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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

様子見

2019-08-14 05:32:23 | 社会


> 日本って、「自分は人見知りなんだ」って自己申告してくる人多すぎませんか? >感覚的には10人中8人くらいが臆面もなく人見知りアピールをしてくるんですけど、本当に日本には人見知りばっかりなんでしょうか?



そうですね。日本語は、相手の上下を知らないと話しかけられませんからね。それを知らせているのでしょう。



>なんでみんなが「人見知り」を自称するのかについて、考えてみました。



それは、興味ある課題ですね。



>■日本はなぜ自称「人見知り」ばかりなのか

>人見知りっていうのは、主に初対面の人間に対してうまくコミュニケーションできない性格のことを指します。



そうですね。



> 子どもなら「恥ずかしがりや」、大人なら「内気」と言われます。



日本人は、本当に、大人になっても恥ずかしがり屋ですね。



>子どもならまだしも、本来いい年をした大人なら「人見知り」であることは決して威張れることではありません。 >それなのに、日本ではみーーーんな「人見知りなんだよね」と申告してきます。 >本当、かなりの確率で。 >なぜみんな堂々と「人見知りだ」と自分から主張するのか。



それは、相手に気楽に話しかけることができないからでしょう。



>人見知りをしないわたしからすれば、ずっと不思議でした。



あなたの場合は、例外に近い日本人でありませんか。



>■自分の立ち位置がわからないと話せない日本人

>そんなわたしですが、『「空気」と「世間」』という本のなかで、おもしろい主張を見つけました。 >日本人は「世間」の保障がないまま、知らない相手とコミュニケイションを取る、ということがひどく不得手なのです



そうですね。日本語には、階称 (言葉遣い) というものがありますから、’上と見るか・下と見るか’ の判断ができないと、正しい日本語は話せませんね。



>「世間」の定義は長くなるので触れませんが、要は相手の立場や年齢を知った上で「自分はどういうポジションで話すべきか」を理解しないと、日本人はコミュニケーションできないというのです。



世間というのは、わが国の序列社会のことでしょうね。



(略)

>■立ち位置がわかれば空気が読める

> そうすると、「なんで立ち位置がわからないと話せないのか」って疑問に思いますよね。



日本語は、欧米の言語とは、違いますからね。



(略)

>でも相手に関してノーヒントだと、読むべき「空気」が形成されていません。>だから「なにをどう話していいかわからない!」っていう人が多いんじゃないかな。



日本人の話題は、一般的な共通認識に基づいています。曖昧な言語を使います。感情的に恣意決定されます。英米人の場合は、情報の内容は言語そのものに基づいています。正確性が必要とされる言語使っています。論理的に意思決定されます。



>■空気を判断するまでの時間稼ぎが「人見知り」

> 「この人と自分はお互いどういう位置に立って話すべきか」が決まらないと、その間に流れる「空気」もよくわかりません。>だから、とりあえず「空気」が形成されるまで様子見をする。



様子見は、日本語という高文脈文化の言語を使う人の特徴でしょうね。



>自称・人見知りでも、接客業をしてる人はたくさんいます。>それは「店員」と「客」という立場がわかっているから話せるんじゃないかと思います。



そうですね。商売は、他人行儀で話をすれば問題無いでしょう。



>■人見知りではない!と言える人は空気を作る側

>じゃあ逆に、「人見知りではない」と言う人は、どういう人なのか。>それは、空気を読む必要がないと思っている人、自分で空気を作れちゃう人です。



そうですね。欧米人は、空気を読まない。日本人は、読む。

それは、高文脈文化と低文脈文化の違いだそうですよ。

我が国のような《高文脈文化》の特徴としては、’言葉以外に状況や文脈も情報を伝達する’。’重要な情報でも言葉に表現されないことがある’。だから、言語機能だけでは、話者は情報伝達に不安を感じています。

欧米のような《低文脈文化》の特徴としては、 ‘伝達される情報は言葉の中で全て提示される’。だから、話者は言語の伝達機能に万全の信頼を寄せている。



>わたしは、日本人にはまったく人見知りしません。> 初対面の人と出会うと、どれだけ早く仲良くなれるかに全力を注ぎます。



それには、使用言語の特性に大きく左右されますね。自分は日本語の短所を克服しても、相手の日本人はそれを見習うとは思えませんね。我々日本人には、もっと大きな改革を必要としているようですね。

我々日本人は、日本語と英語の両言語を良く学び、低文脈文化の言語の特性をも理解する必要がありますね。言語の使い方そのものにも、違った使い方があると言うこと。空気の研究でなくて、言語そのものの研究が必要ですね。これは、これまでの努力の方向の転換を意味します。だから、大きな改革です。



(略)





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