京都大原紫葉工房便り

京都洛北・大原の里のしば漬屋から、毎日!情報発信。

越前大野城に行く。(その1)

2008-10-07 22:43:35 | 北陸の石垣。
だんだん話が古くなってきましたが・・・
9月27日土曜日
福井に行ったときの話です。

当日の宿泊予定地が
福井市から奥に入った山間部
九頭竜ダム手前の
勝山市・六呂師高原

最初に決まっていたのは
そのことだけでしたから

その目的地に向かって~
美味い昼食を食べて
どこか城跡など行けないだろうか

かなり自己中心的な計画を立てる為
リサーチを開始しました。
(というわけで、いつも計画を立ててるのは私です、ワニさん。)

我が家を出発してから
城跡と言えば
有名なところだけでも
敦賀(大谷吉継の居城)・金ヶ崎・福井・北ノ庄・・・
それに朝倉氏関係・神社仏閣含めると
犬も歩けば棒にあたる状態

これは、立派な石垣に出会える予感で
ワクワクしてきました。

歴史的には
やはり
お市の方・柴田勝家が最期を遂げた
北ノ庄城が良いかな~
(ほとんど残ってませんが)

それとも
すぐ近所の福井城が良いか・・・
(ともに、福井市中心部にあります)
徳川家康次男で、二代将軍の兄
結城秀康が初代福井藩主となっており
当然お城も立派なものだったろうと推測できます。
今は、石垣・お堀しか残ってないそうですが
規模が大きいだろうことは間違いありません。

他にも
地元ゆかりの朝倉氏関係の史跡や
永平寺・白山神社平泉寺など
見所満載です。

ひじょ~に迷いましたが
結局決まったのは
越前大野城でした。

ずばり
福井北インターから
宿泊地の六呂師高原までの
最短コース沿いにあるお城だったからです。

子達の目的は
あくまでキャンプでしたから
逆走・遠回りなどしたら
どんなにゴネ倒すことか分かりません。
(というか、出発して小一時間ほどで
 「まだ着かないのか?」と騒ぎ出した奴ら・・・)

大人だけの旅行なら
加えて、上記紹介した全ての城、回れそうでしたが
(城に興味ない人には相当苦痛でしょうけどね)
泣く泣く諦めました。

てわけで

朝、大原を出発してから
大野市に直行
約三時間で到着
開店直後の蕎麦屋で昼食を済ましてから
越前大野城に登城、とあいなったのでございます。

蕎麦屋のある七間通りを含め
大野市街は
越前大野城のある亀山を中心にして
碁盤の目状に発展してきた街です。



街からは、こんな風にお城が見えます。
ちょうど、彦根城に似ていますね。


(こちらは、去年9月に行った彦根城
 やっぱり似てます)

平山城・・・
山の地形を生かした構造

てことで
登るのに、結構時間がかかります。

山麓の無料駐車場に駐車してから
南登り口から入城しました。


(入り口に復元されている搦手門)


(亀山公園の案内図)

南登り口は、地図・中央下
そこから天守閣まで歩き
反対側の出口に下山して
ぐるーっと回って
元来た駐車場
(以上・赤線で示したコースです)

結構良いハイキングになります。



登り口から天守閣までは
ずっとなだらかな坂道が続いています。

公園内には
二箇所?
子供の大型遊具も設置してあって
思わぬご褒美に
子達、大喜びでした。



大人の足で5~10分ほどで
本丸に到着です。


(本丸虎口跡)

この門は、城下より移築されてきたそうで
たしかに
登り口の門に比べると
だいぶん古めかしい感があります。



勇壮な城が姿を現したぞ~



あとから調べて分かったことですが
こちら
天守台南側には「お福池」という池があるそうです。

たぶん、写真手前の垣・立て看板がしてある所がそうみたいです。
気付かなかった~
子供連れてると、そこまで気が回らないんですよね・・・

この「お福池」
初代城主の正室の名前が付けられたそうで
今でも一年中水が湧き出しているそうです。
(ちゃんと見てくれば良かった~)

この場所
(門から本丸に入った場所)
天守閣の向きから言うと
正面ではなくて
(もう一つの登り口からだと、正面から入れる)
天守閣の向かって右方向の側面になります。



天守閣の建っている天守台に登るには
直接ではなく
手前の武器櫓に登ってから向かうような構造になっていました。
(戦国時代の知恵でしょうか)


(手前が武器櫓~
 奥の石垣を通って天守台に向かいます)


(武器櫓跡から天守台を眺めた写真)

武器櫓は、L字型になってますね。


(武器櫓から、市街地を眺めた・・・)

田んぼの白くなった部分は蕎麦畑!
今の季節の北陸風物詩ですね~

ちなみに
この写真の左側中央に見えている山には
戌山(いぬ)城跡があります。

大野城の歴史と併せ持って説明しますと

古来、戌山城が地元朝倉氏の居城として機能していたのですが
朝倉氏滅亡後
越前の一向一揆平定の功績として
金森長近がこの戌山城に入封してきました。

しかし、交通の便などを考えて
長近は、隣の亀山に大野城を新たに築いたため
こちらの戌山城は廃城となりました。

180mの高さの山城跡だそうで
亀山が亀ならば
戌山が犬ほどの
大きさの違いがあります。
(そういう名前の由来なんでしょうか・笑)



武器櫓から天守台にかかる石橋
天守閣の後ろ側に通じています。



戦争勃発の際は
石橋を取り壊して、外部の侵入を防ぐ、というわけですね。



それにしても良い景色。
石垣から落っこちたら・・・なんて考えると
ちょっと恐いですが

この綺麗な石垣の上に
公衆トイレが建っており
その向かいに天守閣の博物館の入り口
(天守閣の裏側ですが)

子達がどんどん先に進むので
結局中の見学はせずに
通り抜け
天守閣の正面に出ました。