>西洋の思想を見ていて、奇異に思うのは、罪の意識がメインテーマにあることだ。
日本人には、罪は分からないことですね。
日本人には、意思がない。意思のある民族は、個人的な加害者意識を経験している。加害者意識は深刻な罪の意識になることもあり、魂の救済を求めざるを得ない状態にまでなることがある。だから、贖罪のための宗教が導入されている。
ちょうど、死刑執行人の場合のようなものである。人は死んでも、彼らは殺人罪に問われない。彼らには、殺意というものがないからである。だから、罪に関する事柄は、意思の有無に関係することがわかります。
>思想の原点ともいえる旧約聖書では、アダムとイブが「善悪を知る木」の実を食べ、神から楽園を追放されること(原罪)から始まり、その子孫が嫉妬や怒り、だましあいから殺人を犯したり、追放されたりする話がたくさん出てくる。
そうですね。たくさん罪を感じる話が出てきますね。
>また新約聖書では、イエスの十字架の死は、神が人間の罪を赦した証であり、人類に対する神の愛の発露であった。・・・とされている。
>つまり人類の罪を代表してキリストが十字架にかけられ、それによって神の赦しがでたということを示しているらしい。(パウロの思想)
キリストは、人類にとってこの上なくありがたい人ですね。だから、神様にまでなった。
>つまりキリスト教とは、罪の観念を個人や集団・民族から人類の範囲までひろげ、人類の罪を神の愛によって救うということなのだ。
そうですね。キリスト教により、人類の罪が救われますね。
>時代は下って、16世紀のルターの宗教改革では、教会の堕落に対して、ルターは唯一絶対のものとして聖書の言葉に従うことを提唱した(福音主義)が、主な主張は、“神は罪に穢れた人間をその恩恵によって罪のない者にする”という内容であった。
ありがたい内容ですね。金の力に頼る必要ないのですね。
>(※現代のアメリカの政界を左右すると言われる福音派の信仰もここに源流がある。) >このように常に罪の意識とそれを裁いたり赦す者として神が登場する。 >それはなぜか?
それは、言語の特性によるものでしょうね。自己の意思を表明すれば、加害者意識を経験せざるを得ません。日本人のように意思がなければ、全て被害者意識だけになります。恨めしい世の中が出現します。
>なぜ人間はもともと穢れているとされ、それに対して神が登場するのだろうか?
人は、汚れを忌み嫌う性質があるからでしょう。全知全能の神しか救いようがありません。だから、神は神なのでしょう。
>罪とは、聖書にもよく出てくる妬みや嫉み、そしてだましあいから必然的に発生するものであって、それらを生んでいるのは自我に他ならない。>つまり強烈な罪意識の背後には、強い自我があり、自我の裏腹として罪の意識が生まれたのではないだろうか?
そうですね。それは、認めざるを得ませんね。自我がなければ、罪の意識もない。無我の境地にいる人には、罪を指摘することが難しい。
>唯一絶対神もまた >>本源集団・本源共認を破壊して自我に収束した西洋人は、非現実の世界に失われた本源価値を(表層観念として)再構築するしかなく、かつそれが自我に基づくものであるが故に独善的・排他的な絶対観念(ex. 唯一絶対神)への思い込み信仰となるしかなかった。(実現論)
一神教の人達は、世界観を持っているのではありませんか。世界観は、非現実 (考え) の内容ですから、不変です。ですから、絶対観念です。
>古代から中世においては、武力・身分秩序によって自我が抑えられ、表に発現しようがなかった。>出口を失った自我は、罪の意識によって内面に抑え込まれ、非現実の唯一神に収束していった。
日本の神は、現実の中にいる。その存在は形により示される。だから、見ることができる。教義は必要でない。
西洋の神は、非現実 (考え) の中にいる。だから、見ることができない。その存在は、文章内容により示される。だから、教義が必要である。
>しかし近世になって、自我の発現の可能性が開かれると、“われ思う故にわれあり”(17世紀デカルト)と都合よく思いこむことで、自我を開放し、その結果、罪の意識は失われ“神は死んだ”(19世紀ニーチェ)のだ。
キリスト教徒は、良かったですね。
>罪の意識と一神教は、感覚的に理解しがたいが、背後に自我を考えると分かりやすい。
日本人には、意思がない。優柔不断・意志薄弱である。加害者意識 (罪の意識) に苦しむことが少ない。自我がない。つかみどころのない人間は、周囲に不信感を漂わせています。
>現代でもアメリカなどが、都合よく神の言葉を使い、自己正当化を計れるのも、そのような構造があるからだろう。
そうですね。都合の良い言葉を使いましょう。意思のあるところに、方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way.
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