退屈しないように シニアの暮らし

ブログ巡り、パン作り、テニス、犬と遊ぶ、リコーダー、韓国、温泉、俳句、麻雀、木工、家庭菜園、散歩
さて何をしようか

幸福な世界 2

2015-04-04 06:10:01 | 韓で遊ぶ


絶対に必要な人

都心のビルの森はいつも混みあっています。
その中には様々な会社があり、多くの人が仕事をしています。ある会社、ある組織の構成員の中には絶対に必要な人と絶対必要でない人、そしていてもいなくてもいい人がいるものです。
私と同じく入社した彼は競争相手になる人物ではありませんでした。今日も彼は部長に呼ばれて叱責されました。
「君は、いったいやる気があるのか。えっ。」
「それが、ですから、、、それが、ですから、、、申し訳ありません。」
彼は、言葉もちゃんと言うことができず頭だけを掻いていました。上司からあれやこれや失敗を指摘されるのが常で、そういう時になると、男らしさというものは目をこすってみても見つけることができないくらい哀れにな姿になりました。
部長が腹立ち紛れに投げつけた書類を彼は一つ一つ片付けるのでした。
「またか。どうしてあんな風に生きるんだか、まったく。」
一緒に勤務している同僚さえも哀れな彼の後姿に一言二言、言うのでした。ですがそれもしばしの間、何やかや言われて出て行っても、何もなかったようにお盆にコーヒーを載せてきて皆に配りました。
「さあ、コーヒータイムです。」
私は、そんな彼が情けなくさえ思いました。自分の将来もちゃんとできないくせに、人のためにそんなことをするのか、残業する後輩たちの世話をしようと退社時間を遅らせることも多々ありました。
そんな彼が休職届けを出しました。奥さんが悪い病気になったからでした。
「パク主任、今まで、ありがとう。入社同期も多くいないけど、最後まで一緒にいれなくてすまない、、、。」
彼は涙まで浮かべて別れを惜しみましたが、私は形式的な挨拶以外しませんでした。私は、彼が会社を辞めても別に変わるものは無いと思っていました。
ですが、、、彼のいないことは私たち皆にとって、とても大きなことでした。
毎朝に飲んでいた香り高いコーヒーを期待できなくなっただけではなく、机の上のカップにはシミのついたまま埃ばかりが積もりました。ごみ箱にはごみがあふれ、書類は何がどこにあるのかごちゃごちゃになり、人々はだんだんいらいらした顔に変わって行きました。事務室にいっぱいあった余裕は消えたのです。
私はふとキム主任が入れてくれたコーヒーが恋しくなりました。ふと彼のいなくなった席に近づいた時、彼の使った机のガラスの中に小さなメモ紙の文章の一節が目に入ってきました。
「私が楽なときは誰かが苦労して耐えていて、私が少し苦労している時には誰かが楽にしているのだ。」
少し足りないようだけれど実はいつも満ち溢れていた同僚。キム主任こそ私たち皆にとって楽をくれる、私たちにとって絶対に必要な人だったのです。
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幸福な世界 2

2015-04-03 07:39:20 | 韓で遊ぶ


練炭の灰泥棒

私が高校に通っている時のことです。
私はおばあさんと二人で学校の近くの借家に住んでいました。大家のおじさんが練炭を配達する仕事をしていたので、練炭を入れるのには苦労しませんでしたが、問題は使った後の練炭の灰でした。
家が狭いので積んでおく所もなく、灰を捨てようとすると毎日5分もかけて坂を下りていかなければならないので、正直言って、寒い日には面倒でどこでも捨ててしまいたいと思うこともしばしばありました。
その日もひどく寒い日でした。凍えた手にふうふう息を吹きかけながら練炭の灰を捨てに行く時でした。
その時、一軒家から腰の曲がったおばあさんが出てきて、練炭の灰の2つ入った箱を持って灰捨て場まで下りて行くのでした。
曲がった腰でゆっくりと何歩か行っては座って休んで、また行っては休んで、、、。危なくてその歩みでは20分はかかるように思われました。
「あぁ、、腰が、、あぁ、、」
腰をたたきながら、軽く息を吐きながら、そうやっておばあさんは坂を下りて行きました。
次の日、夜間自習を終えて家に帰る私は、そのおばあさんの家の台所の入り口の横に置いてある練炭の灰を見て足を止めました。
道端にしゃがみ込んで曲がった腰を叩くおばあさんの姿が浮かんだのです。私は練炭の灰を2つこっそり持って、道を行ったところにあるごみ置き場に出してしまいました。
そうして10日余り経ったでしょうか。うちのおばあさんが町内に不思議なことが起こったと話しました。
「本当に不思議なこともあるものだ。あそこの下に一人で住んでいる年寄りがいるのだけど、誰かがその家の練炭の灰をこっそり捨ててくれるんだと。」
私はその年の冬が終わるまで誰にも知られずに練炭の灰泥棒を続けて、それは10年余り過ぎた今も、私の心を暖かくしてくれる楽しい秘密として残っています。
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幸福な世界 2

2015-04-02 07:05:17 | 韓で遊ぶ


250ウォンの愛

地方のある大型割引店であったことです。
週末であるところに退社時間と重なり割引店の中は混みあっていました。
レジの前の長い行列の後ろで小学生の孫の手を持って立っていたおばあさんが、前の人たちに聞きました。
「あの、、、アイスクリームがとけるんで、ちょっと順番を代わってくれませんか、、、」
気を大きくして孫にアイスクリームを買ってあげようとするおばあさんの頼みを断る人は誰もいませんでした。ですが問題はレジのところで起こりました。
「おばあさん3000ウォンです。」
「あれまあ、これはどうしたらいいもんだ。私は2750ウォンだと思っていたのに。」
手にしっかりと握っていたお金をもう一度数えてみたおばあさんは、困った声で言いました。
おばあさんは、垢のついた財布からしわくちゃになった1000ウォン札1枚と小銭を出して、2750ウォンだと思ったということを繰り返して言いました。
列を成していた客たちは何事かと気になって首を伸ばして見ていました。
「どうしたんだ。何事だ。」
そんな姿が恥ずかしいのか孫は首をうなだれていました。
その姿が気の毒で、私が250ウォン出そうとお金を取り出した時、レジの女性職員の声が聞こえました。
「おいしく食べてください。おばあさん。」
明るく笑った顔で彼女はおばあさんに隠れて自分のポケットから小銭を250ウォン出して不足した分を足してやりました。
感謝するおばあさんを見て、見ていたみんなの顔にも明るい笑顔の花が咲きました。
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幸福な世界 2

2015-04-01 06:58:47 | 韓で遊ぶ


市内バス乗車券

創業30周年を迎えたバス会社がありました。
その会社は盛大に行おうとしていた記念行事を取りやめました。顧客に対する感謝の気持ちを表すこととして、よりは意味のあることにしようとしたからでした。
いろいろなアイデアの中で、子供のいる家庭と一人暮らしの老人に毎月30枚の乗車券を配ることに、意見が集まりました。
その仕事は結婚を前にした20代後半の一人の女性職員に任されました。彼女は通学距離が遠い子供いる家庭と、保健所に行く老人の中から対象者を選定し、ひそかに訪ねて行きました。
ある家に行きました。その家には女子中学生が鼻をたらした弟と一緒に住んでいました。
「あなたがソンジェですね。」
子供は、言葉もなく頭を掻きながら女性を見つめました。
「これはバスの乗車券なんだけど。私の会社からのプレゼントなの。」
「はあ、、、バスの乗車券ですか。」
心の優しい彼女は、大したことでもないことで、恩着せがましく見えないように、受け取った人たちの自尊心を傷つけないように、配慮し注意して乗車券を渡しました。
「おじいさん、これバスの乗車券です。」
「バスの券だと、これはありがたい、、、。」
幼い少女から年をとったおじいさんまで、幸いにも乗車券を拒否する人はいませんでした。
「失礼します。」
「気をつけて、、、」
そうやって一ヶ月経った後、彼女は2回目の乗車券を持って対象者一人一人を訪ねて行きました。ですが、その人たちの中の何人かを除いては、先月あげた乗車券をほとんどそのままに持っていたのでした。
「年寄りが、どこに行くところがあるものか。お金でくれればむしろ良いものを。」
乗車券が残っているのは子供たちも同じでした。半分でも使ったでしょうか。家に帰りながら彼女は心が重くなりました。
「本当に必要なものは、乗車券ではなくてお金だと言うことだけど、、、」
彼女は一晩中眠れず寝返りを打って過ごした末、次の日の朝早く銀行へ行き満期まであと3ヶ月の貯金を解約しました。そして準備した封筒に乗車券の代わりに、真心をこめてお金を入れました。
次の日、彼女は坂の上の町内の急な坂道を、うれしい気持ちで上がって行きました。
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