>思考停止からの脱却。>考えても答えが出ない、思考停止に陥るならば、行動してみる。
それは大変なことになりますね。やらない方が良い。思考停止した人では、恣意 (私意・我儘・身勝手) の行動になりますね。これでは、アニマルと同じです。自己の行為に責任が取れません。
>いま必要なのは、行動し、実践し、そこからなにかを学ぶ姿勢。
くれぐれも恣意の行為は、慎むべきです。
>リンク
>「人口減社会」についての論集の編者を依頼された。>21世紀末の人口は中位推計で6000万人を切る。>今から80年間で日本の人口がおよそ半減するのである。>それがどのような社会的変動をもたらすのか予測することは難しい。>いくつかの産業分野が消滅すること、いくつかの地域が無住の地になることくらいしかわからない。>起こり得る事態について想像力を発揮して、それぞれについて対策を立てることは政府の大切な仕事だと私は思うが、驚くべきことに人口減についてどう対処すべきかについての議論はまだほとんど始まっていない。
何事も政府はおっとりしていますね。
>だからこそ、私のような素人が人口減社会の未来予測についての論集の編者に指名されるというような不思議なことが起きるのである。
未来学の専門家は、いないのでしょうかね。
>先日毎日新聞が専門家に人口減についての意見を徴する座談会を企画した。>その結論は「楽観する問題ではないが、かといって悲観的になるのではなく、人口減は既定の事実と受け止めて、対処法をどうするか考えたらいい」というものだった。>申し訳ないが、それは結論ではなく議論の前提だと思う。
そうですね。
>最後に出席者の一人福田康夫元首相が「国家の行く末を総合的に考える中心がいない」と言い捨てて話は終わった。
‘我々は、どこに向かうか’ の哲学的命題には、日本人は答えが出せませんね。我々は、常に無哲学・能天気ですから。
>人口減については、政府部内では何のプランもなく、誰かがプランを立てなければならないということについての合意さえ存在しないということがわかった。
政府部内の無哲学・能天気が明らかになったのですね。わが国は、どこもかしこもこれですね。
>その点では有意義な座談会だった。
‘めくら蛇に怖じず’ ですね。
>出席者たちは「悲観的になってはならない」という点では一致していた。>ただ、それは「希望がある」という意味ではなく、「日本人は悲観的になると思考停止に陥る」という哀しい経験則を確認したに過ぎない。
日本人は、思考停止の状態にありますから、悲観的なことは悲劇的なことに直結しますね。
>わが国では「さまざまな危機的事態を想定して、それぞれについて最適な対処法を考える」という構えそのものが「悲観的なふるまい」とみなされて禁圧されるのである。
瀬戸際作戦では、十分な効果が上がりませんね。
>近年、東芝や神戸製鋼など日本のリーディングカンパニーで不祥事が相次いだが、これらの企業でも「こんなことを続けていると、いずれ大変なことになる」ということを訴えた人々はいたはずである。
そうですね。彼らは、総バカではないはずです。
>でも、経営者たちはその「悲観的な見通し」に耳を貸さなかった。
‘なってみなければわからない’ と思っていたのでしょう。未来の内容は、日本人には見えませんからね。洞察力というものがないのです。
>たしかにいつかはばれて、倒産を含む破局的な帰結を迎えるだろう。
そうですね。大日本帝国の末路のようなものですね。
>だが、「大変なこと」を想像するととりあえず今日の仕事が手につかなくなる。>だから、「悲観的なこと」について考えるのを先送りしたのである。
そうですね。問題の先送りと積み残しは、思考を停止した人たちの常套手段ですね。
>人口減も同じである。>この問題に「正解」はない。
全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。
矛盾を含んでいない文章は、全て正しい考えを示している。だから、正解は一つではない。幾らでもある。
>「被害を最小限に止めることができそうな対策」しかない。>でも、そんなことを提案しても誰からも感謝されない。>場合によっては叱責される。>だから、みんな黙っている。
わが国の論客は、’ああでもなければ・こうでもない’ と言っている。’あれではいけない・これではだめだ’ と力説する。
だが、自分は、どうであるかを言わない。自分には、考えというものがないからである。思考停止が影響していますね。
>黙って破局の到来を待っている。
そうですね。無為無策でいながら、座して死を待つばかりです。
>寄稿は以上。>しかし、これは人口減に限らず、今日本で起きていることのすべてに適用できそうな話である。
そうですね。一般論として成り立ちますね。日本人には、非現実 (考え) の内容が無いので、近視眼となっています。
>公文書改竄事件でも、省庁の各所に「こんなことを続けていたら、いずれ大変なことになる」ということを訴えた人はいたはずである。>でも、要路にある人々は耳を貸さなかった。
要路にある人々には、哲学がない。だから、処世術に頼るばかりである。哲学 (非現実) と処世術 (現実) では内容の次元が違います。
>彼らには耳を貸さない代償に個人的な栄達が約束されていたからである。
現実の優遇を手に入れたのですね。現実オンリーに生きているのですね。ナウな感じよ。
>組織の長期的な信頼性や安定よりも、わが身たいせつを優先させる人々たちが選択的に出世できる仕組みを作り上げたこと、それが安倍政権5年間の際立った「成果」である。
あるべき姿を論ずる人が要路にいない国ですね。これが序列制度の活用法の成果ですね。
>それで日本社会がどれほど損なわれたのか、被害の規模と深さを思うと気が遠くなりそうである。
そのうち、何とかなるだろうと想像しているのではないですか。被害の計算は、得意ではないようですね。
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