たまたま峠で父と会って、それで私達の家に居着いてしまったのだけれど、それには訳があって、
これは鉄さん本人の口から聞いたことではないのだけれど、あの人出て行きそびれたのね。
そろそろ腰を上げようかと思っていた時に、突然、父と母が事故で死んじやって、私一人残され
たでしょう。札幌の伯母が引き取りたいって言ってくれたのだけれど、私が拒んだの。
鉄さんのこと憎んでいたのにね。
中学を出てからは札幌に出てしまって、次に東京でしょう。
私、すごく勝手な話しなんだけれど、自分は10年間も葉書きの一葉も出さなかったくせに、住
所すら報せなかったのに、鉄さんはずっとあの家に住んでいるんだと信じて疑わなかった。
だから入江は、私の育った場所であり、家であり、いつでも帰ることのできる故郷だと思ってい
た。
私ってどこまでも自己中心の人間なんだって、良く分かるでしょう。だからね、今さら気が付く
のよ、鉄さんはずっと足止めを食わされていたんだって。
私、今度帰って来て、やっとそのことが分かった」
あやは一気に話してから、一息つくようにカップを手にした。
高志はいつの間にか頬杖をついて、あやを見ていた。何も言わないそんな彼をぼんやりと見なが
ら、あやはそっとカップを置いた。
「話しを戻して少こし訂正するとね、父から聞いたことは他には何もなかった訳ではないの。
鉄さんは大工さんで、奥さんと小さな女の子が一人いて、ある時何かの理由で二人と別れること
になったということなの。
それ以上のことは父も知らなかったみたいだけれど、私の記憶の中にはっきりとあるのは、両親
とも鉄さんの昔のことについはあまり触れようとしなかったことよ。