>NEWSポストセブン >【書評】凋落に向かう日本の科学技術を憂える「出る杭を歓迎するアメリカ」との差 >4 時間前
>【書評】『考えよ、問いかけよ 「出る杭人材」が日本を変える』/黒川清・著/毎日新聞出版/1650円
>【評者】山内昌之(富士通フューチャースタディーズ・センター特別顧問)
> 著者の黒川氏は、日本の大学や研究の将来をいちばん憂えている人である。
>日本の学術の悲惨な末路について議論する人は多い。
そうですね。日本人は思考を停止していますね。
>しかし、理屈でなく行動や具体策をわかりやすく示せる人はあまりにも少ない。
そうですね。それは残念なことですね。
我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。
>日本人離れしているだけでない。
>東大教授にはまずいないタイプなのである。
そうですね。東大教授は日本人ですからね。
>著者の主張は明快である。
>一回勝負で決まる偏差値による受験結果から学問や政治や経済のリーダーが出るはずもないということだ。
そうですね。4年間みっちりと英米流の高等教育を受ける必要がありますね。
> 自校出身者を教授採用する悪しき慣習を残す限り、日本の大学ではこれからも優秀な人材は出ない。
そうですね。難関出身者が人間序列を作ってよそ者を排斥するのですね。学閥による社会に対する害毒ですね。
>「出る杭は打たれる日本」と「出る杭を歓迎するアメリカ」との違いは明らかだ。
杭は出なくては個性が表れませんね。自己実現は不可能ですね。
>東大を飛び出てアメリカで内科医学を修めた氏は、ひたすら自前で研究グループと診療体制を作り上げ、競争や他流試合の厳しい世界で勝負してきた。
> 氏は日本の科学技術研究が停滞から凋落に向かっていると断定する。
凋落の原因は、我が国では没個性の教育をしているからですね。
>自然科学を知らない文系政治家が大臣になる日本では、科学技術行政を組織的に展開するすべもない。
理系・文系のいがみ合いは理に合いませんね。何方の系も学問であり理詰めの議論が決着に導きますね。
>欧米の政治家は科学技術に対する関心が驚くほど高い。
>また、基礎研究を軽視して、研究成果の即効性や具体性ばかりを求める国民にも責任がある。
日本語は写生画の言葉と言われていますね。日本人には現実 (事実) があって、非現実 (考え) がないですからね。非現実の内容は写生画にはなりませんね。
>ノーベル賞発表の時だけ異様にはりきる国民とメディアには普段から予算の低さと若手研究者への世間の冷淡さについて批判の矛先を向けてほしい。
そうですね。日本人には批判精神がないから現状維持になりますね。わが国は進歩・前進がないので衰退途上国となっている。
> 他方、学者にも責任の一端があるのだから救われない。
そうですね。国民とメディアと学者の一億総懺悔が必要ですね。
>科学技術関係の研究は、何でもその気になれば軍事研究に転化しかねないにせよ、一部文系学者の思いこみにふりまわされてきた科学研究の一方的規範について、著者からもっと感想を聞きたかった。
科学技術は無色ですね。よく切れる刃物のようなものであって、これを利器とするのも凶器とするのも人間の判断次第ということですね。
> 氏は、“東大脳”なる愚にもつかぬクイズ番組で正解を自慢する程度の学生が入る大学に未来はないと批判したいのだろう。
>それでも、氏の議論はどこか明るい。
>個人として世界で活躍できる次世代の精力的な若者たちを積極的に支援すべきだ、と。
そうですね。海外で教養を身に付けた卒業生を国内で特に優遇すべきですね。彼らを序列社会のつまらない順位争いの犠牲者にするのを我々は放置すべきではないですね。
>こうしたリーダーたちを先頭に立てない限り日本は確実に没落する。
そうですね。日本人にはリーズン (理性・理由・適当) がない。だから、リーズナブルな答えは期待できませんね。
>※週刊ポスト2022年12月16日号
日本語には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから難関出身者たちが社会で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していないことを知っている必要がある。序列順位の比較は没個性的でなくてはならない。だから、その競争は個性の育成には役立たない。
日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。
日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。その程度は序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的には意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。
日本人の政治家にも、政治哲学がない人が多い。だから、我々の未来社会の有様を相手に言って聞かせる術がない。それは非現実 (考え) の内容を盛り込むための構文が日本語に存在しないからである。序列人間は人間の序列を作っていて、上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自分たちの存在を確認し合っている。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことに懸命になる。そして、この種の仕事にやりがいを感じている。無哲学と序列メンタリティの相乗作用により派閥政治は無くならない。周囲の序列仲間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生における楽しみである。だが正一位の獲得は難しい。
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