日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

梅原猛さんが亡くなった

2019年01月15日 | Weblog
梅原猛さんが亡くなった

聖徳太子1400年祭に同じテーマで作品を奉納した。聖徳太子讃歌である

彼は作詞をして作曲は別人だった。

合唱団は堺市テイオペラだったと記憶している。

僕は作詞作曲して、500人の合唱団を 指揮した。



今日の新聞に彼の語録が載った。

1つだけ極似ている、いや同じだと思うので、書いておく。

「私には何かが乗り移る才能がある。聖徳太子、柿本人麻呂

親鸞らが乗り移って本を書かせてくれた」というフレーズだ


「私には芸術の神弁才天が乗り移る体質がある。

聖徳太子讃歌は弁才天が私に乗り移って作詞作曲させてくれた」

マハラジャの現状5-56

2019年01月14日 | Weblog

マハラジャの現状

イギリスがインドを植民地化するまでインドは各地に蕃王、すなわちマハラジャが割拠していた。
イギリスが植民地にするときは、これらのマハラジャを上手く利用して、支配したし、またマハラジャは同盟を組んで自分たちの権益を守っていたようである。

日本で言えば明治維新で滅んでしまった大名制みたいなものになぞらえて理解すればわかりやすい。
確かに1つの国家として、中央とは別に独立の政権があるのは、統一国家とは言わない。
が 
中央集権の中央政府が出来るまでには、ある時期、どうしても大名の出現とその役割には歴史的必然性があったように思う。

その功罪は別にして、歴史的にはそれなりの役割を果たして、姿を消した制度である。
 
西洋文明の影響を受けて近代的な中央集権国家を確立出来ない国家は、此の蕃王支配に終止符を打つのが遅れた。インドの場合は、第二次世界大戦が終わってから、1947年に独立国家として発足するまで続いたのである。

今夜放送されたNHKの番組はそのマハラジャの現代の姿を追っていた。
「マハラジャのその後」それがテーマであった。二つの典型的な例を挙げていた。

1つは時勢に合わせて何とか生き延びようとするジャイサメールのマラハジャの末裔の生き方、もう一つはかたくな迄にマハラジャの権威を守ろうとして世間や時代から孤立して生きているアワード家の生き方、である。

時代に合わせて行きようとする末裔はその昔、広大な城を築きその中で、2000人が生活していたらしい城の王様であった。蕃王制度が崩れて、他人に寄生して生きることが出来なくなった末裔は 城を観光の目玉として、世界中から客を集めようとしていた。

そのために城郭のなかの一部を改造して、ホテルを作っていたし
すばらしい料理も用意していた。。確かに観光資源として利用しようとする意図は納得できるし、昔日のような勢いは無いかも知れないが、成功すればマハラジャの影響を行使できるようになるかも知れない。

マハラジャのかっての支配を蘇らせることによって、その地域の人々の生活を豊かにして、住民に貢献すると言う魂胆なら、それは時代にマッチしていると思うが、それを単にマハラジャの夢の再来を願ってと言うなら、現代から見ると、これを前向きと言うのにはほど遠く、アナクロとしか言いようがない。勿論時代が昔のマハラジャ形態を許すはづもなく
必然的に地域住民の経済発展と言うことにポイントが置かれることになるだろう。

それに比べてアワード家は最後の最後までマハラジャのプライドを捨てないで、それに殉じようとして生活を送ってきた。時勢に着いていけないで、取り残されて誰からも相手にされず、滅びの美学を満喫してはいるのだが、なんて馬鹿な人の集まりだろうと腹立たしい思いがした。
第一、神が平等にあたえ賜うた自然の富を、歴史的必然性とはいうものの、蕃王制度の中に取り込んで、それを正義と考えるところに無理がある。

時代はそれを許していないのであるし、誰もそれを支持しようとは思ってもいないことだから、孤立無援は必定である。民衆も何が望ましい政治形態かを考え始めている現代では、どこから見てもずれがありその分受け入れられなくて苦しむのは、仕方のないことである。

時代から取り残されたというのか、時代になじめなかったいうものなのか、いろいろ見方があるだろうが、そんな考えをしていては生活も不自由なはずである。それは事実がそのまま物語っている。

荒れ果てた中世の古城跡のようなところで雨露はしのいでいるものの、まともな家具も食器もなく、彼らが持つプライドとは裏腹に、みすぼらしく、凋落の一途をたどる哀れな人間の姿を、見ていて気の毒にさえ思えた。
ただこういう事情を十分承知した上で、我が道を行く此の末裔には敬服もした。

昔地球に大きな隕石が落ちてきて、地球環境が激変し、大型動物は絶滅したという歴史をを知っているが、それを思いだした。回りの環境に合わして生きていくことが出来なければ、どうなるかを見せてくれる典型的は事例である。

時代の流れというのは、時として早くまた時として、緩く緩慢にながれるが確実に動いている。時間の流れの中には平和あり、戦争あり隆盛あり荒廃あり、いろいろな人間社会の出来事を乗せながら未来に向かって進んでいく。

この中で確かなことは、時代の進歩は人間に,人間たる所以を悟らせ、人間の基本的な生存や権利などに付いて自覚を促す。

早い話が100年前の世界の状態と現代の状態を比較してみるがいい。人間の存在に付いて認識かがどう変わったか。

100年前は世界は階級社会が主力だった。社会が縦並びで頂点にたつものが権力を振り回すことが出来た。

確かに現代でも権力者はいるが昔のそれとは大違いのリーダーである。それも民衆の中から選ばれて権力の座に着く。昔はそうはいかなかった。伝統的権威と富の力で民衆は奉仕させられる立場にあった。

少なくとも民衆の間から選ばれた者だ。権力闘争に勝ち抜いて民衆を人とも思わない独裁者ではない。ということは民衆の力がそれだけ強くなったと言うことだ。

今まで底辺に押さえ込まれていた民衆が、自分の人権を主張しだしそれが社会の主流になってきたのだ。いわゆる民主主義の発展だ。一人ひとりの人間が持っている人権の尊重が社会的に定着してきたのだ。

そういう意味からすると昔は権力者が民衆を支配すると言う形が多かったが、現代は権力者は民衆が選び、彼をリーダーとして民衆を代表して権力を行使する時になっている


寝る前に0

2019年01月12日 | Weblog
寝る前に

名曲を聴いて寝ることにしている。もう何年も続いているが、すばらしい叙情歌は心を落ち着かせ、穏やかな心になる。

僕は名声楽家はドイツのフイッシャー・ディスカウの冬の旅と日本では上浪明子先生の日本語をはっきりと発音する上浪唱法による初恋である。

両者とも声のコントロールの名人である。高音低音の処理の仕方がずば抜けてうまい。これだけはいくら言葉で表現してもうまく言い切れない。声の響きのすばらしさは、文章では表せない。
やはり歌を聴いてもらい感じてもらう以外には手がない。
フイッシャーディスカウは国際的に有名な人だから、レコードやCDがいくらも出ているが、上浪先生のレコードはビクターから自費出版で出されたものくらいしか僕は知らない。

このレコードはそのままCDに焼き直されたものだ。山田耕筰先生の歌曲を沢山歌われているがやはり越谷達之助作曲、石川啄木作詞の初恋が上浪唱法にいちばん似合う。

僕にとっては安眠剤の一つだ。沢山の日本人声楽家の歌を聴くが日本語の発音においてはダントツにすばらしい。

その上浪先生のお弟子さんの声楽家にお経を作曲した歌を歌ってもらった。

こんな作品を皆さんが聴くはずがないと決めていたが、予想外に多くの人々が聴いてくれた。

これはひとえに声楽家の力である。

あ今晩も寝床に入って枕元においてあるステレオで初恋を聴きながら寝るとしようか。

白い水仙

2019年01月11日 | Weblog
白い水仙

阪神淡路大震災の時、両陛下がお見舞いに現地をご訪問された。

皇后様は宮中の庭に咲いた白い水仙を持参されて犠牲者の御霊に供えられた。

お役目以上の、人間愛から思わず出たであろう白い水仙である。

その慰霊のお心が伝わってぐっときた。当時僕も6400名あまりの犠牲者の御霊に捧げる

ために鎮魂組曲を作詞・作曲していた。

その第三楽章がタイトルが白い水仙だった。

今日の朝日新聞の夕刊に載った、淡路島に咲いたニホンスイセンの白い花が当時を思い起こさせてくれた

皇后様のご持参された宮中のものと同じに見えた。

今が見頃なのだろう
寒中なのにこんなに美しい花を咲かせて、やはり自然は偉大だと実感した。

ケセラセラ

2019年01月10日 | Weblog
ケセラセラ

1,訪日外人客の増加や高齢化によるお年寄りの利用増もあり路線バスの需要は

高まっているだが深刻な運転手不足に陥っている

2,米中の対立が単なる貿易摩擦から先端技術をめぐる世界の覇権争いに様相を変えた

目の前の問題だが微力の我が考えたって どうしようもない。

ケセラセラ。

これも立派な解決法だと我の微力を思い知らされた。

構図

2019年01月09日 | Weblog
北朝鮮の中国詣でが始まった。4回目の首脳会談だ。アメリカは北朝鮮と会談する気でいる

どうせ話題はぐるになって中朝で知恵を出し合っていることだろう。

このコラムでも書いたが、1回の会談で北の核開発を止めるなんて約束は成り立つはずがない

もしそう考えてたのならその時点でアメリカは敗者である。あれだけ癖のある民族を俎上に

あげて料理したような気になっていたら全くの笑いものだ。

ところがトランプは最初そう楽観視していたようだ。表裏何十にも使いこなす北朝鮮のやり方

はよほど裏の裏をかかないと、いつも落とし穴にはまってしまい、憂き目を見ることになる

中韓北露がグループを作って、対米交渉の下支えをしているように思えて成らない。

さて日本は親米という立場を放棄しないで如何にうまく立ち回るか、難しいことである

平和時代

2019年01月07日 | Weblog
人類史上私たちが最も平和な時代に暮らしている。
狩猟採集社会や部族社会では戦争と略奪は日常だった。 一歩一歩暴力が減らしてきたのだ。
この流れは止めてはならないと指摘した人が居たが全く同感である。

世界史もそうなら、日本史もそうである。

戦国時代を経て徳川統一政権が誕生した。これ以後群雄割拠は姿を消し、260余年の平和が訪れたが、明治に入り幕府と反幕府・維新勢力が戦争をしたが、明治政府軍が勝利を遂げ、国内はほぼ統一された。


ところが世界は帝国主義がはびこり、日本もその風に染まって植民地獲得に外国に進出した。日清・日露戦争に続いて15年戦争が幕を開け、日独伊の枢軸国と自由民主主義 連合軍が第二次世界大戦をはじめた。これは連合軍側の勝利に終わり、世界大戦は終結した。


1945年日本は無条件降伏して、それ以後戦後70年あまり日本が絡んだ戦争はない。やっと戦争のない日本国が形成された。


年代的に言うと昭和1桁生まれはまだ戦争に巻き込まれたが、10年以降に生まれたものは従軍経験はない。戦争のない時代が日本歴史上初めて訪れたのである。平和が如何に尊いか実感する今日この頃である。

地方が過疎化

2019年01月06日 | Weblog
地方が過疎化

地方が過疎化して廃村の数がどんどん増え、やがてかっては人間が住んでいたところが原野に戻っていく

地方創生再生と言われて久しいが、何の施策も打たれていない

地方に行けは職はなく都市の利便性には浴せず、不利な事がおびただしい
だから住み慣れた地方を捨てて生活の道を求めて、大都市に流れ込むのは必然の成り行きだ
これを止めることは人に死ねと言ってんのと同じことだ

政治家が地方再生を口にするがそれはお題目に過ぎないので信頼ができない
強烈な政治力を持って強制的に都市に集中したものを、地方に分散させなければできない。

いや大災害で壊滅的な被害が発生し、その圧力で都市集中の機能を地方分散にせざるを得ないところで、ようやく地方分散が行われると思う。人知よりも災害の圧力の方が大きいから。馬鹿な話だけど。
有無を言わせない大きな力だから。
そのぐらいの大きな圧力をかけないと都市集中を地方分散にさせ、再生するのは難しい

アウランガバードにて0

2019年01月04日 | Weblog
アウランガバードにて


私が思うに人間というものは何か意図があってこの世に出てきているということだ。

また使命があってこうして巡礼しているようにも思う。もちろん自分自身の意志でしていることには違いないが、それでも一方では何かの大きな力に導かれてここまでやってきていると言うのが自分の素直な実感である。
 
アウランガバードはボンベイの北東約350キロくらいの所にある。大阪から静岡あたりまで行く距離である。エローラやアジャンタなどの遺跡を巡る基地のようになっている町である。

ボンベイから夜行バスで発った。夜9時過ぎに出発したが着いたのは翌朝の十時過ぎであった。アウランガバードではツーリストホームに宿をとった。ここで私は一人の日本人女性に会った。彼女はもうかれこれ6ヶ月も一人でインドの佛跡を巡っているという。何が目的で?こんなにきつい旅を強いられるインドくんだりまで来て。
 
冷やかしではなくて、私は強い好奇心を彼女に向けた。この人は心の中に何か持っているに違いない。その何かは決してミーハー的なものではなく、多分私の心にずっしりと響く何かを持ってここまでやってきたに違いない。私は失礼にならない程度に踏み込んで彼女のことを聞いてみた。

彼女は要旨次のようなことを話してくれた。そして僕は深く胸を打たれた。
 「日本に帰ったら福祉の仕事をしたい。こうして巡礼の旅を続ける間にずっと思い続けていることは福祉とは何か、と言うことです。

この問題に関して私は自分自身の回答を得たいと願っています。確かにその道の学校に行けば福祉と言うものに関して教えてはくれるだろう。が私は自分の心の中に、本当の意味での福祉というものつかみたい。

そう思うからインドへ来る前に、四国八十八カ所の遍路、千四百キロを一人で歩いて回りました。しかしまだまだつかめていないと言う感じがしたので、お釈迦様のふるさとをあるいてその御足をたどり、出来る限り仏教精神の真髄みたいなものを心に詰めて帰りたいのです。

人が人のお世話をするというのはどういうことなのでしょう。やり方はいろいろあると思うけれど、私はまだ自分が納得できるような方法で理解が出来ていません。

カルカッタのマザーテレサのホームにも立ち寄りました。確かに神は困った人を助けるのが人のつとめと説いています。お大師様はどのようにおっしゃってるのでしょうか。ご存じ有りませんか。」

いやはや、貴方の方が僕よりもずっと勉強していらっしゃいますよ。話を伺っていて感じることですが、貴方は近頃の若い人になく深く物事を考えていらっしゃいますね。貴方のような人には滅多にお目にかかれませんよ。

こんな格好をしているけれども実は僕も同じようなことを考えて求めています。詳しくは知らないのですが人の喜びが我が喜びに成るというのは観音様ですよね。理想ではあるが我々はなかなかそこまで到達できません。

いや、話がちょっと脇道にそれました。先ほどのおたずねですが、私の読んだ本(十住心論)によると第六住心は自分以外の人(もの)に対して慈悲の心を起こすと言うことですか、このあたりのことが貴方が求めておられることではないでしょうか。

人々が心の奥底に持つ菩提と言うものを、言い換えれば心の有り様を十種類に分けてそれを段階的発展的にとらえて説明しているのです。本能の赴くままに生きている動物的な人間の心、これが第一段階です。

第十段階(第十心論)ではまず自分が飛び込んでいく、、体を動かして飛び込んでゆくそうすることによって現実世界がそのまま理想世界となって現れる。自分の心を徹底的に極めていくと自分自身の中に悟りがあると言うことに気づく。つまり菩提心の自覚ですね。

体を動かしてそこへ入っていくと言うことなんです。難しいことで僕もよくわかりませんが、知識としては持ち合わせています。ほら、利他行とか菩薩行とかいうじゃありませんか。人間が求める崇高な理想です。」

「話や知識としてはわかったような気になりますが、真実心の底から理解しているかどうかと言うことを自問自答するときやはり自信がもてません。もう少し歩きましょう。インドのこの暑さを身に受け、歩き回っていると少しはわかるでしょう。」

「自分を鍛えると言うことは大変なことですが、それは実に尊いことだと思います。だがお釈迦様が難行苦行のおかげによって悟ったかというと、どうもそういうものではなさそうです。

そこで言いたいのですが、苦行も程々に願いたい。もし貴方が文字通りこの暑さの中を歩くとすれば、いつか病に倒れはしないかと危惧します。人間はどんなに良いことを考えていても健康損ねたら何もできません。だからご存じとは思うが体だけはいたわってください。

もし差し支えなければ貴方の住所とお名前を教えていただけませんか。申し遅れましたが私は仏教歌曲を作る作曲家です。立場は違うけれども仏教精神を追い求めることは同じです。これからもお互いに自分の歩んだ道を話し合い、教えあいながら少しでも高い境地にたどり着きたいものですね。
 
僕は日本に帰ると今度こそ四国八十八カ所遍路をやります。インドとはまた違った何らかの啓示があるように思います。そのときには是非貴方に連絡を取りたいと思います。

あっ いけない。もう二時ですね。早く寝ないと明日は五時起きですよね。今日は長い時間、ありがとうございました。多分明朝はおあいできませんが、どうか気をつけて楽しい旅を続けてください。ご無事をお祈りします。ではお休みなさい」。

話はここまでで終わった。この人以外にもアジアを旅をしていると日本人に出会うがかってこんな会話を交わした経験はない。大抵は旅の情報で,安全に関するもの、食事の話,ホテルの快適さ、利用する交通手段の話、旅中でであった珍しい話や、面白い話など当たり障りの無い日常会話で終わってしまうのが普通だ。

僕は自分の部屋に戻りベッドに潜り込んだが先ほどの話が頭の中で渦巻いてとうとう一睡もしないままに朝を迎えた。
 
日本の国内で遍路や巡礼をしているならまだしも、インドまできてこんな話が出来るとは想像だにしなかったことだった。しかしインドでこの話が出来たのは何か不思議な気がした。

担いで言うなら、これはきっとお釈迦様が同じような問題意識を持つ二人を出会わせお互いの胸の内を語らせ、それによって仏教をより深く考えるチャンスを与えたもうたのだということだ。

もちろんこの程度までの深みのある話を旅行者としたというのは生まれて初めてのことである。


歌の真空地帯

2019年01月03日 | Weblog
歌の真空地帯

10代くらいの若者の歌は振り付けダンスと切れの良いリズムでなんとかもっているが、中高年向けのうたがほとんどない。

本来うた好きは男性よりも女性の方が多い。

若者の歌はあっても、中高年女性向きの歌はほとんどない。

ここは歌のない真空地帯であるとかねがね僕は思ってきた。

中高年の女性は子育ても終わって自分に向き合う世代である。それに満足する歌がなくて、

この世代は歌の真空地帯になっていた。もう一度若いときの青春時代にお里帰りして、

日頃の鬱憤やストレスを払いのける何かが必要であった。

最近スーパー銭湯のアイドルとして、純烈というコーラスグループが浮上してきた。

彼らの歌やら振り付けに中高年女性がワット飛びついた。歌よりも振り付けのまねをして、

舞台と一体感を共有している。

平均年齢が40歳だというと、中高年女性から見るとまだまだ守ってあげたい気持ちも出てくるのだろう。

キャーキャー、ワイワイ。それで

ストレス解消も出来、今日一日楽しくなれるのだから受けるのは間違いない。

レコード会社も創作集団もあっけにとられている感じである。

今からがこのグループにとってどういう種類の歌を提供出来るかが勝負である。

関係者はそこに目をつけるだろう。ひょっとしたら中高年女性に火をつけたのだから、

これが発火点に成って閉塞状態の日本の音楽事情が変わるかもしれない

僕は過去20年にわたり社会教育の一環として歌を主にした講演会を行ってきた。

その時に講師が一方的にしゃべるのではなくて、最後には全員参加の場面を作ること

が最重要であることを痛感して、必ずその場面を作るように心掛けた。どうもそれで聴講した

ご婦人方のストレスは抜けたようである。アンケートにはみなそうか書いてあった。

でんぼの神様 0

2019年01月01日 | Weblog
c石切神社    2009年09月21日

その地方地方によって、特定のことによく御利益のある神様がある。
その神様は古くから、先祖代々言い伝えられて、信仰心の薄くなった今日でも、尊崇をうけ信じられ、神社にはお詣りが絶えない。
例えば金儲けだったら大黒さん、ボケ封じだったらXX寺という風に、多くの人がお詣りするからには、何らかの実感や実績があるのだろう。

一才になる孫のおしりにデンボが出来た。すぐさま医者に連れて行ったが、内部にたまった膿を注射器で吸い取る事になった。子供はまだ小さいから局部麻酔も出来ないそうで、注射針を患部に刺して直接吸い取る作業が開始された。

原因はわからままに、お尻の皮下に出来た直径1cmくらいのドス暗く変色した血のかたまりになっている膿のところまで注射針をさして外科的治療をするのである。

麻酔なしだから痛みは全身に染み渡る。きゃーと言う悲鳴を聞いていると我が身の心臓にナイフを突き刺されたような痛みが走った。医者は他人事だから治療と称して平気で出来るが、目に入れても痛くないと言われる可愛い孫であってみれば、その痛さは我が身に直結する。

これで治ったかに見えたが、1週間ほど経つとまた同じような血のかたまりが患部に出来てきた。けれどもう注射針はゴメンだった。

僕は親の代から伝わるデンボの神様 大阪地方では石切さん(神社)に願掛けに走った。石切さんは難波駅から近鉄電車に乗って奈良に行く途中、生駒山の西麓にある。駅を降りてだらだら坂を下り、10分ほどで神社に着いた。
早速受付で祈願内容を書いて本殿でお祓いをして貰い、名前と祈願内容が神官によって神前で唱えられて祈願は済んだ。

今日は幸運なことに、神様が出ていると言う話があった。神様は50才くらいの女性で巫女姿で座っていた。その人に祈願内容を書いた紙を渡し、オマジナイをして貰ってから本殿に上がった。

そのご利益があって、孫のデンボは数日の内に消えてなくなった。医者に行って再度あの痛みを味わうことなく、デンボは完全に治った。
こればかりは医者の手当てではなく、神様の御利益で治ったと僕は今心から信じている。医学に信頼を置いて病気になれば医者にかかって治すの現代の常識だが、常識をはみ出して、代々伝えられてきたデンボの神様・石切神社の神様には特別の感謝の気持ちを持っている。

病気は医者に治して貰うのが常識だが、それと平行して専門の神様にお願いして治して貰うのも1つの方法だ。要はどんな方法や手段を用いても病気は治ればいいのだから。

願掛けをするときも、心で般若心経を唱えながら、お百度を踏んだが、完全に治ったときは、家族全員でお礼参りに行き、お礼のお百度を踏んだことは言うまでもない。

私は自分の体験を通して、関西地方の皆さんに、デンボ(できもの)の治癒は石切さんにお願いされるように勧めたい。 その効果の方は人によって違うかも知れないが。




明けましておめでとうございます

2019年01月01日 | Weblog
明けましておめでとうございます

2019/01/01の幕開けは大阪は穏やかなもので、寒いには違いないが、小春日和のような感じがします。

空には雲一つなく、太陽の暖かさは周りを包みます。原宿では事故があったそうだが、

大勢は穏やかです。

初詣に行きました。

今日ばかりは混むかと思ったが乗り物は普段と比べてすいて、どこから乗っても座ることが出

来る程度の混み具合です。

世界に目を向けると気になるのは、米中対立です。貿易戦争が始まる気配に加えてサイバー問

題。両者とも引けないだろうから、中間にいる日本も戸惑う場面が多いだろうなと想像します。

お隣の出来事だから無関心では居られない。何か暗雲が立ちこめて先行きは心配です。

でもどうにかなるのが世の常です。

一庶民が心配する次元の話ではないと言うことで

2019年の幕を開けましょう。今年もがんばります。よろしくです