昭和20年8月14日
翌15日は終戦である。
その前日14日に爆撃編隊は大阪砲兵工廠に1t爆弾の雨を降らせた。
その反れ弾が京橋駅周辺に落ちた。
JR京橋駅は片町線と環状線が交差している。乗降客は多い。空襲警報をきいて人々は、高架下に退避した。またある人は近くの防空壕に退避した。
そこへ流れ弾が直撃した。1トン爆弾の威力はすごいもので直径10m余りの池が出来たそうである。これが繰り返し繰り返し行われたので、避難した人々はほぼ全滅状態だった。
彼女は当時女学生。学徒動員で砲兵工廠近辺でこの空襲に遭い、数少ない生き残りである。とにかくその惨状はとても言葉にはならなかったと当時の様子を振り返る。その思いを詩に託した。
防空壕では爆弾が炸裂する度に地面が揺れて地震が起きた。よくぞ助かったものだという思いを胸に、彼女はまぶたに焼き付いた惨状を37年ぶりに新聞に投稿した。
ああ祈るのみ
亡き魂を 鎮めて匂うユリ白し
戦い済めど 傷跡の
深くのこりし 幾年月
ただ安らかに眠らせと
魂に捧げて 祈るのみ ああ祈るのみ
2番3番略
この事は毎日新聞で知った。いつものことでじっとしていられない。
早速ピアノにむかって曲作りを始めた。そして「ああ祈るのみ」ができあがった。勿論慰霊祭に奉納演奏した。
僕の心のどこかに反戦平和の叫びがあるのだろうか。こういう種類の曲は20曲を軽くこえている。ちょっと幅を広げるなら70曲ほど作曲した。
人間の運命というものはホントに分からないものである。14日といえば
たった1日違いじゃ無いか。失わなくても済む命を奪われた人々についての哀悼、哀惜の情は尽きることがない。お気の毒だという気持ちに怒りが重なり
悲しみあふれる曲になった。
元々心情的に悲しくなる遺族や心ある人々の心に、僕の曲は届いた。演奏期間中幾人のも人が涙を流した。そして僕は自分の想いが人々の心情に寄り添って悲しみを共有していることに気がついた。
11日に放送でこの曲を流し、話をしようと思う。特に若い人達に語り伝えたい反戦平和の思いを。
翌15日は終戦である。
その前日14日に爆撃編隊は大阪砲兵工廠に1t爆弾の雨を降らせた。
その反れ弾が京橋駅周辺に落ちた。
JR京橋駅は片町線と環状線が交差している。乗降客は多い。空襲警報をきいて人々は、高架下に退避した。またある人は近くの防空壕に退避した。
そこへ流れ弾が直撃した。1トン爆弾の威力はすごいもので直径10m余りの池が出来たそうである。これが繰り返し繰り返し行われたので、避難した人々はほぼ全滅状態だった。
彼女は当時女学生。学徒動員で砲兵工廠近辺でこの空襲に遭い、数少ない生き残りである。とにかくその惨状はとても言葉にはならなかったと当時の様子を振り返る。その思いを詩に託した。
防空壕では爆弾が炸裂する度に地面が揺れて地震が起きた。よくぞ助かったものだという思いを胸に、彼女はまぶたに焼き付いた惨状を37年ぶりに新聞に投稿した。
ああ祈るのみ
亡き魂を 鎮めて匂うユリ白し
戦い済めど 傷跡の
深くのこりし 幾年月
ただ安らかに眠らせと
魂に捧げて 祈るのみ ああ祈るのみ
2番3番略
この事は毎日新聞で知った。いつものことでじっとしていられない。
早速ピアノにむかって曲作りを始めた。そして「ああ祈るのみ」ができあがった。勿論慰霊祭に奉納演奏した。
僕の心のどこかに反戦平和の叫びがあるのだろうか。こういう種類の曲は20曲を軽くこえている。ちょっと幅を広げるなら70曲ほど作曲した。
人間の運命というものはホントに分からないものである。14日といえば
たった1日違いじゃ無いか。失わなくても済む命を奪われた人々についての哀悼、哀惜の情は尽きることがない。お気の毒だという気持ちに怒りが重なり
悲しみあふれる曲になった。
元々心情的に悲しくなる遺族や心ある人々の心に、僕の曲は届いた。演奏期間中幾人のも人が涙を流した。そして僕は自分の想いが人々の心情に寄り添って悲しみを共有していることに気がついた。
11日に放送でこの曲を流し、話をしようと思う。特に若い人達に語り伝えたい反戦平和の思いを。