原田芳雄さんが亡くなった。
昨日、その事実を知った時は、言葉を失ってしまった。
原田芳雄さんとは、助監督の時に3度ほど仕事したことがある。
ご自宅にも、作品の打ち合わせと、餅つき&大宴会にもお邪魔したことがある。
仕事をしたなかで、印象に残っている作品は、「鬼火」(監督・望月六郎)。
芳雄さんは、出所したばかりのヒットマン国広の役(主役です)。全編大阪ロケの作品だった。
ちょうどアトランタオリンピック開催中だった。
俺はその時、チーフ助監督でスケジュールをたてていたのだが、夜明け前出発を繰り返す俺に、芳雄さんが「中村、俺はにわとりじゃないんだ」と言われたことをよく覚えている。
「映画はどう“遊ぶ”かだ」というふうなことを常々語っていた芳雄さんにとっては、撮影期間の短い現場は大変だったと思う。俺は「いや、まあ、へへ」と頭をかきながら情けない対応をしていたが、芳雄さんは、そうは言いながらも、きっちりとスケジュールに対応してくれた
撮影もなかばを過ぎた頃(たぶん)、その日は、国広(芳雄さん)が二人を殺すシーンの撮影予定。ナイトロケでかなり遅くまでの撮影になる予定だった。
朝の準備の時に、セカンド助監督があわてた様子で走ってきた。「原田さんが『今日の撮影は早く終わるから、ホテルに戻ってマラソン(五輪の)が見れる』と言ってるんですけど」。
「何を考えてるんだ!芳雄さん、今日マラソンなんか見れるわけないだろう」と思いながら、あわてて芳雄さんのところにすっ飛んでいった。
芳雄さんが言うには「国広(芳雄さんが演じる役名)は、殺す時はすぐ殺すから。追っかけたりしないよ」
なるほど、その通りだ。
脚本では、ビルの表で1人を殺した後、逃げるもう1人を追いかけ路地裏で殺すことになっていた。ロケハンした結果、料亭の表で1人を殺し、逃げるもう1人を追いかけ、すぐ近くの公園で殺すことになってた。
芳雄さんとしては、ヒットマンである国広は何のためらいもなく料亭の前で二人とも殺すよ、みすみすその場から逃がすようなことにはならないよ、ということだったわけだ。
「その通りだ!」と思い、監督・プロデューサーも呼んで話し合った結果、全員が納得し、芳雄さんが言った形になった。
撮影した映像は、明らかに予定していたより、いいシーンになった。
おかげで、スタッフもマラソンが見れたはずだ。
亡くなった翌日に、殺す殺すと、物騒な文面になってしまったが、芳雄さんを語り、作品を語ることがせめてもの供養かと思い、書き記しました。
それにしても、芳雄さんは体がすごく柔軟だったのを思い出す。地方ロケのホテルやご自宅で飲んだりする時、ストレッチをしながら飲まれていたが、当時の俺なんかよりはるかに柔軟だった。そんな姿を見て「若いなあ、このオッサンは」と思ったものだ。
原田芳雄さんのご冥福をお祈りします。