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同質集団

2019-09-03 15:32:20 | 文化

(略) >――――以下、リンクより引用――――
> 2018年6月21日の『日本経済新聞』に、こんな記事が載った。タイトルは「経団連、この恐るべき同質集団」。>その内容は、経団連の正副会長一九人の構成を調べたものだ。>全員が日本人の男性で、最も若い人が六二歳。>起業や転職の経験者がゼロ。>つまり、「年功序列や終身雇用、生え抜き主義といった日本の大企業システムの中にどっぷりとつかり、そこで成功してきた人たち」だとこの記事は報じている。

そうですね。縦社会 (序列社会) における典型的な人事ですね。

>この記事は、19人のうち「会長以下12人が東大卒。 >次いで一橋大が3人、京大、横浜国大、慶応大、早稲田大が各1人だった」とも述べている。 >京大をのぞいて、すべてが首都圏の大学卒業生ばかりであることも、この記事は問題だと指摘している。

なれ合いの人事ですね。日本人には、意思がない。だが、恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。意思は、文章内容であるから意味がある。だが、恣意は、バラバラな単語 (小言・片言・独り言) のままであるから意味がない。意思疎通の代わりに恣意疎通 (阿吽の呼吸・つうかあの仲) がある。意思決定 (理性判断) の代わりに、恣意決定 (盲目の判断) がある。議論の代わりに、談合 (腹の探り合い) がある。これら全てが、問題である。裏社会の問題の様相を呈していますね。

>ただし、卒業した大学名は詳細に記されているが、学部や専攻については何も述べていない。>学校名は問題だが、何を学んだかは問題ではないのだ。

そうですね。序列判断には、大学名だけで十分ですね。日本人には、なるべく分かりやすい序列の方が良い。

>なぜこうなるのか。>そこには、どういう原理が働いているのか。

日本人にとって、序列観念は強迫観念になっているのでしょうね。’人を見損なってはいけない’ ということで、上下判断の虜になっています。

>そうした「日本社会のしくみ」は、いつの時代に、どうやって形成されたのか。

それは、日本語ができた時期から始まったものでしょうね。

>それは、他の国のしくみとは、どこがどう違うのか。

ラテン系は、家族単位でしょうね。中国人もそうかな。

> (中略) >つまり、①何を学んだかが重要でない学歴重視、②一つの組織での勤続年数の重視、という二つが、「日本社会のしくみ」を構成する原理の重要な要素と考えられる。

そうですね。一旦序列順位が決まると、あとは簡単に事が運ぶ仕組みですね。だから、序列順位の争いが激しくなる。新参者は、末席に座るのが決まりですね。

>またこうした「日本社会のしくみ」は、現代では、大きな閉塞感を生んでいる。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. ところが、日本人には意思がない。だから、仕方がない。無為無策でいる。大きな閉塞感を生んでいる。短調のメロデーが良く似合う。古賀メロディ―が好きである。
意思 (will) は、未来時制の文章内容である。日本語の文法には、時制 (tense) というものがない。だから、日本語の脳裏には未来時制は無く、日本人には意思がない。

>女性や外国人に対する閉鎖性、「地方」や非正規雇用との格差などばかりではない。 >転職のしにくさ、高度人材獲得の困難、長時間労働のわりに生産性が低いこと、ワークライフバランスの悪さなど、多くの問題が指摘されている。

そうですね。序列制度は、没個性と表裏一体をなしていますね。個性撲滅の社会ですね。

>しかし、それに対する改革がなんども叫ばれているのに、なかなか変わっていかない。>それはなぜなのか。

それは、日本語の特性によるものでしょう。原因の究明がなされなければ、叫び声だけでは変わりませんね。

>そもそもこういう「社会のしくみ」は、どんな経緯でできあがってきたのか。

日本語には、階称 (言葉遣い) というものがある。世俗的な序列判断ができないと、日本語の日常会話にも差支えが出て来るほどである。
そのうえ、日本人の礼儀作法は序列作法になっているので、世俗的な ’ものの上下’ の心得がなくては、礼儀正しい日本人にはなれません。その代わり、序列なきところでは礼儀なしです。
‘人を見損なってはいけない’ という想いが強迫観念の域に達していて、日本人は肩苦しい日常生活を送っています。それで、’頑張って’ とか、’お疲れ様’ という表現が合言葉になっている。アメリカ人のように、’Take it easy.’ (のんびりやれ) とか ‘Good luck!’ (うまくやれ) が挨拶とはならない。

> (中略) > 慣習とは、人間の行動を規定すると同時に、行動によって形成されるものである。

そうですね。礼儀作法のようなものですね。その作法は、個人の意思の表れとは言い難い。

>(中略)行動の蓄積で定着する。>だがいったん定着してしまうと、日々の行動を規定するようになり、変えるのはむずかしい。> 人間の社会は、その社会の構成員に共有された、慣習の束で規定されている。

そうですね。言葉遣いが固定されますと、序列関係も固定されますね。’天皇陛下’ と呼ぶか、’ヒロヒト’ と呼ぶかの違いですね。

> (中略) >これまで労働史などにおいて、日本の雇用慣行の歴史は数多く研究されてきた。>しかしその多くは製造業のブルーカラー労働者を対象にしたもので、ホワイトカラーの歴史研究は比較的少数であり、官庁や軍隊の雇用慣行は研究対象になってこなかった。

戦時中の官僚は、’省益 (陸軍省・海軍省)あって、国益 (大日本帝国) なし’ でしたね。今でも、その伝統は続いていますね。

>官庁や軍隊は経済活動ではなく、したがって労働史や経営史の対象外だったからであろう。>そのため、日本企業の慣行が官庁や軍隊と似ていることが断片的に指摘されてきたにもかかわらず、それが経済史から探究されることはほとんどなかった。

序列人間は、何処に行っても序列人間ですね。労働と、経営の区別はありませんね。

>また官庁を研究する行政学や行政史は、官庁の慣行が民間にどう影響したかには関心が薄かった。>二つの学問体系のはざまで、この点は盲点になっていたのである。

わが国は文化国家ではあるが、文化人類学が弱かったのですね。

>また教育学者や経済学者は、日本の雇用慣行における学歴重視を批判してきた。

そうですね。無哲学・能天気の人達が、学歴を重視するとは皮肉なものですね。

>しかし彼らは、日本の雇用慣行における学歴の機能を分析する点において、十分ではなかった。

そうですね。学歴とは、単なる序列の言い換えにすぎませんからね。

>そのため(中略)企業や労働者が学歴を重視したからこそ、職員と現場労働者の平準化がなされたという逆説は注目されてこなかった。

同次元序列の争いを目的とした日本人の教育は、ロボットの製造に適していますね。

(略)


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