日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

宣伝もほどほどに

2012年03月28日 | Weblog



宣伝もほどほどに 9,864位 / 1,700,045ブログ中

[生まれる」があれば「死がある」のは当然のことだが、生まれると死ぬとは、イメージ的に大違い。

片方は喜びであり、片方は悲しみを伴う。そういう悲しみの場面を直視せよと、言わんばかりに、葬儀場の写真を張貼りつめたチラシが、自宅のポストに入る様になった。
また地下鉄に乗ると、「家族葬は次の駅が便利です。」と案内する。 今までの常識では考えられないことで、気分の悪い話である。

だいたい、死などというものは今は、病院で迎えるもので、自宅でということはほとんどない。病院から式場や葬儀場へ直接運ばれて、対面するのは、10分位である。
大人はともかくも、孫にとって、祖父母との別れはほとんど瞬間的だと言っても良い。

これは高齢化社会になって死がそれだけ常態化して尊厳が、失われて軽く振り扱われているのか、それとも、葬儀そのものの意味が軽くなっているのか。
葬儀の意味も形式も時代によって変わる。一昔前までは見栄を張ってでも大層な葬式が一般的だった。近頃は身丈にあった葬式が主流になりつつある。いかにも現代合理性の波をかぶっている感じだ。つまり儀式そのものが簡素化されているのだ。
ただ思うことは、一人の人の命はの重さは、地球よりも重い。などといわれたが、実体的には、馬鹿みたいな話である。
















































































































































































































































































































最新の画像もっと見る