日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

竹島問題

2012年08月16日 | Weblog
竹島問題

韓国大統領が竹島を訪問したことが、サッカーオリンピックでの問題を惹起した。IOCの判断待ちだが、オリンピック精神に反することをどうしてするのか。韓国人の品格を疑う。おそらく世界中がおもったことだろう。

死に体大統領が起死回生意のつもりで言動したのであろうが、日韓関係にどれほど悪影響を及ぼすか、計算したのであろうか。しなかったら暴虎馮河だし、考慮の上でというなら、日韓関係の発展は 当面滞る。

いずれにせよこれらの言動を日本が黙ってみている訳がない。何らかの形で必ずしっぺ返しを食らう。片山さつき氏の言うようにスワップ協定の凍結が良かろう。700億の枠が無くては韓国経済は不安定さを増す。今度こそ冷え込んだ日韓関係をてこに締め上げてやればいいのだ。黙って彼の国が困るように仕向ければ良い。

天皇の訪韓について勝手に発言しているが、失礼もいいところ。日本人の怒りが判らないのか。

いずれにせよ彼は外交失点を重ねた。死に体大統領の悪あがきだろうが、きっちり責任をとらせることだ。曖昧にしておくとこれが前例になって日本は見下される。


71回目の終戦記念日?

2012年08月14日 | Weblog

67回目の終戦記念日   以下インターネットからそのまま引用する

> 8月15日は71回目の終戦記念日である。今春、『太平洋戦争 最後の証言』三部作を完結させたノンフィクション作家の門田隆将氏は、100人を優に超える老兵たちの声に耳を傾け続けた。人生の最晩年を迎えた彼らが日本に遺したかったものとは何か。門田氏が振り返る。
>
>  * * *
>  私は、艦と共に沈む時、母親の顔や、自分の葬儀のありさまを思い浮かべた水兵たちの話を数多く聞いた。そうまでして守ろうとした日本のいまの姿を憂う声は実に多かった。
>  
>  多くの若者が、世の中のなんの楽しみも知らないまま死んでいった時代。彼ら戦争世代は、甘えや癒しの中に逃げ込み、権利ばかりを主張するようになった今の日本人をどう見ているのか。
>  
>  当時の若者が持っていた“諦観”を語るのは、人間特攻兵器「桜花」の生き残りである松林重雄さん(九一)だ。“生還が期し難い特殊兵器”である桜花に志願して、厳しい訓練をおこなった一人だ。
>  
> 「私は、進んで志願したんだよ。あの頃、戦争に負けるってのは、もうわかっていました。われわれは、家族と、当時はまだ独身だから彼女とかね、そういうもののために我々がやればいくらかいいだろうと、志願するんでね。天皇陛下と言う人もいるけど、それとは違っていたなあ。あとは、卑怯者と言われたくないという気持ちもあったね。あの頃の男には、やっぱり“男ならやらないかん”という思いがあったからね。そりゃ当時の教育ももちろんありますよ。まあ、生まれた時が悪かった、と諦めていたこともあったと思う」
>  
>  それこそが当時の若者の“諦観”ではなかっただろうか。諦観とは、仏教用語で、人生の真相や仕組みを見抜くことを表わし、人生に対して確かな洞察力をもって生きることを意味する。自分たちの短い人生に諦観をもって生きた大正世代は、「命」そのものに対する愛惜の情を持っていたのではないだろうか。
 彼らが人生の最晩年を迎えて、今の日本に静かな怒りを抱いていることを私は大正世代の話を伺いながら思った。松林さんもこう語った。
>  
> 「やっぱり怒りを覚えますよ。今のざまは何だ、とね。こんなはずじゃなかった。死んだ奴が気の毒だと、どうしても思ってしまいます。私は生き残っちゃったからね、死んだ奴に、本当に申し訳ない、と思います。でも、もう自分には何もできませんが……」
>  
>  戦中戦後、“前進”をやめなかった大正世代。自国の領土や国民の生命財産を守ることすら覚束ない国になりつつある今、彼ら“他人のために生きた世代”の遺言に是非、耳を傾けて欲しいと思う。
>
以上インターネットから引用したが、私がもう10年早く生まれていたなら、きっと特攻隊行きだったろう。とっくにこの世去っている。それにつけても思うのだが、人生の華の喜びも知らずして、若い命を日本国や我が家族のために戦って死んでいった英霊に命のある限り、慰霊と感謝の気持ちを忘れてはならない。
「やっぱり怒りを覚えますよ。今のざまは何だ、とね。こんなはずじゃなかった。死んだ奴が気の毒だと。この怒りに答える必要がある。生き残った我々は先人の苦労に思いを致し、日々の暮らしに生かしていかなければならない。軽佻浮薄の生き方は英霊の叫びに逆行する。
明日は8月15日心の中で英霊に鎮魂の情と感謝の気持ちを捧げたい。

3-7 お盆

2012年08月13日 | Weblog
お盆

> 迎え火は12日の夜か、13日の夜か、迷った。結局今夜に玄関口で迎える為にここがご先祖さんに返ってもらう家だと知らせるために、麻がらを燃やして迎え火とする。
> 迎え火はよいが送り火は15日に決まっているそうな。盆参りのお寺さんにきいた。
> だったら12日に迎えた方がよかったとおもった。
>
> 墓は関東に作ってるので1年に一回も墓参りしていない。やる気がないのである。去年は大阪から鎌倉まで草抜きに行けないから、土の部分を防草シートでおおった。こんな事をしたから罰があったって家内が聴力を失った。
>
> 墓参りは遠いから面倒で、草抜きはなおさら面倒だ。墓は作ったけどお参りが出来てないので、あってもなくてもどちらでもいい。
>
> それでも今墓を作るとなるとブランドの西部鎌倉霊園は1000万円ほどかかるらしい。年金生活者はとても1000万円も出して墓を作る気にもなれないし、現実にお金がない。
>
> 墓を作ったときは、この世ではちまちましたところにしか住めなかったのでせめて墓くらいと9平方メートルの広さを求めたが、墓が必要な時代を迎えて、これが重荷になっている。
> まあ先祖さんも墓に鎮まってもらっていると考えれば、それはそれでよいのだけど、我々が墓に入ったとき、誰が後を継いで使用権を継承してくれるのか。未だに決まっていない。
> 孫で次男は二人いてそのうちのどちらに継いでほしいと願っているが、親の方から勝手にジジババで決められては困ってはこまるとくぎを指されて、継承問題は宙に浮いたままである。
> 所有権だったら売買が出来るが、使用権では霊園側に召し上げられるだけだ。
> それこそ先祖さん。この墓をうしたくなかったら、誰か継承者を決めるように、あの世から助太刀をお願いしまっせ。
>
>
>
>
>
>

暑い日に

2012年08月12日 | Weblog
 暑い日に

1,暑い暑いとぼやいていても、何にもならないことは子供でも分かる。
  しかしぼやきが自然にでてしまう。

2,夏は暑いのが当たり前だが、近年のような灼熱の暑さではなかった。
子供時分は北海道が30度を超したなど聞いたことがなかった。
せいぜい32,3度くらいで、アイスキャンデーやかき氷で何とかしのげた。35度以上の日が続くとは、子供の時に比べて、確かに異常である。

4,どうしてそうなったのか。
北極や南極で氷が溶け出すところを見ると、地球規模で温暖化が進んでいる事が分かる。ここ50年ほどは排ガスなどが大気の温度を上昇させたのだろうが、いずれにせよ人為的気候温暖化である。

5,人類の未来になんか手を打たないと次は海面上昇により、住めなくなる場所が出来てくる。火星探査機が着陸に成功した。これだけの知識能力で何とか、地球温暖化をセーブする方法へ研究が進むように願ってる。

さてもう明日から盆である。帰省ラッシュが起こり高速道路は渋滞が続いている。暑いのにご苦労さんと言いたいところだが、車にはクーラーがあり、外気は暑くても、車内は涼しい。その場しのぎに人間はうまく対応するが、地球規模のように大きな事にはあまり力を注がない。

何とかなるさで暑い日を送っている。こんなしょうむないことを書いて夏の暑さ忘れにしたい。

9-49飛天

2012年08月11日 | Weblog
飛天

東大寺の本殿のすぐ前に灯ろうがある。透かし彫りだが,その灯ろうには音声菩薩と思われる飛天がほられている。菩薩がフエをふきながら、宙を舞う姿である。

オリンピックで女子体操やシンクロナイズドスイミング、それにボールを使った団体演技などを見ていると、これぞ現代の飛天かと思われた。

各人のスタイルの良さは論を待たないが、柔軟な身体の曲線が特に美しく
それが一糸乱れぬ曲芸師の様な動きを見せる。

この美しさを体操演技の美しさとみるか、女のお色気と見るか、人様々だが、僕はお色気の方から眺めた。こんなに美しく鍛えられた身体もあと50年もすれば消え失せて、そこらそんじょのばあさんになる。

ということは、明日に楽しみを見つけるのでは無くて、今日、今こそ楽しみの瞬間であると心得て、今を生きなきゃと思った。

オリンピック3連覇

2012年08月10日 | Weblog
オリンピック3連覇

日本女子は強い。オリンピックで3連覇、金メダルを取った選手が3人もいる。3連覇というと12年間オリンピックでは誰にも負けなかったということで、これだけで感動ものである。
けがをした人、夜眠れなかった人、鬱に悩まされた人、いろんな障害を乗り越えて、今日の栄冠を勝ち取ったのだ。

称賛と言うより一体どんな日々を精進していたのか。そちらの方が気になる。別にオリンピックに出るわけでは無いけれど、人間の生き方を学びたいと思うから、余計に関心が募る。
普通の精進じゃあるまい。どこかで泣いたことが多いはずだ。人間はやはり涙を流さないと、一流になれないのだろう。しかし今から一流になれと言われたって、もうそれは辞退するほかはない。それだけ精神力が弱くなっているのでろう。
世の中には素晴らしい人がいるものだ。それは年齢にも、性別にも関係ない。ただ素晴らしいだけである。

10-34昭和20年8月14日

2012年08月09日 | Weblog
昭和20年8月14日

翌15日は終戦である。
その前日14日に爆撃編隊は大阪砲兵工廠に1t爆弾の雨を降らせた。
その反れ弾が京橋駅周辺に落ちた。
JR京橋駅は片町線と環状線が交差している。乗降客は多い。空襲警報をきいて人々は、高架下に退避した。またある人は近くの防空壕に退避した。
そこへ流れ弾が直撃した。1トン爆弾の威力はすごいもので直径10m余りの池が出来たそうである。これが繰り返し繰り返し行われたので、避難した人々はほぼ全滅状態だった。

彼女は当時女学生。学徒動員で砲兵工廠近辺でこの空襲に遭い、数少ない生き残りである。とにかくその惨状はとても言葉にはならなかったと当時の様子を振り返る。その思いを詩に託した。
防空壕では爆弾が炸裂する度に地面が揺れて地震が起きた。よくぞ助かったものだという思いを胸に、彼女はまぶたに焼き付いた惨状を37年ぶりに新聞に投稿した。

ああ祈るのみ

亡き魂を 鎮めて匂うユリ白し
戦い済めど  傷跡の
深くのこりし 幾年月
ただ安らかに眠らせと
魂に捧げて 祈るのみ  ああ祈るのみ
2番3番略

この事は毎日新聞で知った。いつものことでじっとしていられない。
早速ピアノにむかって曲作りを始めた。そして「ああ祈るのみ」ができあがった。勿論慰霊祭に奉納演奏した。
僕の心のどこかに反戦平和の叫びがあるのだろうか。こういう種類の曲は20曲を軽くこえている。ちょっと幅を広げるなら70曲ほど作曲した。

人間の運命というものはホントに分からないものである。14日といえば
たった1日違いじゃ無いか。失わなくても済む命を奪われた人々についての哀悼、哀惜の情は尽きることがない。お気の毒だという気持ちに怒りが重なり
悲しみあふれる曲になった。
元々心情的に悲しくなる遺族や心ある人々の心に、僕の曲は届いた。演奏期間中幾人のも人が涙を流した。そして僕は自分の想いが人々の心情に寄り添って悲しみを共有していることに気がついた。
11日に放送でこの曲を流し、話をしようと思う。特に若い人達に語り伝えたい反戦平和の思いを。

いじめについて

2012年08月08日 | Weblog
いじめについて

いじめについて
僕は今まで接した、いじめからこんな事を考えている。

1,いじめは絶対になくならない。教育力ではどうにもならない。
2,いじめは明らかに暴力なので、何らかの形で警察が関わるべきだ。学校だけでなんて解決出来る問題じゃない。
3,教育上なんて言うが、いじめをしている生徒と、いじめられる生徒の言い分なんて信用できない。話を聞いていると、家庭の問題が出てくる。
同じ事件でも立場によって教師間で意見が違う。だから学校で解決することは難しい。
4,韓国でも深刻ないじめが続発して、ついには学校の生徒指導に警察が関与すると聞いたが、警察力で押さえつけないと、教師が言葉で指導しても直ぐに限界が見えてくる。
5,学校というのはイメージが大切なところ。イメージを悪くするようないじめ問題は基本的には隠蔽する体質がある。これは当然のことだろう。
6,文科省は被害生徒を他に移すようにつまり転校させることによって解決するように指導しているが、これは逆のことをやっている。加害生徒を放り出さないで、被害生徒の転校を勧めるのか。全く正義に反する事なかれ指導である。
7,非は加害生徒にあることは明白なので、それを処分するのに何をためらう必要があるのだろうか。教育上の配慮なんて、まやかしもいいところ。要は学校は泥をかぶるのはごめんと言うのが実態だ。教育委員会も同じ穴の狢。
暴力事件は専門家に任せるに限る。

まだまだあるが今日はこの位にしておく。

ムッちゃん

2012年08月07日 | Weblog
         ムッちゃん


1982年 「 私の三十三回忌」募集に中尾町子さんが毎日新聞に体験を投稿

1,横浜空襲で大分に疎開した小学5年生のムッチャンが大分に疎開して、
  大分空襲で防空壕の中で生活してた。
2,彼女は結核にかかっていたが 湿気と暗闇の中で生活
3,終戦になって 防空壕の中で空の水筒を握りしめて
  飢え死にしたと言う悲しい話。

まあ何と気の毒な、可哀相な子供だとおもいながら
新聞を読んでいると涙が出て止まらない。大きな感動が心を揺すった。
同時に 「ムッチャンムッチャン」と聞こえてきて詞と同時進行で曲が付いた。

ムッチャン ムッチャン いまどこにいるの
ムッチャン ムッチャン  みんなが探します
見えますか  遠いお空の果てまで  探します
ムッチャン ムッチャン 天国へ行った ムッチャン

歌では無くてこのむっちゃん物語は全国的に大きな反響を呼んだ。イベントはここかしこで行われた。
1,堺市民会館でコンサート
2,映画 全国の学校教育現場で上映 ( ムッチャンの詩)
3,振りを付けて踊る  大阪テイジンホール
5,全国の小中学校で取り上げられた。英語教材にもなった。
6,絵本になった
7,大分放送がドラマ作る。  白木の壕の物語
4,大分ではムッチャン平和祭を設定し8月2日平和イベント行っている。
当時佐藤市長が熱心に取り組んだおかげで、30年ほど続いている。平和教育を市をあげて取り組んでいる。全市を挙げてこの取り組みは行われて、究極のむっちゃん祭りである。
今夜は終戦記念日もちかいので、戦争体験のない人達に平和を守り語り継いでいってほしいという願いを込めて、この曲を届けしました。
如何でしたか。
という構想で放送内容を練り上げている。

今日のオリンピック

2012年08月06日 | Weblog

今日のオリンピック


卓球の福原選手  今日のメダルは20年間流した涙の結晶

砲丸の室伏選手  感謝

二人ともなんてすばらしい境地に達していることか。感動あるのみ。
今日のオリンピックはこの二人の言動によって十分成果があった。
ほかに多言を要しない。

うだる

2012年08月05日 | Weblog
うだる

毎日、毎日暑いこと。一日中ごろごろしてます。こんな時はテレビが役立ちます。
セ・リーグやパ・リーグがどっちを向いていようが、全く無関心の私が、オリンピックにはどうして、こうもひきこまれるのか 。
はらはらどきどきもさることながら、選手が発する言葉には感動しますね。
自分の子供より若い選手達が、感謝という言葉を口に出したり、
継続は力なりと言ってみたり。、、、
あの若さでそういうことが、言えるのか。そこまで人間を鍛えるのか。スポーツは。もう感動です。

それに加えて僕は日本人であることを改めて確認しました。どんなに有名な、呼び声の高い選手でも、試合となれば、必ず日本を応援します。
日の丸や君が代など日本を象徴するものを見たりきいたりする度に、日本人だなと、確認します。これほど日本人だと思うことはそんなに無かったのに。
オリンピックは自分が日本人であることを確認させてくれています。
明日も暑いだろうが、テレビにしがみつきます。

気迫がちがう

2012年08月04日 | Weblog
気迫がちがう

柔道の松本さん。平常の時の顔と舞台に上がった時の顔が著しく違う。
気迫がこもると、このように顔つきが違うものか。気迫のこもった顔は野獣のような顔つきになる。金メダルとはこのように気迫に満ちていないと取れないものなのだろう。彼女のような気迫に満ちた顔つきになったことは無かった。と言うことは死ぬような思いで、何かかをやったと言う経験が過去に無かったと言うことか。ただただ恐れ入るばかりである。

原子力をコントロール出来る

2012年08月03日 | Weblog



1,原子力は人類がコントロールできる。のか?」との国会議員からの問いに対して、田中氏は「コントロールできる。今後、より安全な原子炉の研究開発に力を注いでいってもらいたい」、「国内外から信頼を得られる安全規制に全力を尽くしたい」と明言しました。

彼は原子力についてミクロな見方しか出来ないのでは無いか。原発に関わる全ての評価、見方即ちマクロの見方ができないのでは無いか。そうだとすれば非常に危険な規制委員会のメンバーであり、安全神話の続行をも、しかねないと思う。国会での質問者達が疑念を抱くのは尤もなことである。
問題はコントロール出来るという思想である。ここが根本的に僕の考えと違う。
何を持ってコントロール出来るというのか、意味不明である。

2 さらに、原発の運転後40年で原則廃炉にする政府方針について、(40年を超えた原発の)「安全性に支障がなければ、機械的に適用するということではない」と述べ、原発を40年を超えて運転する可能性もあると表明しました。

徹底した安全神話論者である。原子力をコントロールしかねている現状を何と見ているのだろうか。自分の信念でコントロール出来ると言う信憑性は中味は何も無いかも知れない。

3,
「原子力は人類がコントロールできるのか?」との国会議員からの問いに対して、田中氏は「コントロールできる。今後、より安全な原子炉の研究開発に力を注いでいってもらいたい」、「国内外から信頼を得られる安全規制に全力を尽くしたい」と明言しました。

信念の人とは言えても、それが一般化された科学の法則に則た信念とは思えない。と言うことは眞の意味での科学者ではない。人間の自信や信念と科学とは別次元だ

4,さらに、原発の運転後40年で原則廃炉にする政府方針について、(40年を超えた原発の)「安全性に支障がなければ、機械的に適用するということではない」と述べ、原発を40年を超えて運転する可能性もあると表明しました。

原発を人間の力でコントロール出来るという人の主張としては当然だろうが。これは国民感情とは相反する。
あれだけ大きな事故を起こしておきながら、しかもそれに関わる委員でありながら、この程度のレベルの考えしか持っていないとすれば不適格者と言わざるを得ない。




ものもいい様で角がたつ

2012年08月02日 | Weblog
ものもいい様で角がたつ

値上げは東京電力の権利である。と社長は言った
これは1社独占の東京電力の体質を象徴している。だれだって反発したくなる。
僕ならこういう。(要約)
1,皆さんの反原発の考え方は私どもも共有している。
2,一方で、私どもには電力の安定供給と安価提供の責任がある
3,したがって、現実的には当面は原発を稼働させないと供給責任を果たすことができないので、不本意ではあるが、再稼働を希望している。
4,将来を展望するに、原発は自然災害人為的災害の可能性があり、現段階では「絶対の安全、安心」はあり得ない
5,それ故に未来の電力関連のことについても、当事者として地域の皆さんに責任の持てる、安心安全を確保する電力業界の将来のあり方について、先鞭をつけたいと考えている
6,今までの業界のあり方がベストだとは思ってはいない。将来は原子力のようなコントロール不可能な原発をできる限り少なくへする代替エネルギーによる発電の方法を追求する。
7,問題になっている配送電のあり方についても、国民的見地から追求し、判断できるシステムの再構築を求めている。
8,需要者の皆様からも、積極的に前向きな提案をいただき、「地域の皆様と共にある。」会社にしなければ、と考えている。
9,現実に、起こってしまった福島の事故の現状と対策から、現在のような「あり方」では、国民感情からしてとうてい納得は得られないと受け止めている。
10,将来は脱原発を見据えて、必ず現実的方向を目指して、企業力を集中して、行く。
11,私どもとしては、ここ10年の間に、以上の方針を実現するべく、必死で頑張りますので、何卒宜しくお願い申しあげます。

とでも言えば耳を傾ける気持ちにも成るが、居丈高に物を言われると筋の通る話でも感情的に受け入れられない。皆さん。そうじゃありませんか。






















試験問答

2012年08月01日 | Weblog
試験問答

「君たちは今、学校で学んでいる。学問する目的は何であろうか。今まで習ってきたことをベースに、自分の考えを加えて、述べよ」
と出題した。

面白い答案があるので、紹介する。

「勉強をしていないものに、こういう出題形式は答えようがない。それが回答である。」と書いてある。

「勉強をしたくない気持ちと言うのはわからないでもないが、文句を言いながらも、君は進学校の本校の門を毎日もいるではないか。
僕は、自分が教えられたことが、生徒たちにどれだけ受け入れられ、定着しているかも知りたかったのだ。
君の解答は気分を書いているだけで、僕の問いには答えていない、つまり答にはなっていないからで〇点をつけるほかは無い。と朱書きして、生徒に渡したら、謝りに来るどころか、
「零点でもいいけれど、学期末の通知票を見よ。と、だけは書くなよ。
、欠点になって、単位が、取れないと、親が嘆くだろうから、」
と答案の裏表に書いて、職員室の机の上に置いてあった。

大学受験には直接関係がない科目なので、生徒も教師も、こんなことで楽しめる。