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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

小池知事の激怒

2016-10-05 11:51:58 | 政治
>東京都の小池百合子知事が、都幹部に激怒している。豊洲新市場(江東区)の「盛り土」未実施問題の内部調査では、結局、地下空間の設置を決めた時期や責任者を特定できなかったのだ。

‘日本語には主語が無くても、それがわかる’ と説明する人がいる。「誰が」「いつ」「何を決めたのか」が関係者に答えられるのか。
意思が無ければ、受身形で発想するしかない。’決まった、決まった’ と言って安心している。’誰が’ 決めたかを言っていない。思い煩うこともない。
「当事者意識が欠落している」ということか。自己の意思を表明すれば、当事者になる。それをしなければ傍観者になる。日本人には意思がない。意思は未来時制の文章内容で、日本語には時制というものがない。だから、日本人には意思がない。優柔不断、意志薄弱に見える。無意思は我が国の無責任体制の根幹をなす。都幹部も知的障害に見えることがあるのかな。

>主語は、日本語の場合いつも必ず表記されるのではありません。たとえば、次の文を見てみましょう。
>「右へ右へとハンドルを切った。」
>「誰が」「何が」という文節がありませんね。これでも立派に文として成り立つのです。
>英語は必ず主語がありますね。「I,He,She,That」のように、必ず主語がつくのが英語の特徴です。しかし、日本語はそうではなく、主語が抜けていることが多いということを忘れないでくださいね。



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勉強脳

2016-10-03 21:52:39 | 国際・政治
>「本音には社会性が無い。だから建前は大切」という議論はよくある。

そうですね。本音は恣意 (私意・我がまま・身勝手) でしょう。だから、社会性はありませんね。
建前は規則ですからね。人々は規則正しい生活をすることになります。

>本音で社会が統合できないなら、人類は常に本音を押し殺し建前で社会を作らなければならなくなる。

‘不自由を常と思えば不足なし’ ということですね。規則づくめの生活ですね。

>そうなれば何らかの建前に収束していくのも当然であって、本能や共認を否定・捨象して出来合いの観念に飛びつく。(「勉強脳」が大人になっても継続し得る背景ではないか)

出来合いの観念を暗記する方法が、一番容易な処世術ですからね。詰め込み教育はなくなりませんね。

>しかし、建前という観念では統合できなくなった社会にあって、照準を当てるのはむしろ本音の方だ。

昔からの仕来りでは、新しい世の中の矛盾を克服できないですね。
恣意は言葉にならず、腹の中に落ちて、その底に溜まる。そして、腹芸の原動力になります。

>そして、本能や共認からできている「本音」と、そこに混入している自我を理解して、その発現をコントロールできれば、新しい社会を作るための観念群を構築していけるはずだと思う。

お仕着せのご法度でなく、自己の哲学を構築するのですね。未来社会が開けるでしょう。

>われわれは自我を恐れず、本音で議論しあうべきだ。

Brain storming (自由に思い付きを出し合う会議法) ですね。閉ざされた社会の打開策になると良いですね。

 

http://plagmaticjam.hatenablog.com/entry/2016/09/24/173114


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