれがある。  

 

貴様と俺とは同期の桜という歌は、女性は歌わないですね。日本は男社会ですね。雇用均等にならない。          

 

>女性にとって嫉妬が出世の「足かせ」に   

>一方では職場の仲良しグループのような現在属しているコミュニティから切り離され、仲間を失うかもしれない。   

>女性に家事や育児の負担が偏っている現状を考えたら、管理職になって仕事が忙しくなり、家事や育児へのしわ寄せや肉体的・精神的な負担が増すのは避けたいと思うのは当然かもしれない。   

>それに加え人間関係の問題が、女性にとって管理職昇進の足かせになっているのだ。   

>嫉妬や孤立、人間関係の悪化などは外から直接見えないので対策を打つことが難しい。   

>しかし、それが「負の報酬」として強く意識されている以上、これまでのように女性活躍を支援するような制度を設け、管理職の門戸を広げるだけでは十分とはいえないのではないか。   

>共同体の圧力によって社員の前向きな行動や挑戦が妨げられるケースはほかにもある。   

>「いくら正しいと思っても、突っ走ったら損!」。   

 

義を見てせざるは勇無きなり。日本人は臆病者ばかりですね。       

 

>それを強いメッセージとして発信する場面がある。   

>データの改ざん、ミスの隠蔽、作業の手抜き、偽装表示といった企業不祥事。   

>その多くは会社組織という閉ざされた共同体のなかで起きるので、早期に発見して対策を打つには内部者の協力が欠かせない。   

>そこで不正摘発の切り札として導入されたのが、いわゆる内部通報制度である。   

>2004年に制定された「公益通報者保護法」では、内部通報者の解雇や降格など不利益な取り扱いをすることを禁じた。   

>それを受けて多くの企業では内部通報制度を導入した。   

>2018年に行われたある調査では、上場企業の97.4%が内部通報制度を取り入れている。   

>しかし、制度の利用状況は年間05件が54.8%と過半数を占め、制度は存在するが必ずしも十分に利用されていない実態が明らかになっている。   

>実際、不祥事により大きな社会的非難を浴び、企業を揺るがすまでにいたった大手電機メーカーや自動車メーカーなどでは、社内に内部通報制度が設けられていたにもかかわらず、不正を早期に発見することができなかった。   

 

企業は不正利益と社内改革を天秤にかけていますね。    

 

>このことは、社員にとって制度の利用がいかにハードルが高いか、すなわち会社という共同体を敵に回すことがどれだけ困難かを物語っている。   

 

自分を養っていただいている共同体を敵に回すのは難しい。   

 

>通報に対する「しっぺ返し」恐れる風潮   

>そもそも不正を通報することが社会的利益はもとより、長期的には企業の利益につながるとしても、短期的には企業と関係者の利益を損なうものと受け止められやすい。   

 

日本人には将来 (まさに来たらんとす) があって未来 (未だ来たらず) がないですね。だから、判断が近視眼的になります。       

 

>またよい悪いは別にして、通報が仲間を裏切ることになり、共同体の一員としての連帯感や信頼感を失いかねない。   

 

悪党でも仲間は仲間ですからね。   

 

>そして、いくら秘密裏に通報したとしても、共同体型組織のなかでは、だれが通報したかおおよその見当がつく。   

>通報者が不利にならないよう法律で処遇上の不利益な扱いが禁じられていても、日本企業のあいまいな評価制度と人事の大幅な裁量のもとでは、通報したことに対していつ、どのような形でしっぺ返しを食らうかわからない。   

 

日本の企業の責任者は信頼できないですからね。    

 

>たとえば、つぎのようなケースを考えてみよう。   

>ある人が、上司の温情で社内の基準から外れる働き方を黙認されていたとする。   

>ところが内部告発したことを機に、「コンプライアンスの徹底」という理由で規則どおりの働き方を求められたとしても文句はいえまい。   

>温情の撤回が実質的な報復になるのだ。   

>あるいは人事異動の際に、「適材適所」の名のもと、本人が希望しない部署へ配属されても報復人事だと立証することが困難な場合がある。   

>通報者にとって、それ以上に厳しいのは周囲との人間関係にヒビが入ることである。   

>職場が重要なコミュニティである日本人にとって、親しく声をかけてくれ、大事な情報を教えてくれ、お茶や食事に誘ってくれる仲間ほど大切なものはない。   

>そうした関係が絶たれたり、よそよそしくなったりしたら、たいていの人は耐えられないだろう。   

>公益通報者保護法は2020年に改正(20226月施行)され、保護の対象や保護の内容を拡大するなどいっそう強化されているが、欧米企業のドライな組織ならともかく、日本企業のような共同体型組織の特徴を考えたら、「糠に釘」に終わる可能性がある。   

 

我が国のような個人主義の不徹底な社会では、個人に対するドライな判断は有効に働きませんね。    

 

>現状を変えようとすることは「迷惑」   

 

挨拶の言葉通り、お変わりのないことが何よりなことですね。   

 

>このように日本企業のような共同体型組織では、何かに挑戦すること、現状を変えようとすること、突出することは多くの場合、周りの人にとって迷惑なのだ。   

 

そうですね。日本人には現実があって非現実 (考え) がない。だから、日本人が改革者なるのは難しい。    

 

>そのため人間関係が疎遠になったり、ときには反発や敵意を招いたりする。   

>あえて挑戦し、失敗したら孤立無援になりかねない。   

 

日本人には自己 (の考え) が無い。だから無援になるしかない。      

 

>それでも摩擦を覚悟で挑戦するに値する有形無形の報酬があれば、多くの人は挑戦するはずだ。   

>現在の日本では、リスクを冒し挑戦しても獲得できるものの価値は大きくない。   

 

そうですね。大体はくたびれ儲けになりますね。   

 

>やってもやらなくても大差がなければ、人間関係の摩擦や周囲の冷たい視線から受けるストレスを計算に入れたら「やらないほうが得」と考えてしまう。   

>ただ組織にとって挑戦や改革は不可欠であり、「何もしないほうが得」になる組織の構造が健全でないことは明らかだ。   

 

そうですね。あるべき姿のない組織は不健全ですね。だが日本人がそのことに気づくのは難しいです。       

 

>そこにどうメスを入れ、構造を変えていくかは、次章以下で詳しく述べていきたい。   

 

それを期待しています。   

言語は伝達の手段であるばかりでなく、思考の重要な手段でもあります。ですから我々の考えの疎かな所は日本語のせいであることもあります。   

 

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。この規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。 

 

世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。来るべき世界の内容を語ることは、時代を先取りすることである。これは政治に必要である。日本人の場合は、無哲学・能天気にためにノンポリ・政治音痴になっている。これでは冴えた政治は行われない。

 

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実 (things as they are) の内容を批判 (縦並びの比較) すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。全ての事柄は他人事になる。これは子供のようなものである。日本人も英米人も子供の時には非現実 (考え) の内容というものがない。だから ‘話を告げる’ (to tell a story) ということは、’作り話をする’ とか ‘嘘を吐く’ という風に受け取られて悪い子供とされている。この判定だけがわが国では一生涯続く。

 

日本語の文法には時制がない。だから、日本人には非現実を内容とする世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

 

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。これは縦並びの比較ということができる。建設的である。進歩が期待できる。希望が持てる。現実の内容だけであれば、その比較は '現実' '現実' の上下判断 (横並びの比較) になり、'どっちもどっちだ' がある。そこで、不完全な現実に囲まれて無力感に苛まれる。この種の比較は復讐に復讐を重ねる民族同士の争いの原動力にもなっていて進歩が期待できない。 

 

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

 

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)       

.

 

 

 


学び直し  

2022-12-23 05:07:37 | 文化

>【池上彰】「学生時代にもっと勉強しておけばよかった」と後悔する社会人のための「学び直し」のコツ   ダイヤモンド社書籍編集局 - 昨日 6:00  

>経済や経営、政治といった世の中のしくみのことは、わかっているようでわかっていない。   

>けれど、大人になって「知らない」「わからない」とは言いにくいし、今からでも基本から学び直したいけど、どうすればいいかわからない――。   

>そんな思いの受け皿としてロングセラーになっているのが『経済のこと、会社のこと、政治のことよくわからないまま社会人になった人へ』シリーズだ。   

>『経済のことよくわからないまま社会人になった人へ』『会社のことよくわからないまま社会人になった人へ』『政治のことよくわからないまま社会人になった人へ』の著者であり、今さら恥ずかしくて聞けないニュースのことを、わかりやすく解説することで定評のあるジャーナリストの池上彰さんに、いかにして社会人が学び直しをすればいいのかを伺った。   

>(取材・構成/柳沢敬法、ダイヤモンド社・和田史子、撮影/加藤昌人、ヘアメイク/市嶋あかね)   

>人は「よくわからないこと」に不安を感じる    

>――学び直しについて伺う前に、そもそも、私たちはなぜ世の中の基本的なことを知るべきなのでしょうか?    

>知らないままでいることのデメリットとは何でしょうか?   

>池上彰(以下、池上) まず言えるのは、人は「よく知らないこと」や「未知のもの」に対して不安や恐怖を感じやすいということです。   

>.「何となくよくわからないから不安」ということがあるのです。   

> 2011年の東日本大震災に伴う原発事故の際、テレビの報道番組はどこも専門家による専門用語や数値を並べた難解な話ばかり。   

>ほとんどの視聴者は、よくわからなかったと思います。   

> 今、原発はどうなっているのか。   

>安全なのか危険なのか。   

>危険だとしたらどのくらい危険なのか。   

>私たちは何に気をつけ、どう行動すればいいのか。   

>知りたいことがさっぱりわからない。   

>結果、視聴者の不安は解消できないどころか増大してしまったわけです。   

>――たしかに、あのとき私たちは専門家の話を聞いて安心するどころか、情報を得てもよくわからないと、もっと不安になりました。   

>池上 そこで私がある番組で、基本も基本、「放射能と放射性物質、それに放射線、どう違う?」とか「シーベルトって何?」ということから解説しました。   

>すると「言葉の意味がわかって少し不安が和らいだ」といった声が数多く届いたのです。

 

我が国のジャーナリストで読者に分かりやすい解説をする人がいなかったのですね。   

 

>――「わかる」ということが不安を払拭してくれるのですね。   

>池上 正しい知識があれば現状を正しく理解し把握できます。   

>さらに先々に起こり得る事態を推測し、次に取るべき行動を選択することもできるのです。   

> コロナ禍やロシアのウクライナ侵攻など、今はとくに先が見通せない不確実で不安定な時代と言われています。   

>世の中の基本的なしくみや成り立ちについて正しく知ることは、そうした時代を生きていく上で、自分自身を支える確かな土台を築くことでもあるのです。    

>社会人は「置かれた場所」で勉強しよう   

>――世の中のことを“よくわからないまま社会人になった人”に共通するのは、「学生時代にもっと勉強しておけばよかった」という後悔です。   

 

そうですね。後悔先に立たずですね。   

 

>池上 私も同じです。   

>私が大学生の頃は学生運動が激しくて、ストライキで授業がないこともしょっちゅう。   

>だから、十分な勉強ができないまま社会に出てしまったという思いはずっと持っていました。   

>その反省もあって、社会に出てからも仕事の合間を見て勉強してきました。   

> 例えば、NHKの記者として警察担当だったときは、刑法や刑事訴訟法から法医学などを学びました。   

>気象庁担当になったら気象学や地震学、火山学の本を片っ端から読みあさり、文部省担当時は教育基本法から文部行政の構造や教育委員会の変遷などを勉強する。   

>そうやって、仕事をする中で必要な知識を一から学び続けてきたのです。   

 

臨機応変に勉強するのですね。   

 

>――ある意味、今の自分の関心事から学び直しをしたということですね。

>池上 そうです。   

>社会人になっても“自分が置かれた場所”で学び続けることが大事なんですね。   

> 世の中の基本的なしくみについての知識は、社会に出る前より、むしろ「社会に出た後」に不可欠なものでしょう。   

>これまで学んでこなかったのなら、今から勉強すればいいだけです。   

>これだけはお伝えしたいのですが、勉強というのは、何歳になっても、いつからでも、どこででもできます。   

 

我々には生涯教育が必要ですね。    

 

>問題なのは「よく知らないのに知ってるつもり」の大人     

>――「世の中の基本をよく知らない社会人」と聞くと、自分のことを言われたみたいでドキッとしてしまいます。   

 

 '私は、私が何も知らないということを知っている'。 (ソクラテス)     [無知の知] 'I know that I know nothing'.  

 

>同じように感じる人、きっと多いはずです。   

>池上 大勢いるでしょうね(笑)。   

>「世の中の基本を知らない大人がこんなにいるのか」と私が強く認識したきっかけは、NHKで担当していた『週刊こどもニュース』です。   

> この番組、1週間に起こったニュースや出来事を、こどもたちに向けてわかりやすく解説するというもの。   

>タイトルは『こどもニュース』ですが、実際には大人の視聴者が圧倒的に多かったんです。   

>こどもにもわかるような解説が、実は大人に受けていた。   

>そのことを知り、「なんだ、大人もみんな世の中のことをよくわかってないんだ」と痛感したんです。   

 

そうですね。大人の皆さんはそれぞれ自分勝手な解釈をしているのでしょうね。    

賢い人は「純粋によく観察する」が、そうでない人は「自分の期待したもの」しか見ようとしない。   

 

>――そうなると、もはや『おとなニュース』ですよね。   

>池上 番組に寄せられる声も、当然大人からのものが多くなります。   

>それを聞いてさらに感じたのが「よく知らない」だけでなく、間違った知識や古い情報を持ったまま「知ってるつもり」になっている人の多さだったのです。   

> あるとき番組で日本の年金制度について「若い人たちが納めた保険料が高齢者の年金なんですよ」と説明したんです。するとご高齢の視聴者から抗議の電話が殺到して。「ウソを言うな。自分がずっと納めてきた保険料を私はもらってるんだ!」と。    

> たしかに昔はそうでしたが、先ほど説明したような形に、途中から制度が変わったんです。   

>でも抗議した人はそれを知らないんですね。   

>で、知らないまま「自分は正しい。番組が間違ってる!」と抗議してくるんです。   

>――昔はそうだったけど今は変わったことを知らずに、「今もそうだ」と思い込んでいる人が少なくないんですね。

>池上 そうなんです。   

>知識というのは手に入れたから終わりではありません。    

>知識や情報は「生物(なまもの)」ですから、常にアップデートしていくことが大切です。   

 

そうですね。知識や情報は日進月歩ですね。   

 

> だから、「学生時代にしっかり学んできた」と自信がある大人こそ、「今も本当にそうだろうか?」と疑いながら、確認の学び直しをする必要があります。   

> ほかにも、日銀の金融緩和について「政策金利を下げました」と説明をしたら、「なんで『公定歩合で決めてる』と言わないんだ。   

>間違った説明をするな」という抗議が来たこともあります。    

> これも、たしかに私が学生の頃は「日銀が公定歩合の上げ下げで金利をコントロールする」と習いました。   

>でも今は日銀が国債を買い上げることで、銀行同士がお金の貸し借りを行う「コール市場」というマーケットでの金利が決まっています。   

>すでに公定歩合という仕組みすら存在していなくなっています。   

>つまり「知っているつもり」でも知識をアップデートしていない、というわけです。   

> こうした経験から、「それならば、大人のために政治や経済について基礎の基礎から説明する本を作ろう」と思って書いたのが、この『よくわからないまま社会人になった人へ』シリーズなんです。   

>「かつての常識」が「非常識」になる時代だからこそ   

>――となると、『よくわからないまま社会人になった人へ』シリーズは、就活生や会社に入社したての若い社会人だけでなく、ベテラン社会人にとっての“学び直し”にも役立ちますね。   

>池上 繰り返しますが、時代の移り変わりとともに、世の中のしくみや構造も常に変化していくもの。   

>しかも今は「不確実性の時代」と言われるほど、その変化が激しい時代です。   

> 先ほどの国民年金制度や公定歩合の話ではありませんが、ベテランや年配の人たちの「あの頃の常識」や「これまでの知識」が、今やこれから先は必ずしも通用しないということが十分に起こり得ます。   

>ですから、世の中の変化に合わせて、自分の持っている知識も常にアップデートしていく必要があるんです。   

>そう考えると「学び直し」に終わりはないのかもしれませんね。   

 

そうですね。生涯教育に終わりはありませんね。    

 

>――まずは世の中の制度やしくみ、成り立ちなど基本を知り、その上で時代にあわせてアップデートしていくということですね。   

>池上 はい。   

>その基本を知るというステップで、『よく知らないまま社会人になった人へ』シリーズを活用してほしいですね。   

>このシリーズは「経済」「会社」「政治」の3分野で構成されている点がポイントです。   

>経済のことを知れば、経済活動をしている「会社」のことが知りたくなる。   

>経済や会社のことを知れば、そこには「政治」が大きく影響しているんだと考えるようになります。   

> 経済も会社も政治も、単独で存在しているのではなく、すべてがつながって関係しあいながら動いているもの。   

>ですから「経済」「会社」「政治」の3分野を理解すると、世の中のことを点ではなく「線」や「面」で捉えられるようになります。   

>「知識」を総合的に身につけ、アップデートしてていくことで、「教養がある社会人」になれるのです。   

>【次回に続く】   

>池上彰(いけがみ・あきら)   

>1950年、長野県生まれ。   

>慶應義塾大学経済学部を卒業後、73年にNHK入局、報道記者やキャスターを歴任する。   

>94年から11年間にわたり「週刊こどもニュース」のお父さん役を務め、わかりやすい解説が話題になる。   

>2005年、NHK退職以降、フリージャーナリストとしてテレビ、新聞、雑誌、書籍、YouTubeなど幅広いメディアで活躍。   

>20164月から、名城大学教授、東京工業大学特命教授を務め、現在も11の大学で教鞭を執る。   

>近著に『知らないと恥をかく世界の大問題13 現代史の大転換点』(角川新書)、『池上彰の世界の見方 東欧・旧ソ連の国々 ロシアに服属するか、敵となるか』(小学館)、『独裁者プーチンはなぜ暴挙に走ったか 徹底解説:ウクライナ戦争の深層』(文藝春秋)、『経済のことよくわからないまま社会人になった人へ』『会社のことよくわからないまま社会人になった人へ』『政治のことよくわからないまま社会人になった人へ』(すべてダイヤモンド社)などがある。   

 

わが国は資源小国である。天然資源は不足しているが、人口は一億以上ある。決して小国ではない。この人口の頭脳を活用すれば、わが国は衰退途上国から脱することができる。

我が国には人手不足はあるが、頭脳不足の話はない。日本人は思考を停止しているが、それが当たり前のことになっていて頭脳不足とは考えられていない。

わが国は、無哲学・能天気の国である。だから、国民は歌詠みになる。バラバラな単語ばかりの歌詞には意味がない。だから議論がない。ただ、気分・雰囲気を伝えることにより満足している。 

日本語は写生画の言葉である。現実 (事実) は見ればわかる。Seeing is believing. 現実の正解は一つしかない。問答無用である。だから、日本語はご唱和の内容になる。

非現実 (考え) の内容は見ることができない。だが文になる。だからその内容は理解できる。文にならないものは考えではない。

矛盾を含まない文は、全て正しい考えを表している。考えは、一人一人違っているから、正解は無数にある。考えの優劣を競い合う議論も可能になる。

 

 <日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。

私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)

 

体系のない日本人の発想は哲学には成らずして、空想・妄想になる。これを白昼夢というのかな。おかげさまでわが国は、漫画アニメの大国になりました。  

体系的な考えは哲学になる。各人に哲学は必要である。 Everyone needs a philosophy.  

日本人には自己の考え (非現実) がない。だから、わが国のインテリは受け売り専門の人になる。思考を停止している人は、つかみどころのない人間になる。     

つかみどころのない人間の批判は愚痴・わがままとなり、議論は単なる言い争いに終始する。’和を以て貴しとなす’ の教えと事なかれ主義の圧力により人類の進歩は期待できない。   

 

イザヤ・ベンダサンは、自著<ユダヤ人と日本人>の中で、我が国の評論家に関して下の段落のように述べています。

評論家といわれる人びとが、日本ほど多い国は、まずあるまい。本職評論家はもとより、大学教授から落語家まで (失礼! 落語家から大学教授までかも知れない) 、いわゆる評論的活動をしている人びとの総数を考えれば、まさに「浜の真砂」である。もちろん英米にも評論家はいる。しかし英語圏という、実に広大で多種多様の文化を包含するさまざまな読者層を対象としていることを考えるとき、日本語圏のみを対象として、これだけ多くの人が、一本のペンで二本の箸を動かすどころか、高級車まで動かしていることは、やはり非常に特異な現象であって、日本を考える場合、見逃しえない一面である。 (引用終り)

 

大学などの高等教育機関で論文作りに励めば学士・修士・博士などの称号が得られる。博士は普通 '哲学博士' (Doctor of Philosophy: Ph. D.) と呼ばれる。

私は日本のインテリから ‘哲学とは何ですか’ と何度も聞かれた。外国人からは、このような質問を受けたことはない。日本人は大学で、自己の哲学を作ることを学んでこなかった。だから彼らは退屈男・退屈女となって大学在学中の4年間を遊んで暮らさなければならなかった。       

政治に関する考えは政治哲学になる。宗教に関する考えは宗教哲学になる。科学に関する考えは科学哲学になる。人生に関する考えは人生哲学になる。などなど。  

我が国の政治家には政治哲学がなく、わが国の宗教家には宗教哲学がない。わが国の科学者には科学哲学がなく、わが国の著述家には人生哲学がない。などなど。   

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’  (あるアメリカの国務長官)    

 

TBSブリタニカとブリタニカ国際大百科事典を作ったフランク・ギブニー氏は、自著 <人は城、人は石垣> の中で、我が国の作家について次の様な感想を述べています。

孤立は日本式スタイルを誇る詩人、随筆家はいうに及ばず、小説家において最も顕著である。これは外国人にとっては判断をはばかられる主観的な領域である。しかし文学界で最も尊重される文章が意味を省略し、あいまいさに富み、漢字をうまく使って読ませ、文法分析家を意気揚々と悩ます一種の「気分の流れ」であることは一般に真実である (私の思考パターンは取り返しのつかぬほど西洋的なので、私は自分がスラスラ読めるような日本語の散文は深刻なまでに文学的優雅さに欠けているにちがいない、という大ざっぱなルールをとっている)(引用終り)  

 

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で、言葉 (ロゴス) について以下のように語っています。

、、、、、 母親が子供に「チャント・オッシャイ」という場合、明晰かつ透明 (英語ならクリヤー) に言えということでなく、発声・挙止・態度が模範通りであれ、ということである。だが、クリアーということは、原則的にいえば、その人間が頭脳の中に組み立てている言葉のことで、発声や態度、挙止とは全く関係ないのである。プラトンの対話篇から、例として『クリトン』をあげてみよう。この対話は、明日の死刑執行を前にして、夜明けに、獄中のソクラテスをクリトンがたずねて、脱獄をすすめるところからはじまる。もちろんソクラテスは寝ている。だがどう読んでみても、ソクラテスが起き上がって、威儀を正して、法の遵守を説いて、クリトンに反論したとは思えない。ソクラテスは、おそらく最後まで寝っころがったままで話しているのだ。従って、この場合、純粋に、ソクラテスの言った言葉 (ロゴス) だけが問題なので、彼の態度や語調は全く問題にされないのである。日本では、「その言い方は何だ」「その態度は何だ」と、すぐそれが問題にされるが、言っている言葉 (ロゴス) そのものは言い方や態度に関係がない。従がって厳然たる口調と断固たる態度で言おうと寝ころがって言おうと言葉は同じだなどとは、だれも考えない。従って純然たる会話や演説の訓練はなく、その際の態度と語調と挙止だけの訓練となるから、強く訴えようとすれば「十字架委員長の金切声」という形にならざるをえない。(引用終り)     

 

日下公人氏は、<よく考えてみると、日本の未来はこうなります。> の中で、日本人に関するW.チャーチルの感想を以下のごとく紹介しています。

日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。しかし、これでは困る。反論する相手をねじ伏せてこそ政治家としての点数があがるのに、それができない。

 それでもう一度無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。すると議会は、今まで以上の要求をしろと言う。無理を承知で要求してみると、今度は笑みを浮かべていた日本人が全く別人の顔になって、「これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことを言うとは、あなたは話のわからない人だ。ここに至っては、刺し違えるしかない」と言って突っかかってくる。

 英国はその後マレー半島沖で戦艦プリンスオブウェールズとレパルスを日本軍に撃沈され、シンガポールを失った。日本にこれほどの力があったなら、もっと早く発言して欲しかった。日本人は外交を知らない。(引用終り)     

 

宮本政於の著書〈お役所の掟〉には、官僚絶対主義のことが出ている。以下は、著者(宮)と厚生省幹部(幹)との会話である。

宮「憲法に三権分立がうたわれているのは、権力が集中すると幣害がおきるから、との認識に基づいているのでしょう。今の日本のように、官僚組織にこれだけ権力が集中すると幣害もでてきますよね」、幹「ただ、日本はこれまで現状の組織でうまく機能してきたのだ。それによく考えてみろ。いまの政治家たちに法律を作ることをまかせられると思うのか。そんなことをしたら日本がつぶれる」、「日本の立法組織にそれほど造詣(ぞうけい)が深くないのですが、私も認めざるをえません」、「そうだろう。『やくざ』とたいしてかわらないのもいるぞ」、「私もテレビ中継を見て、これが日本を代表する国会議員か、と驚いたことがなん度かあります。とくに、アメリカとか英国とは違い、知性という部分から評価しようとすると、程遠い人たちが多いですね。でも中には優秀な人がいるんですがね」、「政治は数だから。いくら優秀なのがひとりふたりいてもしようがない。ある程度の政治家たちしかいないとなれば、役人が日本をしょって立つ以外ないのだ」(引用終り)    

 

 

 

 

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