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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

山岡彰彦氏  

2024-07-07 10:18:27 | 文化

>現代ビジネス   >「こんな無駄な仕事をするんじゃない」 外資系企業で「極端に」嫌われる日本人の「よくやる」こと   >山岡彰彦(株式会社アクセルレイト21代表取締役社長)の意見・   23時間・   

>地方のFラン大学卒で0から営業を始めた著者は、いかにして「日本一の営業」へと大変貌を遂げたのか?   

>「毎日が凄く辛い」「外回りをしている自分が情けない」...消極的に取り組み始めた営業の仕事が天職になるまでには、どんな心境の変化があったのか?   

>人と人との関わり合いである営業で得た「学び」には、どんなビジネスにも活かせるヒントが満載。   

>仕事への向き合い方や他者の心の動かし方に迷うビジネスマン必読の話題作『コカ・コーラを日本一売った男の学びの営業日誌』(山岡彰彦著)から、内容を抜粋して紹介する。   

>『コカ・コーラを日本一売った男の学びの営業日誌』連載第17回   

>『「日本の生産性はずっと低いまま」...外資系企業の上司に教わった「無駄な仕事」を減らす仕事術』より続く   

>手段が目的化…   

>よく「手段が目的化してしまう」という言葉を耳にしますが、私が一緒に働く外国人たちはこのことを極端に嫌っていました。   

 

暇つぶしは外人に嫌われますね。   

 

>それまであまり深くは考えなかったのですが、言われてみると至るところにそういったことを目にします。   

>いままでやってきたことをそのまま続けているけれど、いつの間にか何のためにやっているのかがわからなくなっている……。   

>意外とそうしたことは日頃の仕事でも多くないでしょうか。   

 

そうですね。   

職人仕事などでは、やればやるほどその内容にどんどん興味が増してきますね。   

しかし、費用対効果 (利益÷投資金額×100) が一未満では良くないですね。   

 

>「当たり前になっている感覚」に気をつけなければならないのです。   

>現場で営業をしていた頃、日報という日々の活動の報告書を書くことが仕事の一部でした。   

>どこの店にどんな広告物を何点取り付けたか。   

>どんな商談をして、相手の反応はどうだったのか。   

>こんなことを事細かに所定の欄に書き込み、上司に報告するのです。   

>営業担当であれば、このような報告をするのは当たり前かなと思っていました。   

>その一方で営業所に戻ってくるのが遅い時や早く帰りたい日は、いい加減に書いたりもします。   

>徐々に書くこともマンネリ化して、同じような内容が続くようになります。   

>上司も日報に目を通し、商談について状況を訊いてくることはありますが、細かな項目について話をすることはほとんどありません。   

>日々の活動の中での困りごと、必要なことを直接伝えればよいのではという気にもなってきますが、ルールとして決められていることなので、ずっと日報を書いてきました。   

>仕事と余計な作業   

>ところが日本コカ・コーラ社ではそういったことが一切ありません。   

>逆に頻繁に言われるのが、何のためにやっているのか、それをやったらどんな効果があるのかということです。   

>ある日、資材開発の資料をまとめる時に、必要な情報を集めてレポートにしたところ、一枚で終わってしまいました。   

>なんとなく自分のやった仕事が軽く見られそうな気がして、あればよいレベルの情報を追加して、結構なボリュームでレポートを仕上げました。   

>意気揚々と藤野マネジャーに提出しましたが、レポートを読み終えた彼女は強い口調でこう言ってきます。   

>「誰もこんなことは頼んでないわよ。   

>私が必要なのは最初の一枚だけ。   

>あとは全部要らない。   

>こんな無駄な仕事をするんじゃない」   

 

本当の仕事 (real work) は歓迎されますが、つくられた仕事 (make work) は営利事業者からは敬遠されますね。作られた仕事は失業対策事業のようなものですね。      

 

>一枚だけ書類を抜き取り、残りはバサッと突き返されます。   

>「仕事と余計な作業とを混同しないで。   

>やっていることが目的を達成するためでなければ、それは単なる余計な作業だからね。   

>会社にとっても無駄だし、何よりもあなたがやったことが何も役に立たないなんて、やりきれないでしょう」   

 

そうですね。空しい限りですね。      

 

>なぜその仕事が必要なのか   

>こちらの意図を見透かされているようで汗が出ます。   

>こういったことは、じつに多くの会社で見られることではないでしょうか。   

>毎月のようにまとめているけど誰も読まず、何に使われているのかよくわからないレポート。   

>仕事の効率化のために導入されたはずが、結局のところ手間ばかりが増えてしまっても、なんとなく使っているシステム。   

 

指導者の怠慢ですね。   

 

>外部に委託するほうがいいけれど、いまそれをやっている人の仕事がなくなってしまうので、そのまま継続している業務。   

 

人員整理を伴う社内改革が必要ですね。       

 

>スタートした当初は目的があったのでしょうが、環境の変化で不要になったり、形骸化していることもあります。   

 

現実界は千変万化していますからね。社内には絶えず改革が必要ですね。      

 

>それを見直すことなく、なんとなく作業をしていると、何かしら仕事をしている気持ちにはなりますが、実際には大きな無駄になっていることが少なくありません。   

>仕事においても、自分自身にとっても大切なことは、いま行っていることは自分たちのゴールに向かうためになっているのか、ということです。   

 

そうですね。それは指導者 (責任者) の考えることですね。   

しかし日本人の社会では責任者を見つけることが難しいですね。   

日本人には意思が無い。意思の無い人間には責任が無いからです。   

肥田喜左衛門の著した <下田の歴史と史跡> には、責任に関する下のような事柄が記されています。

徳川5代将軍の治世、佐土原藩の御手船・日向丸は、江戸城西本丸の普請用として献上の栂 (つが) 材を積んで江戸に向かった。遠州灘で台風のため遭難、家臣の宰領達は自ら責を負って船と船員達を助けようと決意し、やむをえず御用材を海に投げ捨て、危うく船は転覆を免れ、下田港に漂着した。島津家の宰領河越太兵衛、河越久兵衛、成田小左衛は荷打ちの責を負い切腹する。これを知って船頭の権三郎も追腹を切り、ついで乗員の一同も、生きて帰るわけにはいかないと全員腹をかき切って果てた。この中には僅か15歳の見習い乗子も加わっている。鮮血に染まった真紅の遺体がつぎつぎに陸揚げされたときは、町の人々も顔色を失ったという。16人の遺体は、下田奉行所によって大安寺裏山で火葬され、同寺に手厚く葬られた。遺族の人たちにはこの切腹に免じて咎めはなかったが、切腹した乗組員の死後の帰葬は許されなかった。(引用終り)  

 

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