ほどほどに
崩壊する前のソ連共産ガチガチの党員は宗教の信者とは変わらない。建前というのか、教義というのか、第三者から見ればおおよそ滑稽であるとさえ思われるものを真顔で信
奉している。
つまりひとつの考え方に縛られてとらわれているのである。自由な考え方はしない。できない。それを信じることによって生きる力を得ているのかもしれないが、そこまでしなくても、もっとあいまいでいいのではないか、不徹底でいいのではないかというのが平々凡々の一般大衆の考え方だと思う。
そしてその程度、つまり何事もひとつのことにカンカンになるのではなくてほどほどにというのが1番凡庸ではあるが、幸せで自由な生き方であろうかと思う。
崩壊する前のソ連共産ガチガチの党員は宗教の信者とは変わらない。建前というのか、教義というのか、第三者から見ればおおよそ滑稽であるとさえ思われるものを真顔で信
奉している。
つまりひとつの考え方に縛られてとらわれているのである。自由な考え方はしない。できない。それを信じることによって生きる力を得ているのかもしれないが、そこまでしなくても、もっとあいまいでいいのではないか、不徹底でいいのではないかというのが平々凡々の一般大衆の考え方だと思う。
そしてその程度、つまり何事もひとつのことにカンカンになるのではなくてほどほどにというのが1番凡庸ではあるが、幸せで自由な生き方であろうかと思う。