日頃感じたこと、思ったこと事などを書きとめておきます。
野のアザミ
天草:「恐竜の島」御所浦
2018-08-18 / 自然
ずっと行ってみたいと思っていた御所浦に寄ってみることにした。とはいえ、当初考えていたほど時間は取れない。ほとんどトンボ帰り状態になるはずだったが、今後も行く機会があるかどうか分からないので寄ってみることに決めた。御所浦は「恐竜の島」として知られる。本当は、島内をあちこち見て回り、化石採集もやってみたかったが、これは夢のまた夢。本当にトンボ返りとなってしまった。
御所浦は、「恐竜の島」として名が知られるが、過去に高レベル放射性廃棄物処分場問題が持ち上がったことがある。こちらはおもしろくもない話だ。
2003年末、町議会の中である人たちが数回の勉強会を開き、建設の手続きの検討を開始した後、翌年の全員協議会の場で、大多数の町議員が賛成の意向を示し、町長に応募するよう口頭要請したようだ。理由は「調査に入れば多額の交付金が見込め、建設でも多数の地元雇用が期待できる」としたのだ。どこでもこのようにお金が絡む話だが、その後、4月に地元紙の報道するところとなり、大騒ぎとなり、誘致要請を撤回することとなった。
よかった! そのまま誘致に名乗りを上げていれば、町内も近隣自治体も、また県民も二分され、取り返しのつかない事態になっていただろう。
ところで御所浦へは、上島の棚底港からフェリーを利用した。この棚底地域は、石垣群でもよく知られている所だ。棚底の家々には、防風林ならぬ防風石垣がある。その石垣群は、扇状地から出た安山岩質の石を使ったものだ。ゆっくり見る暇はなかったが、港への道すがら少しは楽しむことができた。
車は駐車場へ止め、人だけ渡ることにした。駐車料金は12時間100円という超格安。乗ったフェリーは、想像していたものとはまるで違い、34人乗りという小型フェリー。もちろん車は運べない。ちょうどお盆時期なので超満員。聞こえて来る地元言葉からすると、どうもほとんどが帰省客のようであった。このフェリー、小型ゆえ乗下船するところは、鎖が一本横に渡してあるだけ。横に揺られて落ちれば海の中だ。それは、どこか数十年前の蒸気機関車のデッキのようでもあった。そして船尾のすぐぐ後ろには、湖のように静かな海面に大きな波をつくった。若い女性たちは、颯爽と走る海の上に髪をなびかせ、乗組員も加わり、友人達と誰がどうのこうのと地元同士の会話。その会話に加わっていた乗組員の仕事は、鎖をつないだり、お客さんの数を数えたり、船内を見た回ったりして、まるでバスの車掌さんのよう。そして、途中の港に着くたびに港の名前を告げていたが、エンジン音と波の音に消されて聞き取ることはできなかった。それでも30分で、予定どうり御所浦港に到着。短い間だったが、今までのフェリーでは経験したことのない楽しい船旅だった。大型、中型、小型がそれぞれ違う時間で運行されているようだから、一度は小型フェリーを体験してみるべきだ。
小型フェリーは帰省客でいっぱい!
御所浦に着くとすぐに、岸壁で、頭部だけのティラノサウルスが迎えてくれる。口を開けて睨みを利かせている。時間を気にしながら、すぐに近くの御所浦白亜紀資料館へ。ここには恐竜の復元模型の他、白亜紀の恐竜や貝・アンモナイトの化石などたくさんの標本が展示されていた。見れば見るほど頭が疲れそうでもあったが、うれしかったのは、生きたハイギョやオオサンショウウオの標本に出会えたこと。たくさんの化石標本などについては、ここで説明するより、資料館に聞いた方が無難だろう。案内を頼んで化石採集は経験したかったが、時間がなくパス。少し後ろ髪を引かれる思いで、遅い昼ご飯となった。港の売店でお弁当を買い、恐竜の模型がいくつか並んでいる公園で昼食をとった。背後に見える照葉樹林は輝くような緑で美しく、真っ青な空には2羽のトビがゆっくりと舞っていた。
帰りは、ちょっと大きめの中型フェリーで元きた棚底港へ。行きより寄港地がひとつ多い各駅停車の35分。到着する前には、棚底の町の上の扇状地も船上からくっきり。折しも気温が38度を超すような日々が続いていたが、エアコンが効いた客室はとても涼しく快適だった。
港ではティラノサウルスが迎えてくれる
生きたハイギョ
オオサンショウウオの剥製
港そばの公園の恐竜
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