外的アウトソーシング戦略は何を目指したか?
FESCO創業時の第三の基本戦略である「アウトソーシング戦略」には、「内的」と「外的」の両面があった。
「内的アウトソーシング」とは、まさに人事戦略面の柔軟性であることは、前回詳述したので、今回は「外的アウトソーシング」について述べる。
実は、この戦略こそFESCO事業の最大のテーマであった。
97年当時のわが国の経済情勢は、バブル崩壊の後遺症に苦しみながら、極めて厳しいなかにあった。そうした状況下で企業経営者は、従来型の経営スタイルの抜本的な改革が求められ、特に、「会社は誰のもの」というような本質的な議論が出始めたころでもあった。
「株主のために会社の価値をいかに高めるかが、経営トップに求められている」
今でこそあまり違和感のないこの議論に、当時は、優良大企業の経営者であろうとも、その真意を理解できた人は少なかったのかもしれない。そうした状況下であった。
「資産圧縮によるROAやROEの向上は、企業にとって、勝ち組になるための常套手段である」
そのような大きな経営改革の流れの中で、「ユーティリティのアウトソーシング」という言葉も聞かれるようになってきたい。
顧客の保有する設備機器や設備システム一式のアウトソーシングにより、顧客は本業に専念すべきである。ESCO事業者がまさに「ユーティリティのアウトソーサー」として、企業経営の効率化の一助となるのではないか。
「初期投資ゼロで省エネによって削減したコストから投資回収ができる」というESCO事業の「シェアード・セイビングス契約」は、まさにこのアウトソーサーを標榜したものであり、時代の要請にマッチしたものであった。
しかしながら現実は、創業から数年間、なかなかこの「シェアード契約」の普及が進まなかった。
「考え方はおもしろいが、過去にやったことがないので、社内説明が難しい」
日本企業独特の保守的な実績主義がネックとなった。また、新しいアイデアというものは、通常このような扱い方を受けるものである。
ただし、そのアイデアが本物であれば、一度トンネルを抜けると一気に加速することもある。その傾向も日本社会の特徴かもしれない。
「何かきっかけがあれば、シェアード契約が一気に拡大するのではないか」
営業現場での顧客説得に苦しみながらも、心のどこかでブレークする予感があった。それは信念にも似た感覚であった。
「ESCOのシェアード・セイビングス契約は、今の日本企業の経営効率化に絶対必要であり、必ず普及拡大する。いや、そうなるべきである」
このブレークスルーのきっかけをもたらしたのは、実は国の政策的な支援であったのだが、そのことについては、次回に述べる。