京都大原紫葉工房便り

京都洛北・大原の里のしば漬屋から、毎日!情報発信。

石垣にビビッときました。

2008-06-20 10:53:59 | 北陸の石垣。
先の日曜日。
小浜(福井県)方面にドライブ。

そう。
あの、オバマ氏応援している小浜市です。
(ほんとに、応援グッズ?なるものも作ってはります)

子達に雄大な日本海を見せるべく
若は、小浜市中心地から東方面・・・
名勝・蘇洞門(そとも)めぐりで有名な半島
久須夜ガ岳エンゼルラインに向かいました。

妻!
胃腸不良の為
シートを倒して、外を眺めていましたが。

行きしな
しっかりチェックしていたのが
こちらの石垣。



国道から
民家をはさんで数十メートルの所にありましたが
存在感ある石垣

城跡みたいやな~
と思いながら通り過ごし。

(エンゼルラインの記事はまた次回)

帰り際
子達と若!は
小浜の総合公園に行って
ひと遊び
(妻!は寝てました)
立派なアスレチックがあって
高学年でも遊びがいのある公園だったみたいです。

公園から帰ってきたら
4人ともご機嫌さんだったので
「小浜城跡」の看板に従って
(この看板も行きしなにチェックしていた)
例の石垣の所まで行ってもらいました。
(着いたら、ココだったというわけです。合点!)

小浜城は
明治の廃藩置県の際も取り壊しを免れたようですが
失火にて消失
その後
小浜神社が建立されました。



あちこち
ご近所さんの立ち話
手入れしているおじさん
自転車で通り抜ける子達・・・
地元で愛されている神社、という感じです。



こちらが、元の縄張り図。

現在は
二つの川の
橋に従って、国道があり
河川改修で川幅が広げられ
本丸が姿を残すのみです。

本丸が神社の敷地になっており
外側は住宅地になっていました。
(城内・雲浜という名前が地名に残ってます)

小浜城に代々居住していたのは
酒井氏

江戸初期に大老として活躍した
酒井忠勝を始祖としています。

知らなかった~
酒井忠勝の名は
何となく、いろんな本で目にしていますが
小浜藩の人だったなんて!

まあ
この人、常に江戸幕府に出仕し
小浜に帰ったのは十数回
延べ9ヶ月ほどといいますから
立派な企業戦士
エリートサラリーマン?というべきでしょうか?

基本的に日本海側の小さな町ですが
着実に地位を保ってきた感があります。
(でないと、こんなに綺麗に石垣も残されていないでしょう)

明治維新後の失火で
お城が消失してしまったことは残念ですが

残っていたら
越前・丸岡城ほどの名城として
君臨していたはずでしょうね~。
いやはや惜しいことです。

次回
じっくり石垣について投稿します。
(新しいSDカード買ったので、どんどん撮りまくってます。)