退屈しないように シニアの暮らし

ブログ巡り、パン作り、テニス、犬と遊ぶ、リコーダー、韓国、温泉、俳句、麻雀、木工、家庭菜園、散歩
さて何をしようか

幸福な世界 2

2015-03-16 05:57:06 | 韓で遊ぶ


母の心

呼び鈴の音に、やりかけの仕事の手を止めてドアを開きました。
「ピンポーン、ピンポーン」
「あら、お義母さん。」
田舎で一人暮らをしている義母が何の連絡もなく来たのでした。腰が曲がるぐらい、たくさん頭に載せて、背負って持ってきた包みには、夫が好きな魚の干物や塩辛がいっぱい入っていました。
「重いのに、何でこんなにたくさん持っていらしたの、、、」
「あの子が、昼メシも食くわねぇで暮らしているんでないかと、、、わしは何をしたってあの子にはあわせる顔がないんだ、、」      」
貧しい暮らしの中で、子供を次々と5人も生んで育てて来て、子供たちにお腹をすかせる思いをさせたことをすまなかったと思っていた義母さん。殻のついた麦までかき集めてご飯を炊いても、義母さんの炊く釜は、いつも子供たちの旺盛な食欲を満たすには足りませんでした。
「弁当が足りないような時は、あの子が弟たちにみんなあげてやって、自分はただ腹をすかせていたもんだ、、、心根が優しくてそうなんだろうけど、石ころでも食べたい年頃にどれだけ腹をすかせていたことか、、、」
義母は包みをほどきながらため息のようにつぶやきました。
夫は貧乏な家の5人兄弟の一番上でした。一番上だということで弟たちには譲ってやり、一日中お腹を空かせて勉強していた息子に、義母は20年が過ぎてもありがたくすまない気持ちを濯ぐ道が無いと言って、いつも涙を見せるのでした。
「まったく、私が無知だから。」
その日の夕方、私は白いご飯にイシモチの干物を焼いて、干しタラの煮物まで、義母さんが持ってきてくれた材料でご馳走を準備し、義母さんはずっと魚をほぐし息子のさじの上にのせてやりました。
「もう、母さんもちょっとは食べてください。」
「わしはもう、お前たちが口にご飯を入れているのをみても腹がいっぱいだ。」
次の日、義母さんはもう何日かいてくれと引き止めるのにもかかわらず、あくまでも息子の嫁の荷物になるのはいやだと家を出て行きました。そう言い張るのを止めることができず私は駅まで送って行きました。
ですが、切符を受け取ってプラットフォームに行こうとした義母が、出し抜けにかばんの中から新聞紙でくるくる包んだ包みを一つ取り出して私に渡しました。
「これは何ですか。義母さん。」
「何も言わないで、あの子に、おいしいものを買ってやってくれ。」
新聞紙に何回もくるくる巻かれた物は驚いたことにお金の束でした。
「お前も子供を育てて見るとわかるとは思うが、母親の気持ちと言うものはみんなこんなもんだぁ。子供が腹をすかしているかと思うと、メシが喉を通らない、、、。」
子供たちがくれたわずかな小遣いを一ヶ月に10000ウォンも貯めて、20000ウォンも貯めながら作ったお金100万ウォン。私は泣きそうになり喉がつまって何も言うことができずその場に立ち、遠くなる義母の曲がった背中を見つめ胸の中で涙を飲み込み込みました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする