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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

同調圧力

2016-10-10 06:30:37 | 教育

>日本人は学校教育からして、「自分の意見を殺して他人に合わせる」という意識を徹底的に行う場所である。

学校は、学生が先生に教えを乞うところである。各人が自分の意見を言わなければ、暗記する内容もそれだけ少なくて済む。

> 学校教育が「自分の意見を殺して他人に合わせろ」と教育している。そして、もはや「他人に従う」という意識は日本人の無意識にまで刷り込まれていて、それが日本人気質にまで昇華してしまっている。

自分で考えるのは骨が折れる。他人に従うほうが楽である。結果の責任は、だれが負うのでしょうかね。

>日本人が意見を言わないのはなぜか。

それは、意見が無いからでしょう。

>それは、その意見が他人と違ったものであれば恥ずかしいからである。

人前で出鱈目を言うのは恥ずかしい。それは誰でもそうである。自分固有の話の筋を得意とした経験がない人達ばかりである。

>多数意見に同調するために多数意見がはっきりするまで黙っている。
>そして、「みんながこう考えている」というのが分かれば、安心して、その方向に沿った意見を言い始める。これが同調圧力をますます強いものにしていく。

付和雷同ですね。寄らば大樹の陰か。

> 同調圧力というのは「無言の圧力」のことである。無言の圧力を無意識に感じ取って、無意識にそれに従ってしまう。

空気を読むのですね。歌詠みは、気分・雰囲気に敏感ですからね。そのことに専念します。一生を賭けます。

> 「これが多数意見だ」「これが国際社会の意見だ」「大勢がこう考えている」「大勢がこれに賛成している」「アンケートの結果、多数意見はこうなのでそうしなければならない」
> 「多数派に支持されている」という同調圧力を絶対正義のように振りかざして、マスコミは私たちに襲いかかる。

多数決は民主主義ですね。民主的か、衆愚的か、それはどうして決まるか。矛盾の有無は、どのような過程で判明されるのか。

>私たちが異論も持っても、それは個人攻撃やレッテル貼りや完全無視や歪曲で対処されて、結果的に沈黙せざるを得なくなってしまう。

わが国には、話の筋を追い求める習慣がない。理性主義はダメですね。日本人は、気分・雰囲気で踊りだす。

山本七平は「『空気』の研究」のなかで、理性に弱いことを指摘しています。
「驚いたことに、『文藝春秋』昭和五十年八月号の『戦艦大和』でも、『全般の空気よりして、当時も今日も(大和の)特攻出撃は当然と思う』という発言が出てくる。この文章を読んでみると、大和の出撃を無謀とする人びとにはすべて、それを無謀と断ずるに至る細かいデータ、すなわち明確の根拠がある。だが一方、当然とする方の主張はそういったデータ乃至根拠は全くなく、その正当性の根拠は専ら『空気』なのである。最終的決定を下し、『そうせざるを得なくしている』力をもっているのは一に『空気』であって、それ以外にない。これは非常に興味深い事実である。」と書いています。



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