日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

アルマーニ

2018年02月10日 | Weblog
率直に言ってこの校長は何を考えているのかようわからん。

小学校の制服が普通の制服の2倍もする、イタリアの高級品を制服に決めたというのだ

いくら銀座にある小学校といえども、各家庭にはそれぞれの事情がある。普通の倍も出して

制服を買うことに、抵抗のある家も多いのではないか。

何がそうさせたのか知らないが、結果だけを見ると、世間から非難を浴びる事必定だ。

一言で言えば校長の非常識につきるだろう。全部を入れたら9万円にもなるそうな。

私学ならともかく、公立でこんな事をやる例はかってなかったのではなかろうか。

団地

2018年02月07日 | Weblog
もう40年ほど団地に住んでいる。便利で快適だ。

医者は近いし、買い物も便利、広い敷地の清掃は業者がやってくれるので、草抜きは1年一回

程度で良い。戸建てなら自分で草抜きをしなければならないので大変だ。

広々とした敷地には木々が植わっているので、四季の移り変わりが手に取るようにわかる。

住むということに限れば、住み心地は良い。面倒なことは管理組合費でまかなってくれるので

快適そのものである。

ときたま団地住まいなんて、という人があるが、住んでみるとその快適さがわかるだろう。

マンションではなくて団地住まいをおすすめする。

不思議なご縁

2018年02月05日 | Weblog
不思議なご縁 

何十年か前になるが、 故大西良慶師の短歌に作曲したことがあった。

仏足石が清水寺講堂にあると新聞で拝見。

歌手同行で寺を訪れた。不思議なことに仏足石を見ないままに
成就院を訪問した。

玄関広場では1周忌の準備で 遺作になった短歌選びを役員方がしていた。
そこえ飛び込んだもんだ。思わず作曲家だから曲をつけさせてほしいと
頼んだ。

和上90歳代の作品から約1000首から6首選んで  清浄心  仏の道
と題して 僕で良かったら曲をつけさせてください。と念じた。
そして選んだ後、仏壇へ詣り、般若心経 を一巻を唱えて帰路についた。

京都から国道を通って奈良に帰るのだが 途中大久保でコーヒーを飲んだが

運ばれてこないうちに、もう曲ができあがった。全く不思議な出来事。

信者の皆さんと合唱練習をして、最後は国宝の舞台で奉納演奏をした

遠藤実先生3-47

2018年02月04日 | Weblog
遠藤実先生

理屈で言うよりも、行動でという人の方が説得されやすいというのが僕の質である。
考えることだけなら誰でもできるが、いざ行動をと、なったら誰でもできるというわけにはいかない。自分がそうであるから、行動の人を尊敬してしまう。

そのとき僕は日本作曲家協会の廊下で椅子に腰掛けて、人を待っていた。

人影が現れたとき、その人が誰であるかはすぐわかった。
先方は面識もない この僕をどう認識されたか知らない。

高名な作曲家遠藤実先生が歩いて近づいてくるので、僕は起立してお辞儀をした。
顔を上げたときに先生が合掌して頭を下げて挨拶をされたのを知った。
いやー。びっくりした。

泥沼のような環境からはいあがり、人の心を打つ名曲の数々を作られて今日の栄冠を勝ち取られた才能と努力には、頭が下がると言うよりは、仰ぎ見るような
尊敬の念を僕は持っていた。
だから先生の合掌姿を見たとき、土下座をして挨拶したら良かったのかなーとさえ思った。

にこやかな笑みを浮かべて先生は通り過ぎて行かれた。

もう何十年も昔の話だが、あの一瞬は 今も鮮やかな写真として頭に残っている。

橋下さんと森永さん

2018年02月03日 | Weblog
橋下さんと森永さん

お二人とも有名な方だから 改めて紹介するまでもない。

橋下さんは発想して、これを実際に行動に移し結果を出す事で自己実現を達成する。これは大勢の人を動かす事が不可欠である

森永さんは、発想したことを文字で表したり、話したりすることによって
自己主張を達成する。これは自分一人でできる。

決定的な違いは、行動をおこして結果を出す事はグループワークを
いかにうまく機能させるかという才覚が要求されるのにたいし、

評論は自分一人でできると言うことで、大勢の人を動かして結果をす事とは訳が違う。

対談を聞いていると、かみ合うことはなく、従って合意することはない。

残るのは感情的な対立である。

そこで僕は考えた。

現実的に行動して結果を出す事と、文章や講演で自己主張する事とは難易度において大差がある。

行動して良い結果を出す事は大勢の人を動かす大変な作業であるが、
一方、思うことを自分一人の作業で完結させる事は、己一人の才覚でできることである。

こういう現実を見ると、どうしても軍配は橋下さんにあげざるを得ない。

女性 専用車両に乗る

2018年02月02日 | Weblog
[「ここは女性専用ですよ」

「えっ?そうですか。道理ですいていると思った。いやーこれはまた失礼しました。」

発車間際に飛び込んだのは女性専用車だった。言われて初めて気がついた。

女だけの中に、ただひとり男が居るのもばつが悪いし、気恥ずかしい。

急いで一般車両へ移ったが、考えてみれば、女性専用か一般車両かなどは

どうでも、良く乗りさえすれば良かったんだ。

親切おばさんは専用だと教えてくれたが、僕は指摘されるまで気がつかなかった。

ただ何となくいつもと違う雰囲気はあたりに漂っていたから、何かを感じてはいたが、、、

直感でわかっても良さそうに 。

このあたりから親切おばさんの一言が気にかかりだした。

親切心だったんだろうか?嫌みだったんだろうか?迷惑だったんだろうか?

おばさんには悪いが、僕は少しも迷惑していません。 チョン

残るのは嫌悪感のみ

2018年02月01日 | Weblog
今の韓国大統領の思想と行動にはどうしても納得できない。。

だから韓国とは隣人として善隣友好ではなく、逆に関わりを持ちたくない。

北朝鮮のやり方を見ていても、何事も汚いやり方で、日本人から見て

思想や行動にはついて行けない事ばかりだ。。

特大の厚かましさ、厚顔無恥、だぼらふき、悪知恵、時代遅れでこういう国民性が生まれた

のかとも思うが、朝鮮族というのはこういう民度の低い国民性をもって生きているのだろう。

感じるのは嫌悪感のみ。つきあう相手ではない。

拉致被害者の悲しみを思うにつけ、相手が悪すぎるから特段の手法を使わないと、

尋常の手段では取り戻せない。