乗り鉄にはまって以来、函館本線の山線、廃止された江差線、根室本線の釧路以東、日高本線等々、沢沿いに敷かれた線路を喘ぐように登ったり下ったりするキハの車内で、明治以来、北海道の開拓に汗した先人の苦労をいつも思うのだった。
今、資本主義という効率一辺倒の社会システムを選択した我々は、その苦労の証を次々と捨て去ろうとしている。別に共産主義が良いというわけではない。
しかし、資本主義も限界を迎えている現代、我々はせっかく積み重ねてきたものすら捨て去ろうとしている。
先人に申し訳ない思いだ。道産子と言われる私たちには開拓者魂などと言うものは、とうに無くなってしまったのか。
いや開拓使という中央政府にすがることで開拓を進めた来た我々は、「すがる」ことだけを身に着けてしまったようだ。
鉄道を軽んじることは北海道の開拓そのものを否定することにもなるのかもしれない。
北の零年という映画があったが、幕末から明治にかけて日高に入植した藩士たちの物語だ。その日高は開拓の証を消し去ろうとしている
今、資本主義という効率一辺倒の社会システムを選択した我々は、その苦労の証を次々と捨て去ろうとしている。別に共産主義が良いというわけではない。
しかし、資本主義も限界を迎えている現代、我々はせっかく積み重ねてきたものすら捨て去ろうとしている。
先人に申し訳ない思いだ。道産子と言われる私たちには開拓者魂などと言うものは、とうに無くなってしまったのか。
いや開拓使という中央政府にすがることで開拓を進めた来た我々は、「すがる」ことだけを身に着けてしまったようだ。
鉄道を軽んじることは北海道の開拓そのものを否定することにもなるのかもしれない。
北の零年という映画があったが、幕末から明治にかけて日高に入植した藩士たちの物語だ。その日高は開拓の証を消し去ろうとしている
