声楽家藤村実穂子の場合 2
朝日新聞に声楽家藤村実穂子氏のことが載っていた。心にひびいたことを
箇条書きにしてコメントをつけてみた。彼女はオペラ歌手である。自分が東洋人だという差別をはねのけて、現在の名声を得た人である。感想を一言ことで言うならば哲人である。求道者である。徹底人である。僕は到底こうなれないし、成ることを望まない。ぬるま湯に浸かっている方がどれほど楽で気分がよいか。その味を知っているからである。ぬるま湯に浸かりながら一旗揚げたいと願っている虫の良い男である。
1,みんなの要となるため、自分がどう動き、歌い振る舞うべきか。これを見抜くためにすべての勉強がある。
強烈な自己中である。しかし主役の座を守るためには当然のことだろう。幸い僕には主役になる強烈な望みもそういう能力もない。
2,痛み、を意味する。シュメルツ
初恋の痛み、ちょっぴり甘いそよ風のように
深い愛を失った痛み、心に突き刺さる突風の様に
この意味は分かる。言葉では痛みだが中身は千差万別だ。歌を歌う時にはこの辺のニュアンスを出すように指導はしている。
3,葛藤が芸術に生きる覚悟を与え、芸の喜びを何倍にしても返してくれた。様々な人を受け入れる。それが芸術家として生きることなのだ。
確かに芸術家はつらい思いが多い。だがそれは幸せと背中合わせである。つらい思いとそれを倍する深い喜びが対になっている。
4,歌手は死ぬまで歌い続けてこそ。楽譜を1000回見たら、1000回新しい世界を見つけるそんな感性の鋭敏さをどこまで。持ちつづけることができるがが勝負、
すごい迫力だ。しかし100回は100通りだから、皆同じではない。その差を見つけて至上を目指す。そう言う修業が大切だ。
自分にはこういう力がある。と思えるようなところは、私の中にはどう考えてもないような気がする。理屈が判るが実行はおそらく出来ないだろう私くらいの根性では。
5,生きている限り、自分を良くしたいと願う。すべての経験をありがたいと思う。
誰だってそう思っている。だが全ての経験をありがといと受け止めることが出来るだろうか(ひどいダメージを受ける経験をするとその苦痛にうち負けて悲鳴をあげ神仏さえも恨むのではないか。やつ当たりするのではないか
6,困難にぶつかったら、天から、宿題をいただいたと思う。
このように受け止められる精神を作るのが芸術の本筋かも知れないが、凡人には出来ない事だ。この次元になると宗教的な次元だろう。
しかし心からそう思えるならばなんと幸せなことだろうか。全てを宿題と受け止める前向きの姿勢には負けはない。
7,いかに死にたいかを常に考えている。これこそが自分の人生を生きるということ。また、自分の人生に、向き合うことということだから、
之は私もよく考える。しょっちゅう考えている。死と言うものが不可知なものである以上、人間には生しかないと考えるからである。死から出発して生の今を考える事は積極的な生き方にとっては非常に重要なことだと思う。
不可欠だとも思う。