退屈しないように シニアの暮らし

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さて何をしようか

幸福な世界 2

2015-03-21 06:29:11 | 韓で遊ぶ


母のご飯茶碗

母は魚売りでした。
小さな漁村の港で魚を買って売る母。漁船に乗った父が荒波に飲まれ亡くなってから、母は6人の子供たちを一人で育てていました。
「ねえ、、、安くするから。」
背が低くか細い身体で母が子供たちを養うのには、魚の箱を頭に載せてこの家、あの家と回り、足で稼ぐ事しかありませんでした。母の行商は一日も欠かさずに続きました。
「まけてやるから、1匹買ってよ。」
「今度ね、また今度。」
人々は手を振って言いました。
そうやっても6人の1食分の食料を買うのにもぎりぎりの稼ぎでした。売れ残った生きの悪くなった魚1匹と米が少ししかなくても家に帰る母の足取りは軽くなりました。
家の戸を開けて母は入ってくると子供たちは喜んで迎えました。
「わぁ、母さんだ。」
12歳、10歳、9歳、8歳、似たり寄ったりの年頃の子供だった私たちの願いは、一度白いご飯を腹いっぱい食べてみたいと言うことでした。ですが、ご飯はいつも足りなくて、私たちは誰彼なしに食べるものさえ見れば、あわたてふためいて文句を言いました。
「もぐもぐ、、むしゃむしゃ、、、」
「少し、ちょうだい。」
「あ、、やだ、やだ」
お膳を前にして繰り広げられるこのような言い争いは、もう特別なことでもありませんでした。
ですが、おかしなことがありました。母は食事のたびにご飯を1膳ずつ残すのですが、残したご飯を絶対に子供たちにはくれないことでした。
末っ子がさじをしゃぶりながらもっと食べると言いました。
「母さん、母さんのご飯、僕が食べたらダメ。」
「私も、もっと食べたい。」
「私も、私も。」
上、下にかかわりなく子供たちが皆、自分が食べると言いだしました。
ですが母はいつも断固としてご飯茶碗を守りました。
「これはダメだと言ったじゃないの。」
子供たちはそうなると悲しい気持ちになるのでした。
私たちがさじを持って駆け寄ると、母はお膳をすばやく片付けてしまいました。
ですが、その日に限って末っ子が残ったご飯にひどく執着し、膳の脚をつかんでしがみつき、だたをこねる末っ子のせいでお膳がぐらぐらしました。
「お、、、お、、」
その瞬間、傾いたお膳から母のご飯茶碗が落ちてしまいました。そしてご飯茶碗からは白いものがひとつ、ごろんと出てきました。
私はその日の光景を40年が過ぎた今も忘れることができません。
末っ子がそれを持って言いました。
「これ、何。」
母はきょろきょろして、どうしていいかわかりませんでした。私たちはそれでやっと母が私たちに残ったご飯をくれない理由を知りました。ひっくり返ったご飯茶碗から出てきたものは、残ったご飯ではなく大きな大根の切れ端だったのでした。
私たちは一緒に声を出して泣きました。
「母さん、、、」
「お前たち、ううう、、、、、」
ご飯茶碗にすっぽり入るような形に削っていた大根の上には、ご飯粒が危なげについていたのでした。
コメント
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