わが国の2013年以降(ポスト京都)の温暖化効果ガス削減の中期目標値がやっと発表された。
その目標年度は、2020年であり、その基準年度は2005年とした。また、この削減には、排出量取引や森林吸収分は含まない。これを「真水」と呼ぶ。
「2005年度比15%削減」
これが今後国際的な場で他国と交渉に当たる際のわが国の基準となる。
ちなみに、他の先進国の公表値は以下のとおりである。
●EU:1990年比20%減
●米国:2005年比14%減
●カナダ:2006年比20%減
●オーストラリア:2000年比5%減
これが国際交渉の現実なのか。それぞれの国がそれぞれの思惑の中で、基準年をバラバラに選んでいる。これでは今後公平性という議論をどう進めるのか?数値の多寡によるイメージだけの不毛な議論だけは回避して欲しいものである。
たとえば、1990年度を基準年とすると、日本の公表値は15%減が「8%減」となる。京都議定書では、1990年比6%減(2008~2012)が日本の義務であるので、そこからはたったの2%増というところが事実である。
しかしながら、わが国にとっての問題は1990年という基準年にある。この時点でのそれぞれの国の省エネ水準を公平に査定するという努力をしないままで基準としたところに、日本の失敗があった。
今回の交渉では、絶対に中国やインドなどの途上国も含めなければならない。そこも含めた世界全体で、それぞれの国にとって公平性がある程度保てるような削減値をどうするか。一方で、温暖化を止めるための科学的な見地からの削減量要請も加味しつつ、国際的な協力体制を構築していく。
これは本当に至難の業ではないか。こういう時こそ、強力なリーダーシップが求められる。そしてそのリーダーこそは、率先垂範型でなければならない。また、国益を超えた地球益の観点から世界をリードしなくてはならない。
日本がそうなってくれることを切に願う。
そのためには、まずは「隗より始める」しかない。