日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

貴方の命も同じ

2010年01月12日 | Weblog
貴方の命も同じ
おじゃんはどうか。おばんはどうか持ち物、着ているもの、だいたい灰色茶色で老人臭い。いくら人生のたそがれ時だといってもそれに合わせることはない。
沈みゆく太陽は真昼の太陽とどう違うか。何も変わりはしない。
太陽はいつも同じ大きさで輝いているのです。太陽は永遠不滅の輝きをもっており、これはあなたの命も同じ。

女子高校生監禁殺害事件に対する町の声

2010年01月11日 | Weblog
女子高校生監禁殺害事件に対する町の声

女子高校生を監禁して、殺害するというむごたらしい事件が、20年くらい昔に起こった。
詳しい記録は残してないが、日にちだけは、書き留めている。それによると、この事件に対する世間の怒りは相当なものであった。

1,死刑が実現するまで、化けて出てやれ

2,少年法に、凶悪犯は成人と同様厳重処罰する一条を加えよ。

3,この世に神はいないのか、

4,この凶悪犯の両親は、親権という単語を知っているのか、

5,少年の人格を保護することはない。住所氏名を公表せよ。

6,この少年を守る必要は無い。同じような残酷さでもって処刑せよ

7,犯人の人権を被害者と、反対に重んじることには納得できない。

8,情状酌量の欠片もなく、1日も早い極刑を望む。

9,尊い命は何をもってしても購えない。こいつらの命であがなうべきだ。

10、極悪非道の野獣どもを徹底的に糾弾する。

11,警察を何をやったのか、ほっておいた責任を追及せよ。

12,続発を抑えるという意味からも、キャンペーンをしてほしい。

13,少年だからといって許せるモノではない。

14,野獣どもの親は、雲隠れ、どうしてるんだ。出てきて死刑にでもなれ
残酷な事件と犯人にたいする憎しみの声には同感だ。人は事情が何であろうとも自分のやったことに責任を負っている。この凶悪犯にはそれ相応の責任を取らせるのが、社会正義というものだ。 死刑即ち自分の生命であがなう他はない。

















回峰行は

2010年01月10日 | Weblog
回峰行は

想像するだけでは難行苦行である。だがそれは行者が自分で選んだもの
である
個人の好みで行った行がどんなに難行苦行であろうともそれはそれであ
る。私が崇めるなければならないという理由は特にない。

人は己の価値観に基づいて行動し主張する。

私は私の価値観に基づいて判断し主張する


ほどほどに

2010年01月09日 | Weblog
ほどほどに

崩壊する前のソ連共産ガチガチの党員は宗教の信者とは変わらない。建前というのか、教義というのか、第三者から見ればおおよそ滑稽であるとさえ思われるものを真顔で信
奉している。

つまりひとつの考え方に縛られてとらわれているのである。自由な考え方はしない。できない。それを信じることによって生きる力を得ているのかもしれないが、そこまでしなくても、もっとあいまいでいいのではないか、不徹底でいいのではないかというのが平々凡々の一般大衆の考え方だと思う。

そしてその程度、つまり何事もひとつのことにカンカンになるのではなくてほどほどにというのが1番凡庸ではあるが、幸せで自由な生き方であろうかと思う。


縁起でもない

2010年01月08日 | Weblog
縁起でもない

年明けそうそう風邪で寝ていた。薬のせいで眠気が差しうつらうつらしていた。
電話がかかってきた。出るのが面倒くさい。しばらくほっておいた。

呼び出し音が鳴り止まない。誰からの電話だ?かけてくる心当たりはない。不機嫌ながら
受話器を取ったらら親しみのある老人の声、。
きっとご近所の人だと思ってそれなりの言葉使いで丁寧に応対した。

「寒いですね。お元気ですか。正月はどうでした?今年は景気がよくなりますかね」

てっきり親しい人で私のことよく知っている人と思った。

「あの見晴らしよいところからよく見える墓地ですねん お宅にどうかと思って電話しました」
「ええ??」
今日はまだ新年早々幕の内。縁起でもない。 正月早々から墓地を買わないかだなんて。誰が買いますと返事するだろうか。相手を間違うな。タイミングをみはらかって電話したらどうだ。
気分が急に悪くなって感情的に新年早々縁起でもない墓地なんか買うやつがいるかと怒鳴った。
ばあさん声は冷静である。後何か言っていたが受話器をぴしゃりと切った。

何というやつだ。どこで調べたのか知らないが見知らぬ人間に親しそうに声かけてきて。
どうしてこの頃はこんな失礼なことをする輩が増えたものだろう。

ばあさんの声は地獄から響いてきたような気がした。
今でも胸くそ悪い 。

自由の確立

2010年01月07日 | Weblog
自由の確立

群れて生きる生き方もある。それはそれなりに面白い。が、僕は自分ひとりで好きなことをしながら、人生を楽しむのが好きだ。

多くの人間関係は、確かに幅も広げるか、同時に気使いという煩わしさも背負いこむ。人間は感情の動物だから結構疲れる。

好きなときに、好きなことができる自由を確保するためには、1人でいるに限る。
これが自分の人生を、満足のいく生き方にするための条件のひとつである。


男と女の関係は

2010年01月06日 | Weblog
男と女の関係は

その場の雰囲気で、フイーリングがあえば、パッと火がつく。そのときは、2人だけの幸せな世界、お互いに良い面だけを見せ合う。
結婚すれば裸の付き合いが始まって、道を誤ったかなと思うことがしばしばある。

うまくいかない、思うままにならない

2010年01月05日 | Weblog
うまくいかない、思うままにならない。

それが人生であり、それを超えるための努力が大切である。思うままにならない人生を努力によって乗り越えようとするが、努力すればすべてが乗り換え越えられるというものでもない。死に物狂いの努力をしてもどうにもならないものは、どうにもならないのであり、それを可能と考えるところに甘さを感じる。
人間は迷いの人生を送っている。その迷いから目が覚めると人生は明るくなる。迷いとは何か、人間は何を迷っているのか、迷っていないとはどういうことか。
そういうことに回答を与えないで、ただ迷っている、迷っていると言われたってどうしてよいのかわからない

良寛さんは哲人だった

2010年01月04日 | Weblog

良寛さんは哲人だった

良寛さんはやっぱり哲人だ
人は必ず死ぬ。201歳まで生きた人など、洋の東西を問わずいつの時代にも1人もいなかった。だから例外なく人は死ぬのだけれど、「あなたは死ぬ」と言われたら気分はよくない。
自分が不死鳥でないことはよく知っているが、それを言葉に出して言うことは、はばかられる。良寛さんは「死ぬ時節になった死ぬがよい」という。これは非常識ではあるが、あえてこの非常識をいう良寛さんには世間の常識を敢然と破ってもあまりある哲学がある。心が通じあう人たちであるなら、世間の常識の世界を超えて自己の信ずるところを披瀝し合えることが、何の不快感も伴わずにできたのであろう。そしてそれが心の通じあう人に限定されず、万人に対してというならば、やはり良寛さんは哲人だったというほかはない。


台湾の全島を一周

2010年01月03日 | Weblog
台湾の全島を一周
もう4.5年も昔になるか、台湾の全島を一周したことがある。花連からソオウまでバスでいった。バス道は断崖絶壁を切り開いて作られている。右手は200mの絶壁。下は太平洋の波が洗う。左手は高い山の頂。道路には大きな岩が転がり落ちていた。落石注意の標識はたっているけれども、あの岩が落ちてきてバスを直撃すれば乗客の命はひとたまりもない。ただの落石のないことを祈る以外には助かりようがない。この状況の中で私は神の力を見た

旅をしよう

2010年01月02日 | Weblog
旅をしよう

旅をすると、大抵人は一回りは大きくなっているだろう。外地で過ごした人ほど祖国を愛する念が強くなると言うフレーズがあるが、之はアジア旅行をして体験した。そして1も2もなく、祖国日本を賛嘆した。日本に生まれたことを誇りに思い、喜んだ。

四季があり、大陸人からは箱庭的だと言われるが、四面海にかこまれた島国だからこそ、穏やかなそして礼節を知る日本民族が生まれたのでは無かろうか。

旅をすると見るもの、聞くものがあたらしい。今まで当然だと思っていたものが、新鮮である。その新鮮さには驚きや感動が含まれる。おまけに日常生活の中で見落としていたものや、忘れかけていたものを、再発見する。

人生を旅に例える事が良くあるが、もし旅だと思えるなら良い旅をしよう。
一直線の旅も良いが曲がりくねった旅も良い。旅は自分を再発見する事にも繋がる。平成22年という年の流れにはどんな旅があるのだろうか。

一人一人の旅が充実した実りあるものであってほしいと願わずにはいられない。

正月風景

2010年01月01日 | Weblog
正月風景

年が明けた。今年はお百度詣りは竹の棒を七十五本持ってまわろう。
年を取るほどにお百度を踏む回数は多くなる。
以前は正月が待たれた。今はまた正月か。そんな感じで正月だという区切りが付かなくなってきた。うん?正月。それがどうした?
こういう無感動が老化を早めていく。
今年は何か良いことが起こらないかな。例えば買わない宝くじがあたるとか。
バカいってんじゃないよ。布団でもかぶって寝ておきな。
そんなこと言ったって人生何が起こるか知れたものじゃ無いか。
それはそうだ。毎日気をつけしておく必要は無い。
口をあけて天を仰いでいると 金塊でも降ってきてこずかいがふえるとか。
ちまちましたことをいうな。
たまにはでかいことを言ってみろ
合点。それを待っていた。今年の紅白は自作の歌で埋め尽くしてやるから
やっぱろぼけが忍び寄っているみたい。ほどほどに1年間つきあおう。陰の声が聞こえる。
なーに。芸能界なんてそんな程度でよいのだよ。
わからんわからん人生のことは出口も入り口も判らんからその途中のこともわからんよ。  これ、セーカイ。

謹賀新年

2010年01月01日 | Weblog
謹賀新年

あけましておめでとうございます。本年もどうぞ宜しくご愛顧のほどを。
人生というものは、一寸先が闇で一体何が起こるや知れたものではありません。どうか皆様のお宅には福が舞い込んで多幸な良いお年になりますように願ってやみません。