とんだり はねたり

kinoppyの一日

旧本多家住居長屋門

2018-10-30 | 歴史
Hi!みんな元気?ちょっと疲れた時みんなはどこへ行く?kinoppyはココ。↓ 湧水と豊かな緑、タイムスリップしたみたいなココ、後方は国分寺崖線の深い森。



歴史の勉強してて、確かめたいこともあった。解体工事で、しばらく見学出来なかった資料館。今日は都の文化財週間とかで、無料。やった!



何気に通り抜けていた長屋門。国分寺村の名主本多家が江戸時代に建築、後には本多雖軒(すいけん)が医者を開業していたらしい。へぇ~。



見学できるそうだ。折角なので、お邪魔した。1階はこんな感じ。二間あって、外の景色はこんな感じ。

  

         

階段。二階へ上がってみるよ。

          

向かって右側の部屋、窓はkinoppyが開けた。すぐ閉めたよん。



徳利と古ダンスが印象的だったので



振り向くと反対側の部屋には、明治時代日本の農家で盛んだった、養蚕の展示。多摩地区では八王子が有名だけど、国分寺でも盛んに行われたそうだ。

   


美しいシルク!こうしてみるとほんときれいだね。



フト右手に目をやると、何やら古箪笥のよう、ビニールがかけてあって、わかり難い。箪笥の上にはこんな図が どうやら薬箪笥らしい。    

  

謎は解けた。

   

本多雖軒は江戸時代1835年本多良助の4男として生まれる。(本多家では家長は代々良助と名乗っているとどこかで読んだことがある。総本家か?)1861年府中で開業したが、4年後実家に戻り、ここで開業した。教員も経験している。1916年(大正5年)82才で没した。江戸、明治、大正と波瀾の時代を生き抜いた人なんだね。



本多雖軒は、書家としても名高く、近隣から揮毫を求められることも多かった。国分寺七重の塔宝篋印塔、大国魂神社社務所等に書が残されている。

  

どう、みんなも本多雖軒について詳しくなったかな?なかなか面白いでしょう?縄文時代からの歴史かと思ったら先土器時代から人が住んでいた国分寺市、ナウマンゾウを追いかけている原始時代の人々、考えただけで、なんてロマンティック!!国分寺建設に携わった人々や、甲武鉄道の開通に関わってきた人々が、どのような知恵を絞りその時々の国分寺市を建設してきたかを想像すると、とても楽しいのはkinoppyだけ?? 

みんな最後まで読んでくれてどうも有難う。長屋門の紹介にこれだけかかってしまったゴメン。続きはまた今度ね。