日々徒然なるままに

日々感じたことを書いていきます、よろしくお願いします

木花咲耶姫 仏頭

2018-02-15 21:04:33 | ちょこっとスピリチュアル
こんばんは。
今日は曇りながら割りと穏やかな日でして、夕方歩きに出ても寒さは感じませんでした。
つい2、3日前はとても寒かったのにこうも急に気温が上がると嬉しい反面、戸惑う気持ちになります。
それでも自然は正直なようで渡ってきた鳥なのか、綺麗な声で鳴いていたります。
暖かい季節も、もう少しといったところでしょうか。
朝はしかし、どんよりとしておりました。




                                  





                                  






                                   




今夜、というか正確には明日になるのですが16日の午前1時より出雲大社神楽殿に於きまして福神祭が執り行われます。
これは以前にも書かせて頂きましたけれど、旧暦の一月一日、つまりは元日にこのお祭りを致すことでこれからの一年間の福と徳を授けて頂くと
いう文字通り、そのようなお祭りです。 
自分自身はこのお祭り、その殆どが真冬のしかも真夜中のお祭りですので参拝致したことはございませんが、お近くにお住まいの方々はこの日の
お祭りを心待ちにしておられるようで、殊に祭りが終わった後に殿内へ設えてあります注連縄の紙垂(しで)であったかを持ち帰るとこの一年間は
無事に過ごせるとされておるようでして、終わるや否や皆さんで取り合いになるほどだそうです。
先にまだ春は遠いかも、と申しましたけれど旧暦の元日を迎えるのですから、これから先はやはり暖かくなってくるのかもしれませんね。





                                  



そんな春に、ではありませんけれど此方でよく引き合いに出させて頂きますTomokatsuさんが今日は「コノハナサクヤ」のエネルギーをブログにて
取り上げておられましたので、自分もそのエネルギーを感じてみることに致しました。


 “   春(時期)になると ぱっと咲いてぱっと散る このように捉えられている桜

     どうしてだと思いますか

     あなた方(日本人)は桜の樹の下で 皆で楽しく歓談しつつ飲食をされますね 和やかに

     こうすることで お互いの親睦を図り これからも互いに活力としようと思うからです

     こうして和やかに 過ごすことが大切です

     では何故 この期間からずっと年中 続いていかないのでしょう

     それは日々このようであると あなた方は こうして浮かれることしかせず 

     いわば現実世界 社会の中で仕事というものをしていかなくなるからです

     そうなると 発展もしませんよね

     だから ぱっと咲いて ぱっと散る

     短い期間であること その中で出来るようにとしているのです

     
     寒い時期を経て 暖かくなると一斉に咲く桜

     ほんのり淡いピンク色は あなた方の ホルモン活動を一緒に高めます

     縮こまっていた生の部分を この淡い色と香りで解放させ 

     これからの活動的な季節への 弾みをつけるためでもあります  ”


 “   そうしてあなた自身 どうぞお越し下さい

     待っております   ”

 この後神殿にて祝詞奏上、その折に 東寺の仏頭?

 
 ‘   会いに参れ

     その方(ほう) かつて この都におりし者

     市井の中に ありながら 人々の相談や 困り事を 受けておった

     霊性があったのだ

     此処へ参れ そうして我を見よ

     多くのことを思い出すであろう

     斑鳩の里もな   ’




                                 
                                
         


木花咲耶姫(このはなさくやひめ)、この神様は以前にも何度もこのブログにてご紹介させて頂きましたので、既にご説明申し上げるまでもない
かと存じます。
季節的にもあとひと月もすれば日本の南から桜前線と称してその様子は伝えられるかと思います。
どうして我々日本人はこうもこの桜の花に魅せられるのでしょうか。
一斉に花開き、余程のことでない限り満開ともなれば、あとは潔いほどに散り行くばかりです。
蕾の頃から日ごとに何分咲きと言われる程度の花を開いて行き、その途中の過程ですら可憐な花の姿を愛でる程の民族です。
何がこれほど心揺さぶられる程に待ち遠しいのでしょうか。
上で木花咲耶姫が言われるように、この花の下で自分達は親しい人と共に集い、少しばかり手の込んだ弁当を広げお互いに談笑しながら仲睦まじく
ひとときを過ごします。
他に何があるわけでもなく、ただ頭上には、傍らには桜の淡い色の花々が今を盛りと咲いておるだけです。
けれど自分達はその桜こそがこの宴の一番のご馳走でもあります。
少し手前の季節にはやはり同じように花開く梅があります。
しかしこの頃はまだ寒さを感じる頃でもあり、のんびりとその梅の花の下でお弁当を広げようという思いには今一つなれないのかもしれませんね。
頬に当たる風が温く感じ、そのまま寝転がれば寝てしまいそうなほどの陽気になって、初めてそんな桜の下でのんびりしようと思えるのかも
しれません。
その桜、此処で言われているように寒い時期に縮こまっていた自分達の生命力にも働きかけてくれているのかもしれないですね。
一斉に花開いた一塊の淡いピンクの花々はそれだけで見る者の心を浮き立たせます。
仄かに匂う桜の儚い程の香りは、ともすれば人々の心の底に沈んでいた淡い恋心にも似た感情を揺さぶるのかもしれません。
とはいえ、そのような思い、感情ばかりで年中過ごすわけにもいかず、やはり言われるように短い期間の中でぱっと咲いてぱっと潔く散る、それが
あるからこそ、自分達の心に余計訴えかけてくるように感じられるのかもと思います。
一時の淡い心を呼び起こした後はしっかりと目を覚まし、これからまた迎える暑くなる季節へと備えるための前置きのような期間なのかもしれ
ません。

東寺、というよりは興福寺という方がよいのかも知れません。
ご存じのように自分は出雲大社教の神主で、仏門には詳しく御座いません。
ですけれど、以前ブックマークさせて頂いております富鷹成易の白水明さんのブログにこの仏頭の写真が載っており、それを拝見した途端に写真の
その仏頭に一言「参れ」といわれたような気がして非常に驚いた覚えがあります。
今回も頭に浮かんできたのはその仏頭でして、以前と同じように参れと言われたのでした。
なんでやねん;な思いなんですけれどね、正直なところ;。
理由は此処へ言われていることのようですけれど、果たしてそうであるのかどうか皆目自分には判断致しかねるところです。
よく言われる言葉ではありますが、来ればわかる、そんな風に言われておるようです。
どうも自分に声を掛けて下さる存在というのはその所在地?が地球上であるならば、どうででも現地まで足を運べという事のようでもあります;。
う~ん;。(毎回悩んでしまう;)
参れ、といわれて、ハイ、喜んで!と二つ返事で参らせて頂けるよう努めたい、そう思っております;。




                                   




                                     
                       




                                   



夕方歩いて来ると曇っていた空が次第に青空へと変わって行きました。
今日は雨かもと考えてもおりましたが、結局このあたりは降ることもなく穏やかに一日が暮れて行きました。
上にも記しましたように、この国を南から北へと北上していく桜前線が一日でも早く皆様の心を和ますように駆け上がって行ってくれればと願う
思いです。


本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
コメント
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