北のとうさんの鉄道旅・アマチュア無線JA8HBO

札幌に住むおやじが北海道を中心に鉄道旅の話題や無線の話題も織り交ぜてぼやきます。アマチュア無線のコールサインJA8HBO

似非キハ261系の登場その2

2015年07月02日 | うんちく・小ネタ
似非261系の登場でJR北の魅力は消えたと、以前書きました。
261は好きな車両ですが、車体傾斜装置「Tilt」があってこその話だとしたのです。
ところが、現在納車されている車体傾斜装置を外したHET261は、開発を取りやめたキハ285の補完車両として、すでに予定されていたと言うのです。簡単に言うと281に対する183のような扱いとか、車体傾斜の必要の無い路線、要するに285まで高性能車が必要ない路線で運用される予定だったようです。しばらの間は、この261が配備されていきますが、乗り心地に悪影響のある車体傾斜装置の改良が出来れば平成30年頃を目途に本来の「Tilt」261が配備されると言うことなのです。
たしかに261の車体傾斜装置は乗り心地を悪化させる欠陥があって改良中だとの話は昨夏に耳に入っていました。
また、配備中のHET261であっても、曲線の通過速度は十分に速く、強力なエンジンによって加速も良く、線路状態の改善が完了すれば、都市間交通の高速化に大きな役割を果たすようになるとのことです。
いずれ283が消え、続いて281が消えた後は、間違いなく261が北海道内を快適に走る姿が見られるのでしょう。
新型投入ではありませんが、名車261を開発してくれた過去の経営・技術陣に敬意を表したいと思います。
結局、現経営陣は、その経営陣を超えられないですし、能力もないのでしょう。なにか施策を出せば出すほど社員も利用客も離れていきます。

キハ40後継は東の車両を流用のプチ電車です。いつから東の子会社になったのでしょうか。
内地から独立できない北海道がここにもありますね。

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JR北海道再生推進会議の提言書の曖昧さ

2015年07月02日 | 日記・エッセイ・コラム
第三者メンバーによるJR北海道再生推進会議の提言書をさらりと読んだ。
当初、作成の予定は無かったが、解散にあたって何か提言を残したいと言うことで作成されたと聞く。
会議の議事録概要は都度公表されてきたが、これと言った内容もなく、JR側の説明というか弁明と今後の施策を聞く内容だったと記憶している。
メンバーの意見も一部公表はされていたが、発言者は内容から推測するにとどまっていた。
今回の提言書もメンバーの誰が中心となって作成したかも不明だが、JR北の事務局がメンバーの意見を斟酌して原案を作成し、最終日にさしたる異論もはさまれることも無く通ったものと感じる。

総じて、会議と今までの調査で出た問題点をまとめて、それに対する対策的なことを大雑把に書いたに過ぎないようで、老眼を押して苦労して読んだが(笑)これと言った目新しい内容はなかった。

「身の丈」とか意味の不明な言葉を使い、「減便・減速・廃線も視野に」と言いながら「廃線は慎重に」と言ったように、どのように理解すべきなのか曖昧な部分も目に付く。
「聖域なき」などは最近の政治で流行の規制緩和で使われる言葉を使ってみたかったのだろう。
「聖域なき」・・・実に聞こえが良いが、意味不明で曖昧な言葉だ。

過去の高速化推進を全面的に否定するのは、現在の経営陣が過去の経営人を否定して意趣返しをしたいのからなのだろうなと、意地の悪い捉え方もしたくなってしまう。

高速化の象徴であったキハ285の開発中止を問題視した北大の吉見教授を社外監査役に取り込んで、この提言書には関与させなかったことも、徹底した過去の経営への否定を感じる。提言では列車運行面での技術開発が先だとしているが、子供でも分かるよ、何をいまさらと言いたくなる。
このまま高速化を断念し、都市間交通は現状維持で進んでいくならば、平行した高速道路のある路線は、今後も一層バスに利用客を奪われ、ジリ貧の一途を辿っていくだろう。
提言書が公表されたとほぼ同時に、留萌線の廃止の提案が地元自治体になされていたとの報道がされた。
提言書に「安易な廃止は慎め」とあるにも関わらず、文章として曖昧に解釈できるところを突いたというか、無視をしたと受け止められても仕方が無いだろう。

安全対策と新幹線をお題目のように唱え、過去の経営陣への意趣返しに終始しているようでは、歪な年齢構成の社員はバラバラになり、根底から企業としての運営に行き詰まり、存在価値を失うかもしれない。
若い社員が、自分の仕事に自信を失っているのではないかという雰囲気も感じられる。
このような若い世代は転職を考えて去って行くかもしれない。
新幹線の要員に一定の人員が必要となることは、急に分かったことでもないのに、運行要員の不足で夏の臨時列車が大幅に減少したのは、大量の離職者が出たからなのかと勘繰ってみたくもなる。

さて、最後に、最も言いたいのは、今のJR北海道には「顧客満足」が抜けてしまっていると言うことだ。
「顧客満足」を与えられない企業は市場から消え去るだけなのだ。かつての国鉄のように。
この会社は「顧客満足」が抜けたままでは、何をやっても無駄な気がする


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登別の母の家へ

2015年07月02日 | 日記
毎度のことながら登別の母の家に行ってきました。
往路はいつものように虎杖浜でアヨロ温泉に入ります。何度か書きましたがお薦めのお風呂です。
料金は銭湯とおなじ420円です。大広間休憩は別途120円取られますけど、それでも安いものです。



母の家は、室蘭本線の幌別と鷲別間の線路沿いにあります。線路側には一列住宅がありますので、窓から鉄道が見えるわけではありませんが、庭に出ると建物の間から通過する列車が良く見えますし、音で車種はほとんど分かります。
撮影は歩いて5分くらいの富岸西路線踏み切り付近です。イオンがあることも影響してるのでしょうか、近年、車の交通量が増えて、踏み切りと国道36号との間に車が詰まってしまい、スムーズに踏切を渡れないこともしばしばです。
さて、今回は2泊3日でしたが、朝と夕にカシオペアと北斗星が通過します。その前後の北斗の183や281そしてキハ40.150.143、さらに特急すずらん789系などを追いました。駅間距離が長く、直線なので全列車がフルスピードです。撮影には細心の注意が必要です。
少なくとも架線柱の1メートル外側で撮らないといけません。この踏み切りは保線のために車両が出入りするので雑草も処理されており、ついつい中に入ってしまいそうですが、気をつけなければいけません。



















富浦駅通過のDf200です。圧巻(●^o^●)







JR貨物の陣屋町臨港駅で廃車の711系と北斗星の
客車に別れを告げてきました((+_+))



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名寄のキマロキ祭り

2015年07月02日 | 旅行記
名寄の北国博物館の下の芝生の真ん中に残された名寄本線線路跡に、かつて最強の除排雪編成と言われたキマロキ編成が静態保存されています。
今年は保存されてから40年を記念する「キマロキまつり」が開催されたので、去る6月27日に名寄まで行ってきました。
キマロキとは
キ:機関車(9600型蒸気機関車)
マ:マックレー車(線路脇の雪をかき集めます)
ロ:ロータリー車(かき集めた雪を飛ばします)
キ:機関車(D51型蒸気機関車)
編成の前後に蒸気機関車が連結されて、降り積もった雪を強力に蹴散らしていくのです。蒸気ではなくディーゼルだったり、機関車の前にラッセルをつけることもあります。
通常の除雪にはラッセル車が使用されますが、ラッセル車に押し退けられた線路脇の雪壁が高くなると線路上に崩れてしまいます。そのため線路脇の雪壁を崩し、線路から離れた場所に雪を投げる目的で運行されました。
当日はミニSLの運転試乗会や、博物館内ではHOゲージの模型の運転展示が行われました。



あいにくの寒空で、薄着だった私は早々に講演会の会場の名寄駅前の「よろーな」へ行って昼寝(笑)をしながら17時の開演を待ちました。
当日の主たる目的は、「鉄道を愛するフォーラム」の聴講でした。演者は鉄道フォトライターの矢野直美さんです。

矢野さんの講演の後は「鉄道遺産の保存と活用」と称したフォーラムが行われ、矢野さんはもちろん、キマロキ保存会の志志見さん、北海道鉄道文化保存会の飯田理事長、名寄市立大の萩野先生の貴重なご意見を伺うことが出来ました。


飯田先生は元北大の先生で小樽の運河保存に尽力された方で、手宮の鉄道展示にも深く関わっている方です。
萩野先生は道南いさりび鉄道の名付け親・・というか何人かのの中のお一人です。
平素、ツィッターやフェイスブックでの仲間内の世間話だけでは得られない、異なった視点でのお話しを聞くことができて、有意義な時間を過ごすことができました。
当日の朝刊で留萌線廃線の報道があったというタイミングでのフォーラムでしたが、鉄道と他の交通機関の文化遺産としての違いも含めて、熱いお話しが展開されました。
鉄道がなくなると「地図から消える」「街はさらに衰退する」等等、最もなお話しでした。
でも、単に「鉄路を残してください」ではなく、地元民からのビジョンの提案も必要だと言うことなのです。
まあ、廃線の話しは別ブログで触れます。

当日は、富良野までラベンダーエクスプレスで行って、早めのラベンダーを楽しんで・・・・・のはずでしたが。札幌駅で時刻表を見て((+_+))。
日にちを間違えて、当日は8時前の便は無く、9時とのこと。待つのも嫌なので、札幌駅で数枚の写真を撮ってから7時48分のS宗谷で旭川に向かいました。





旭川からノロッコ号で富良野に向ったのですが、寒さに閉口して美瑛で途中下車。旭川に戻って(なんと富良野線では始めてキハ40に乗りました)





早めに名寄に向いました。
名寄の車中で、前を見ると(●^o^●)紛れも無く矢野直美さんが座っていらっしゃいます。偶然とは(^_^)/
「めんこい(可愛い)」の一言でありまして、名寄での下車時に思わずお声がけをしてしまいました。
いい思い出です。12時半に名寄着。
帰途は名寄から知人の見送りを受けながら旭川行きの20時16分のキハ40に乗り、札幌行き最終のSカムイ(785)に乗車。0時前に帰宅しました。







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