日々雑感

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散骨

2012年08月30日 | Weblog
散骨

平安時代は、庶民が亡くなると、都では化野や鳥部山付近に、うち捨てられていたらしい。葬式を済ませた後、遺体は埋葬も火葬もされないで、捨てられていたらしい。その惨状を見た弘法大師が死体を土に返すべく土葬にしたそうな。
それ以後どうなったのかは判らないが、お骨は土に返すものという信仰が生まれた。例えお骨の一部でも墓に埋めて土に返す様になったようである。

近頃散骨という言葉を耳にする。遺骨を木の回りにまいたり、川や海などの水に流したりすることがあるらしい。土に返す人や、墓にこだわりを持つ人にとってはちょっと違和感がある。
確かに墓いらずで、合理的かも知れないが、僕のように死後の世界を信じ墓にこだわる人間には、散骨などはおどろおどろしい。
やはり従来通り、盆・彼岸などの墓参りは、単なる風物詩ではなくて、もっと意味のあるものだ。
世界には風葬、鳥葬、土葬 火葬 水葬など色々あるが、墓というと日本全土に行き渡り、それは亡きご先祖様を、偲んだり供養したりする対象物として仏壇と墓だけは必須だと思う。

死んだら人間でなくなるからというのは1つの考え方である。しかしそれは肉体面だけの話で、魂の部分については触れていない。人間は死んだら肉体も精神もなくなるのであろうか。僕は精神つまり魂はなお生き続けると思うので
魂の居場所が必要である。つまり墓が必要なのだ。

昨日TVでお迎えが来るという話をしていた。死期が近くなるとお迎えが来るような気になる仕組みが人間の体内に組み込まれていてそれが現実に現れると医者は科学的な判断を下すが、霊の交換によってこういう現象が起こるのか
どうだか、それは判らない。 
さて散骨についてだが、僕の立場からすると、散骨は環境汚染になり、散骨された近くの他人が気持ちよく思わないから、やめた方がよい。宗教に帰依する心が薄まり、墓といえども高額な費用を要するとなると、散骨主義者が増えるかも知れない。これもご時勢である。