問題を解決する時には、その方法が必要である。
そして、その方法は、意思のあるところにある。Where there’s a will, there’s a way.
ところが、日本人には、意思がない。
意思は、未来時制の文章内容である。そして、その未来時制は、文法の ’時制’ (tense) の中にある。英文法には、時制があって、日本語文法には、時制というものがない。だから、英米人には意思があり、日本人には、意思がない。その違いには、歴然としたものがある。
解決すべき問題が起こった時にも、日本人は注意力を ‘意思’ の内容に集中させることができない。そして、解決が遅れる。悪い場合には、自滅を余儀なくされることもある。
意思と解決法に関する例を下に三つ掲げます。
A ペリー提督は、日本人はアメリカ人のように敏速に行動しないと注意された。それは、このように説明された。数人の日本人が黒船を訪れたいと思って集まったとする。一人が「いい日だな」という。これに二人目が「なんという気持ちのいい日だ」と調子を合わせる。三人目が「波も見えないぞ」という。最後に四人目が「船に行ってみようじゃないか」と提案する。 ニューヨーク・デイリー・ニューズ (1854年6月13日)
意思のある人には、責任がある。ところが、意思の無い日本人にも、’責任’ という言葉はある。解決方法も持たない人たちの間を ‘責任’ という言葉が独り歩きをする。言葉を持たないアニマルにその責任を問うようなものになる。そこには、牛馬の苦しみがある。だから、日本人にとって、’責任’ という言葉は、恐ろしい。
B 肥田喜左衛門の著した <下田の歴史と史跡> には、責任に関する下のような事柄が記されています。
徳川5代将軍の治世、佐土原藩の御手船・日向丸は、江戸城西本丸の普請用として献上の栂 (つが) 材を積んで江戸に向かった。遠州灘で台風のため遭難、家臣の宰領達は自ら責を負って船と船員達を助けようと決意し、やむをえず御用材を海に投げ捨て、危うく船は転覆を免れ、下田港に漂着した。島津家の宰領河越太兵衛、河越久兵衛、成田小左衛は荷打ちの責を負い切腹する。これを知って船頭の権三郎も追腹を切り、ついで乗員の一同も、生きて帰るわけにはいかないと全員腹をかき切って果てた。この中には僅か15歳の見習い乗子も加わっている。鮮血に染まった真紅の遺体がつぎつぎに陸揚げされたときは、町の人々も顔色を失ったという。16人の遺体は、下田奉行所によって大安寺裏山で火葬され、同寺に手厚く葬られた。遺族の人たちにはこの切腹に免じて咎めはなかったが、切腹した乗組員の死後の帰葬は許されなかった。(引用終り)
思考を停止している人間には、上からの入れ知恵が必要になる。上から言われたことをただひたすらに繰り返して事の成否にかかわらず自己満足するのが日本人の習わしになっている。
C <日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。
私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)
我々日本人は、日本語と英語の両言語を良く学び、言語における ‘時制’ の重要さを十分に深く理解しなくてはならない。
英米人は、日本語を話しても日本人特有の閉塞感に襲われることはない。彼らには、考え方は他にも幾らでもあるからへこたれることはない。
我々もこうした英米人のやり方に従って言葉を整えれば、自己の意思と世界観を表現することが可能になる。さすれば、外国人からも信頼され、自己の狙いにも賛同者が得られる。国際的に協力者を得て未来社会の建設に着手すれば、人類の進歩に多大な貢献できます。
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