今回は石油について概観したい。
そもそも石油は、石炭などと異なり、実にさまざまな用途がある便利な資源であるが、その元となる原油は、ほぼ100%が輸入である。
その用途としては、大きくは燃料油と化学用原料として使われるが、2009年度では燃料油が約80%占めている。
燃料油の国内需要は、オイルショック後もある程度一定の水準(2億kl)を保ってきたが、2009年度にはその水準を下回り、かつその中の用途構成は大きく変貌を遂げている。
つまり、1973年の第一次オイルショック時における燃料油に占めるガソリン(自動車燃料)の割合は約12%に過ぎないが、2009年度では約30%まで拡大している。
また、発電用や産業用の重油(A、B、C)については、1973年度で約60%であったものが、2009年度では約15%と減少している。
つまり、国策でもある「脱石油」によって、産業分野や民生・業務分野で石油から石炭・天然ガスへの燃料転換が進展してきたのである。
最近の石油産業固有の問題は、まずはCO2を始めとした温暖化効果ガス削減に寄与しにくいこと、国内需要は減退が著しいこと、そもそも石油産業自体の構造が脆弱であると言われている。
この構造が脆弱であることというのは、実は日本の石油産業発展の歴史にも大いに関連するところであるが、端的に言えば、国内石油産業の「上流」と「下流」が分断されていることである。
つまり、石油精製と石油化学が分断され発展してきたこと、また石油ビジネスと天然ガスビジネスも別物として発展してきたことなどがあげられる。これは元を質せば、1962年の石油業法による国家的な産業統制政策が大きいと言われている。原則論として、国家的な統制により企業の自由な活動は制限され、結果的には企業の自由な発展が阻害されるということは正しい。
いずれにしても、国内の石油関連企業には、世界の市場で互角に戦える石油エネルギー企業が存在せず、このことが日本のエネルギーセキュリティ上も大きな問題となっている。
石油という化石燃料は、その源泉である油田地域が、中東などの地球上の特定地域に偏在している。そもそもそのことが石油における最も大きな問題であり、現在でもわが国はそのリスクからはまったく回避できていない。
所謂、原油輸入量の中東依存度は、1973年度で92%であったものが、80年代中盤では70%程度まで低下したものの、2000年に入ってからは85~90%の高水準を維持している。つまり、世界的に政情が極めて不安定な地域や国に、われわれの重要なエネルギー源の元を握られている。日本国民の殺生与奪権が彼らにあるのである。
これからの日本のエネルギー政策として、やはりこの状態を放置することは、エネルギー安全保障上、極めて問題であろう。
少なくとも電気エネルギーを作る燃料としての石油の役割は、非常用のバックアップ電源としてのみ明確に位置づけ、その代替策を積極的に採っていくべきである。
石油業界の方々は、石油の埋蔵量はまだまだある、ピークアウトはまだ相当先であると主張するが、そのことが事実であるかどうかよりも、むしろ日本国民のセキュリティの面において、石油燃料の依存から早期に脱却をしていくべきである。
ただし、石油には備蓄できるという石油独自の特性があり、その特性を活かした重要な役割も残されており、そのためにも有限の石油資源をできるだけ有効かつ大切に使っていきたいものである。
石器時代が終焉したのは、石がなくなったからではない。石油もまったく同じことが言えるのではないだろうか。
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