日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

イスラム過激派

2015年02月07日 | Weblog
イスラム過激派

イスラム過激派はおおよそイスラム教の教えからかけ離れた存在である。にもかかわらずイスラム教を厳密に解釈すると称して世間常識では通用しないことを強制する。
普通のイスラム教徒にとってはずいぶん迷惑な話しだ。過激派ではない、すなわち穏健派のイスラム教徒がずいぶん迷惑を被っている。というのはイスラム教と言うひとくくりで判断されるからである。しかしこれは間違っている。神の名において人を殺すなどと言う事は常識的にはありえないことである。
おそらく彼らも人を殺す事を神の教えの理にかなうと信じてはいないだろう。だから彼らが唱えるイスラムの教えと言うのは単なる看板である。
残虐非道なことを宗教の名において行うと言うことは、信じる神を冒涜することに他ならない。過激派はごく1部分ではあるが、残虐なことをして世界の注目をひいているから、そこに生まれるのは世界からの復讐心だけである
世界を恐怖に陥れるつもりでやっているのかもしれないが、結果は世界から憎しみと反感を買い世界中の憎悪の対象にされる。

アメリカが言うようにイスラム国は壊滅させる必要がある。
彼らが起こした残虐行為は自滅の道を早める事以外には何の効果もない。恐怖や残虐を売り物にして世界を押さえつけようなんてで考えるのは子供である。おそらく全滅させられる。そういう結果に終わるだろう。

裁判員の死刑判決確定

2015年02月06日 | Weblog
裁判員の死刑判決確定

最高裁は高裁の判断を支持。市民感覚を反映するために導入された裁判員制度判決はプロの裁判官だけの判決が覆すことに異論はあった。

しかし最高裁は死刑は究極の刑罰で裁判結果は何人にも公平であるべきだとして死刑については先例から逸脱した判決は裁判員裁判の結論でも認められないとした。

裁判官の判断を最終のものと決めてしまうならば、裁判員と言う一般人の事件に関する判断は否定されることになる。それは裁判員裁判の原則と言う根本原理を覆すことになる。

死刑が究極の刑罰である事は誰もが認識していることだ。それがどうして裁判官が決めた先例に従わなければならないのか。
それが原則だと言うのなら裁判員裁判における死刑は意味がないことになる。
裁判官の判断した先例を基準として判断すると言うのは、あくまで裁判官中心の考え方である。それが問われて裁判員裁判が行われるようになったのではないか。だから最高裁この判断には非常に違和感を覚える。