北のとうさんの鉄道旅・アマチュア無線JA8HBO

札幌に住むおやじが北海道を中心に鉄道旅の話題や無線の話題も織り交ぜてぼやきます。アマチュア無線のコールサインJA8HBO

毎年恒例の帯広へ根室線代行バスで

2018年01月17日 | JR北海道 JR北
1月7日から8日にかけて、根室線経由で帯広まで出かけました。
滝川からは遅い時間なので、一旦旭川まで北上して遊びましたが、岩見沢までは721系F1009という先頭車両がUシート(快速エアポートでは指定席になり、リクライニングシート)の車両に乗ることができました。


岩見沢で乗り継いで、旭川に到着です。いつものように石北ラッセルと261サロベツがいました。




旭川から滝川まで戻って東鹿越行きに乗ります。
一昨年の水害前までは新得行きでしたが、現在は東鹿越からは代行バスに乗り替えとなります。
すっかり日も落ちたころ富良野に着き、しばらく停車しました。



いつも車窓から見るだけの東鹿越駅に降りることがあるとは想像もしていませんでしたが、ここで代行バスに乗り替えて、幾寅、落合と周って新得まで、約1時間です。
ふらのバスのハイデッカーでなかなか快適でしたし、天候にも恵まれて、定刻に運行しました。幾寅でほとんどの乗客(高校生)が降りて、新得まで乗ったのは数名でした。
根室線は富良野と幾寅間は残してほしいものですが、廃止すると決めたら何としても実行してしまう今のJR北の頑なな姿勢と、経営状況では、結局は富良野は終点駅になってしまうのでしょう。
公共交通もすべて、原理資本主義的な視点で考える、現在の政権には多くは期待できません。南富良野は廃れていくのでしようか。

新得には定刻に到着。バスがサホロリゾートに寄ることになってから、新得発帯広行き18時44分の便が18時50分に変わっていることを知らずに一便遅らせるのかと駅に入ると、駅員が間に合うと笑顔で案内。そしてホームへ。国鉄色朱5号のキハ40が2両、暗闇に停まっていました

無事帯広に着きました。

駅から10分ほどのホテルに泊まりましたが、道筋の足元が危なくて、冬はやめることにします。翌朝は10時の新得行きに乗って、新得からスーパーとかちで新夕張まで特急ワープです。
18きっぷの特例区間です。根室線が一部廃止になれば、札幌から道東への鉄路はこれだけになってしまうのでしょう。
Sとかちには、釧路方面から教師の知人が乗っています。うれしいことに自由席車の席を確保していてくれました(●^o^●)。久しぶりの再会でしたが、あっという間の1時間でした。
私も先生の端くれなので、そんな話もしたかったですが、1時間はあっという間ですね(●^o^●)





新夕張からは千歳行に乗り替えました。
今回の旅も快適に終わろうかとしていると、ツイッターで千歳線不通の連絡が((+_+))。
乗車している列車は途中の追分駅で運転打ち切りと、JR北海道の運行情報に出ています。ところが車内には一向にアナウンスがされません。
運転席の後ろへ行ってみましたが研修中の運転士と教官では声をかけるわけにもいきません。
先ほどまで、スーパーとかちで同席した知人からは追分で停車中との連絡が・・・・・((+_+))。これは東追分あたりで抑止かなと思っていると運行指令から運転士に対して、ようやく連絡があり、追分で運転打ち切り、折り返し夕張行きになるとの連絡がありました。
特急が止まっている石勝線のホームが埋まっているので、どこに停車するのかと心配していると、かなりの低速で、使われることの少ない「切りかきホーム」の4番に入りました。階段の影なので、普段は見かけることもなかったのですが、しっかりとホームがあることを初めて知りました。


追分駅で運転再開を待つSとかち。知人がホームに出てきて「乗りなさい」と手招きしてくれましたが、普通列車命?の私はキハ40へと(笑)

残念なことに運行打ち切りの案内は理由が知らされず、乗客も狐につままれた様子で、普通運賃で特例で乗車できた停車中のスーパーとかちに乗り替えたり、苫小牧行に乗り替えたりで、文句を言う人がいなかったのが不思議でした。実際、運転士には詳細が伝えられないので、運転士も説明のしようがなかったのは確かです。
このような時はいつも言われることですが、乗客への情報提供の不足が相変わらずで、一向に改善されないことが実に不可思議です。
さて、私は岩見沢行に乗り替えて、岩見沢からスムーズに帰宅することができました。

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