映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

推し活レポート◆2024.Sep

2024-12-17 | 推し活

◆9月28日 金川真弓&久末航 @世田谷区民会館

 6月に日帰り強行軍で大阪まで金川さんのチャイコを聴きに行って、もう半年経つなんて、、、はやっ! このリサイタルも、3か月も前のこと、、、うぅ、サボっていて遅くなってしまった。

 4月の読響バルトークを一緒に聴きに行った友人も、すっかり金川さんのファンになってくれて、このリサイタルも是非行きたい!と自らチケットをとってくれました。ので、席は離れておりましたが一緒に行きました。

【プログラム】
 W.A.モーツァルト:ヴァイオリンソナタ第18番 ト長調 K.301
 N.パガニーニ:「24のカプリース」から第1番、第10番、第24番
 M.ラヴェル:ツィガーヌ
 オリヴィエ・メシアン:主題と変奏
 C.サン=サーンス:ヴァイオリン・ソナタ第1番 ニ短調

 金川さんはいつもながらの堂々とした弾きっぷりに、一音一音に説得力のある素晴らしい演奏だったのだが、この日の白眉は、そらもう、、、なんつってもツィガーヌだった。もう、鼻血出そうだった、、、。

 ツィガーヌは多くのヴァイオリニストが演奏しているので何人かライブでもCDでも聴いている。さすがラヴェル、ロマの音楽を感じる面白い曲だけど、何というか、あんまし聴いて感動するという曲でもなかったのだよね。でも、この日聴いた金川さんのツィガーヌは、もう、、、何だろう、完全に心を持って行かれてしまった感じ。感動するとかいう安っぽい単語で表したくない(けど、ボキャ貧で適切な表現が浮かばない)。とにかく、終わった瞬間に、マジで鼻血出るんじゃないかと感じたほどにのぼせてしまった。うわぁ、、、、、、、、ぁぁぁ、、、だった。

 あと、サン=サーンスも凄かった。特に3楽章~4楽章。金川さんの演奏は言うまでもないが、今回初めて聴いた久末氏のピアノが素晴らしかった。音がクリアで美しい。4楽章のアレグロ、あのテンポでズレないってのが奇跡的だと思ってしまうが、まあ、それがプロなんだよなぁ、、、。

 アンコールは、リリー・ブーランジェのノクターン、サン=サーンスの白鳥の2曲。何かもう、、、夢のような時間でございました。

 一緒に行った友人は「金川さんてさぁ、、、人生何周目??ってくらい、何か音楽が深いよね」と終わってからため息交じりに言っていて、そうそう、それホントそう、、、と思ったのだった。


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 この日は、リサイタルが15時からだったので、普段はほとんどそっち方面に行く機会のない駒場の日本近代文学館で開催されていた「編集者かく戦へり」という企画展を、お昼前に見に行った。

 いやホントに、こっち方面に来ることってゼンゼンないので、京王線の新宿より西方向に乗ったのも何十年振り??ってくらい。井の頭線の駒場東大前駅で降り、閑静な住宅街を歩いて10分ほど。重要文化財(旧前田家本邸)の建つ鬱蒼とした林の中へ分け入り、、、

 

 茂みを抜けた先に、目指す建物があった。

アプローチはいささか味気ない、、、

 

 この階段を上がったところが入口で、あまり人気のない受付でハガキ入りの封筒を入館チケット代わりにいただき、さらに階段を上がって展示室へ。

 

左:ハガキ入りの封筒/右:チラシ裏面

 

 ……まあ、編集者の端くれとして、小説家と編集者の手紙のやり取りというのを一度見てみたい、小説家の直筆の手紙を見てみたい、という好奇心で行ったのだけど、思ったよりはマトモな文面(一応、挨拶とか普通に書いてあった)に、むしろ意外だった。もっと、編集者を詰ったり泣き落としにかかったり、、、なーんてのもあるのかしらん、という覗き趣味は見事に裏切られたのであった、、、ごーん。

 宮尾登美子のお断りの手紙(何のお断りだったか忘れた、、、)とかも、内容は単刀直入でありながら文面は婉曲という、宮尾小説まんまなお手紙だった。

 驚いたのは、吉村昭の字! あの緻密かつ骨太なノンフィクション小説を書いた人とは思えないチマチマした小さな文字。えーーーっ、と心の中の声が、、、。

 あと、手紙の差出先で、あの坂本龍一の父親、坂本一亀宛が複数の作家のものとして展示されていた。さすが名物編集者。

 中上健次はかなりの悪筆。まあでも、今回の展示にはなかったけど、石原慎太郎の悪筆に比べれば、誰の字でも美文字に見えるわ。石原慎太郎は、口も悪くて何言ってんだか、、、って感じだったが、その字はそもそも読めないもんな。

 編集者と作家なんて因果な関係だろうから、もっとドロドロした書簡が見られるかと思ったんだけど、割とフツーやったな、、、と。特別、編集者として学びと感じることはなかったかな。


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 で、駒場東大前から、世田谷区民会館のある世田谷線の松陰神社前までは、京王線で下高井戸まで行って世田谷線に乗り換え。世田谷線って、、、もしかして初めて乗ったかも??

松陰神社前駅。カワイイ

 

 松陰神社前で友人と14時頃待ち合わせて、駅から5分くらいのところにあるiri coffee roastery というオサレなカフェ、、というかコーヒー屋さんへ。

 

 コーヒー、美味しかったっす。プリンも、私の好きな固めので甘さ控えめ、goo。友人のダンナのグチを聞いて、いざリサイタルへ。

 世田谷区民会館は、9月にリニューアルしたばかりで、そのこけら落しとして、このリサイタルが行われたのでありました。

 

 

さすが新しくてキレイ。ホールの音もなかなか良かった♪(上右:ホールの画像はお借りしました)

 

 面白い企画展示に、友人との楽しいおしゃべりに、金川さんの素晴らしい演奏に、、、あー、楽しかった!

 今年の推し活レポートはこれが最後です。来年も通うぞ~♪

 

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山逢いのホテルで(2023年)

2024-12-15 | 【や】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv87168/


以下、公式HPからあらすじのコピペです(青字は筆者加筆)。

=====ここから。

 スイスアルプスをのぞむ小さな町で、障がいのある息子をひとり育てる仕立て屋のクローディーヌ(ジャンヌ・バリバール)。毎週火曜日、彼女は山間のリゾートホテルで一人旅の男性客を選んでは、その場限りのアヴァンチュールを楽しむ、もう一つの顔を持っている。

 そんな中現れたある男性との出逢いが、彼女の日常を大きく揺さぶることになる。もう恋を追いかけることなど想像もしなかったクローディーヌは、再び女として目覚めようとしていた……。

=====ここまで。


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 チラシを見て、ちょっといいかも、、、? とよく見たら、主演がジャンヌ・バリバールで。彼女、ちょっと苦手なのでどうしようかな、、、と思ったけれど、やはり劇場まで行ってしまいました。

 サービスデーに見に行ったけど、8割がた空いてました、、、ごーん。


◆これだから男って、、、

 シングルマザーのクローディーヌ。障害のある子を持つ夫婦は、そうでない夫婦よりも離婚率が6倍高い、、、というデータがあるらしい。根拠となる統計数値は見付けられなかったので真偽は分からない、、、が、Twitterを見ていると、そういう書き込みは実に多い。しかも、大抵夫からの申出による離婚。

 私が身につまされたケースは、障害児と健常児のきょうだいを育てている夫婦で、夫から離婚を申し出られたが、この夫が健常児のみの親権を主張し、協議の末、夫の希望通りの結果となって離婚したというもの。お母さんのツイートには「私だってできることなら健常児だけと暮らしたい」という趣旨の文章が長々と書かれていて、偽らざる本音だろうと胸が痛くなった。しかも、健常児は女の子で、障害児は男の子だった。今後成長すれば、女親が体力有り余る障害者の男性を一人で面倒見るのは相当大変だろう。子の成長を考えれば、同性の親子の方が良いのではとなるが、父親の意図が明らかに「障害児育てからの逃亡」に見えて、卑劣に感じたのは私だけじゃないと思う。

 で、本作でのクローディーヌの夫も、詳細は描かれていないが、やはり「逃亡」した模様。なんかもう、序盤からやり切れない思いにさせられた。もちろん、夫が逃げた理由は分からないが、息子が理由の一つであってもゼンゼン不思議ではない。

 夫がいついなくなったのかも不明だが、息子は父親のことをほとんど知らない様子だったので、息子が小さい頃にいなくなったのだろう。

 男には逃げるという選択肢があってイイねぇ、、。母親は逃げられないんだよ。


◆男との情事より高級エステ

 クローディーヌが毎週、見知らぬ男とセックスしに行くのは、性欲を解消するためという側面もあったのかも知らんが、何かこう、、、別の意味があるように見えた。が、それが何なのかは正直なところ、全く分からなかった。バリバールの大胆なベッドシーンを見ながら、頭の中ではあの“東電OL殺人事件”を思い浮かべていた。クローディーヌは売春していたわけではないが、この2人の行動原理は、金銭授受の有無が違うだけじゃないかという印象を受けたのだった。

 各種メディアでの本作の紹介はおおむね、このクローディーヌの行動の背景について「女性の渇き」とか「心と肉体の疼き」とか「女性という性の奥深さ」とか、上記のあらすじにある様に「その場限りのアヴァンチュール」とか書かれていた。多分、これらは当たっているのだろうけど、私は“50代後半の女性が男とのセックスに非日常を求める”という設定が、あんましピンと来ないのだ。理由は主に二つある。

 一つは、自分がクローディーヌとほぼ同年齢なのもあって、見知らぬ中高年オッサンとセックスするなんて考えただけで吐きそうってこと。

 クローディーヌの選ぶ男たちは、ほぼ同年代。50過ぎの人間なんてハッキリ言って、(男女問わず)衛生的にどーなん?? 歯周病やないん?とか、老人斑の出た皮膚とか、加齢臭??とか、、、ウゲゲでしかない。セックスという究極的な肉体の交わりを実行するには、やっぱりお互いの見た目の(美醜ではなく)ある程度の清潔さって必要だろ。……などと思うのは私だけなんかな。もう、キモいんですよ、セックスなんて。

 もう一つは(こっちの方が大きいが)、そもそも、私は40過ぎたあたりから世の男全てにウンザリしたからである。

 つまり、男は全員(程度の差はあれ)「男尊女卑」なのよ。そら、世界中血眼になって探せば、4人か20人くらい(数字に根拠はありません)はそうじゃない男もいるだろうけど、少なくとも私がこれまですれ違っただけのも含めて関わった男たち、父親、友人、同級生、同僚、先輩・後輩、元カレ、現パートナー、その他もろもろぜ~~~んぶモレなく「男尊女卑」。しかも、ほぼ自覚がない。というか思想的デフォルト。

 「女は可愛ければいい」なんてのは論外だけど、「女性を守るべき」とかいう男の発言は、その端的な表れである。若い女性は、こう言われて嬉しく思う(私もそうだった)が、この言葉の裏を返せば、女をナメてるってことである。

 んで、前述のとおり、いざとなると逃げるヤツとかいる。無責任の極み。“男気がある”って言葉があるけど、あれ、ウソだよね。「男気=弱い者が苦しんでいるのを見のがせない気性」らしいけど、だったら、前述したような、障害児育てから逃げる男が多いってのは何なんですかね? それだけじゃない。相手が妊娠したら逃げる男、相手が結婚したいと言ったら逃げる男、、、みんな根っこは同じ。 

 そのくせ、女に自分たちのケアを平気で要求する。生活する上で必要な、出来て当たり前のこと、ちょっとした細々したことが出来ない。最近よく聞く「見えない家事」を夫が出来ずに妻がストレスフルになる、、、なんてのは良い例。“そういうのは女がやるもん”と無意識に思っている。こういう男が出来ないのが家事だけの訳がない。仕事も同じ。要するに“使えない”。

 ……というわけで、そんなクソ男と積極的に交わりに行くクローディーヌの心情に全く寄り添えないのでありました、、、ごーん。

 週一でホテルまで出向いてあのような行動をするには、それなりの費用も掛かるだろう。私が彼女だったら、同じ費用を掛けて、高級エステに行くかな。もちろん、スタッフは女性だけのお店でね。、、、それじゃあ、ドラマにならんのだが。


◆「ギルバート・グレイプ」「ジャンヌ・ディエルマン~」

 中盤、クローディーヌが男との情事の後に眠りこけてしまい、帰宅が遅れる、、、というシーンがある。そのとき、息子は風呂で震えていたのだが、これを見て、「ギルバート・グレイプ」を思い浮かべた人は多いのでは?

 また、クローディーヌのキチンとした日常と男たちとの情事との対照性から、「ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地」を思い浮かべた人も多いだろう。

 ジャンヌは売春だったし、クローディーヌが男との情事に求めていたものとはかなり意味が違う気がする。2人とも、ルーティンが狂ってしまうのは同じだが、結末も大分違う。

 ジャンヌが売春していたことに対し、私は、前述のような“クソ男云々”は感じなかったのだが、それは、ジャンヌがほとんど“お仕事”として売春していたからだった。生活の足しのために淡々とこなしていて、クローディーヌのように非日常を求めている感じは受けなかったからだろう。

 終盤、ルーティンが狂ってしまった情事の相手ミヒャエルと共に南米に行くか、、、というところでクローディーヌは葛藤し、結局、行かなかったのだが、ミヒャエルは3か月の出張だし、別にムリして一緒に行かんでもええやん、、、と身も蓋もない感想を抱いてしまったのだが。だって、3か月なんてあっという間だし、帰って来たらまた会えばいいだけの話でしょ??

 葛藤の末に振り切って、施設の息子に会いにくれば、息子は、とうに母親の自分から自立した姿を見せており、彼女のラストシーンでの慟哭は意味深である。息子が自立したことへの寂しさなのか、ミヒャエルに着いて行かなかったことへの後悔なのか、、、。

 でも、3か月で帰って来るんだから! と、私は嗚咽しているスクリーン内のクローディーヌに心の中で叫んでいたんだけど、、、そういう意味じゃなかったんだろうか、あの彼女の嗚咽は。ちょっと、あのラストシーンは分からなかったなぁ。


◆ジャンヌ・バリバール

 「ランジェ公爵夫人」(2006)を見て、ジャンヌ・バリバールのことはあまり良いイメージを持てなかった。その後も、「幻滅」(2022)や「ボレロ 永遠の旋律」(2023)で彼女を見たが、あまり印象は好転しなかった。

 が、本作で、彼女への苦手意識はかなり払拭された気がする。

 正直なところ、あまり好きなルックスではないのだが、本作での演技は素晴らしかった。剣のある顔だが、声は裏腹に可愛らしくて優しく、本作ではそれが徹底して息子と向き合っているシーンでのみの表現だった。それがまた、彼女の息子への思いとして感じられて、グッとくるものがあった。

 男との情事に向かうときは、どぎついブルーのアイシャドウに真っ赤な口紅の厚化粧で、むしろ老いが強調されていた。で、情事を終えて帰る電車内で化粧を取るのだが、その化粧を取った後の顔の方が何十倍も美しいのである。あれは一種の武装だったのだろう。白いワンピースもどこか安っぽいのだが、明らかに戦闘服だった。山間にヒールの高いブーツを履いて来るのは、やっぱり、非日常を求めに来ているということなんだろうね、、、。

 一度きりの情事で終わらなかった男ミヒャエルを演じたトーマス・サーバッハーは、他の男たちよりは確かにイイ感じだった。、、、けど、まあ、やっぱしオッサンだよなぁ。私にはムリだわ。

 思ったよりボカしの入るベッドシーンが多かったけど、バリバールの演技は下品にならず良かったと思う。

 

 

 

 

 

 

 

ダム湖のほとりのホテル、行ってみたい~。

 

 

 

 

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映画鑑賞後のトークショーあれこれ

2024-12-07 | 映画雑感

 今年も残すところあと20日余り。今年はあんまし劇場に行か(け)なかったような気がするのですが、トークショーがあるので敢えてその回目指して見に行ったってのがいくつかありました。

 トークショーは舞台挨拶と違って、出演者がお出ましになるわけじゃない場合が多いので、それほど混まないし、その作品に関連する背景などを知ることが出来るので、割と好きなんですよねぇ。で、印象深かったトークショーレポートを3本ほど。


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◆翻訳家・柴田元幸氏によるP・オースターについてのトーク&朗読 ~「スモーク」(1995年)上映後~@新文芸坐 '24.Jun.29

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv10827/

 

 「スモーク」は大昔に一度見ただけで、ハーヴェイ・カイテルが三脚を使って写真を撮っているシーンが印象に残っているものの内容はあんまし(というかほとんど)覚えていなかった。

 ちょうどこのちょっと前にオースターが亡くなってニュースになっていて、おそらくその兼ね合いでこのトークイベントも企画されたのかと思うが、私は柴田元幸氏の翻訳が好きで、柴田氏のトークを聴きたくて見に行ったのだった。……といっても、オースターは本作の原作である『オーギー・レンのクリスマス・ストーリー』を映画を見た後に読みかけただけなんだけど。

 映画は、、、良かったけど、まあ、あんまし感想をあれこれ書きたくなるような感じではなかったな、やっぱり(だから書いてない)。

 終映後の柴田氏のトークの内容は、主にオースターについて。柴田氏はオースターと個人的にも親しかったとのことで、本作のシナリオもオースターは手掛けているのだが、シナリオを書いたのは本作が初めてで、非常に楽しかったと言っていたとか。

 例の、写真を撮るシーンについては、確か、アウグスト・サンダーというドイツの写真家の撮影した労働者の写真にインスパイアされて描いたものだということだった。このサンダーの写真は、ラシードの偽名を名乗ったトーマスが最初に読んでいた本の表紙なんだとか。

 あと、ウィリアム・ハート演ずる作家ポール・ベンジャミンの部屋が妙にリアルだと思ったのだけど、あれは、オースターが拘って監督に進言したものだというような話もあった(違っていたらすみません。メモが殴り書きなもので、、、)。

 やはりトークは聴いて良かった。特に、最後に原作の一部を朗読されたのだが、それがすごく沁みたのだった。

 読みかけて放ってある原作を読んでみよう!と、帰宅途上では感動していたのに、いまだに果たせておらず。原作本を探してもいない、、、嗚呼。

 
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◆緑魔子氏による映画「盲獣」と増村保造監督についてのトーク ~「盲獣」(1969年)上映後~@国立映画アーカイブ '24.Sep.7

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv22431/

 ご存じ変態映画「盲獣」が、“ぴあフィルムフェスティバル2024”にて増村保造監督特集が組まれて上映されると知り、これは是非見ねば!と。この映画、好きなのだけど、スクリーンで見たことはなかったので。

 しかも、よく見たら、主演の緑魔子のトークショーもあるという。もう行くしかない!! 映画友(彼女は本作をかつてスクリーンで見ているという)も行きたいというので、一緒に魔子様のご尊顔を拝しに馳せ参じた次第。

 まあ、映画はあの凄まじい舞台装置がスクリーンいっぱいに広がり圧巻。今回、ウン十年ぶりに見たのだけど、船越英二ってすごいなぁ、、、とビックリ。千石規子も凄かったし、とにかく、この映画は主要登場人物が3人しかいないのだが、この3人が3人とも狂っていてスゴい。

 で、終映後、魔子様のご登場。今年、80歳とのことだが、お美しい。

 あの女体オブジェについて、スタジオに入ってセットを見た瞬間、「監督はナニ考えてるんだろう?」と思ったと。今にして思うと「監督はあの女体オブジェに押し潰されたかったんじゃないか?」とも言っていて笑ってしまった。すごく弾力のあるオブジェで、走りにくかったと。へぇー。

 監督がシャイだとかという話も面白かったが、一番印象に残ったのは、魔子さんが、口調はおっとり柔らかに「この映画は男の目線で女を撮った男の映画だ」とぶった切っていたことだった。いやもう、、、ホントそれね。自身が演じたアキという女性について、「すごくかわいそう。私は監督みたいに頭も良くなくて普通の感性だから、SMとかフェチとか理解が出来なかった」みたいなことも言っていて、やはり女優が身体を張って演じることの大変さを垣間見た気がした。

 このトークショーは対談形式で、聞き手が増村作品の大ファンだとかいう映画監督だったんだが、ハッキリ言って聞き手としては最悪だった。魔子さんが、本作のオファーを受けたときに「テレンス・スタンプが好きだったので『コレクター』みたいな作品だったらイイなと思って……」みたいな話をされたときも、どうもテレンス・スタンプを知らなかったみたいで受け答えがトンチンカンもいいとこ。魔子さんもちょっと??な感じだったし、聴いている方も白けてしまった。ああいうインタビューはかなりの技術を要するので、人選はもう少し考えた方が良い。ただ映画が好きだとか、同業者だとか、それで務まるもんじゃない。

 トーク終了後は撮影タイムが設けられ、私も頑張って撮影したけど、、、うぅむ。

 
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◆フィリップ・グレーニング監督自身による作品解説 ~「兄弟はロベルトという名でバカ野郎」(2018年)上映後~@アテネ・フランセ文化センター '24.Oct.12

作品情報⇒http://www.athenee.net/culturalcenter/program/gu/groning.html

 

 本作の監督による「大いなる沈黙へ」(2005年)が岩波ホールで公開されていた時に、ちょっと興味があったものの、あまりに長い(160分)し、ほぼセリフのない映像だけの作品だと聞いていたので、躊躇して結局見に行かずに終わったのだけど、その監督のオンライントークがあると知り、聴いてみようかな、、、という軽い気持ちで行ってしまった。

 ……で、正直なところ、かなり退屈だった。映画自体も、ハッキリ言ってめちゃくちゃ観念的な映画で、頭の中で捏ね繰り回しただけのモノという感じだった。後半の胸糞悪い展開などから、ちょっとラース・フォン・トリアーに通じる感じもあり、ハッキリ言って嫌悪感さえ抱いた。

 おまけに、オンラインインタビューは、さらに輪を掛けて観念論に終始していて、なんというか、途中からどーでもええわ、、、という感じにさえなってしまった。

 のだけど、1つだけ印象に残った話があり、それは、本作の前半、草原で兄と妹が寝転ぶようにして話をしているシーンについて、アンドリュー・ワイエスの「クリスティーナの世界」にインスパイアされた、という話。別にこの絵が好きなわけではないが、割と有名な絵だし、このモデルになった女性の話とかを何となくは知っていたので、それが、本作の妹のキャラ設定と若干被り、なるほどね、、、と思ったのだった。

アンドリュー・ワイエス「クリスティーナの世界」(画像お借りしました)

 

 とはいえ、このトークで通訳を務めていたのは日大のドイツ映画専門家(?)の渋谷哲也氏というお方だったのだが(この方は、「戦場のピアニスト」のトークショーでも話を聴いたことがある)、ワイエスのことを知らなかったみたいで、ココでも話が噛み合っていなくて、何となくガッカリだった。

 いずれにしても、いかにして、観念映画を作ったか、、、という観念論を延々聞かされて、めっちゃ疲れたのだった。何が何のメタファーだとかいろいろ話していたけど、ここまで来ると、ただの自己満じゃないの?という感じ。人に見せるということを考えていないわけじゃないみたいなのが、逆に不思議でさえあったわ。

 本作は恐らく劇場公開されないだろうけど、されても見に行かないね、間違いなく。

 

 

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プリンセス・シシー(1955年)

2024-12-04 | 【ふ】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv12790/


以下、「ロミー・シュナイダー映画祭2024」のHPから内容紹介のコピペです(青字は筆者加筆)。

=====ここから。

 お転婆娘シシー(ロミー・シュナイダー)が、オーストリアの皇帝フランツ・ヨーゼフ1世(カールハインツ・ベーム)と出会い、ヨーロッパ一の美貌と謳われた皇妃エリザベートとなるまでを描いたプリンセス・ストーリー。

 撮影当初16歳のロミーのチャーミングな魅力満載ながら、後の大女優の片鱗も垣間みえる。宮殿やドレスなど19世紀の宮廷生活を再現した豪華絢爛な世界が圧巻。欧州各地で大ヒットを記録、自由奔放なシシーを演じたロミーは一躍アイドル的女優となった。

=====ここまで。


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 ロミー・シュナイダー映画祭2024にて鑑賞。本作のほか、「最も重要なものは愛」(1975年)、「デス・ウォッチ」(1980年)と本邦初公開作2本も上映されたのだが、これらは見逃してしまった、、、うぅ、ガックシ。まあでも、来年あたり早稲田でかけてくれないかしら、、、と淡い期待。

 本作は、日本でも制作から数年後に公開されており、今回は、リマスター版(?)のようで、映像はとてもキレイだった。

 内容は分かっていて見に行ったわけだからケチをつける気はないのだけど、まあ、、、ロミーの美しさや豪華な衣装以外は、映画として見どころはほぼナシ、、、という感じで、正直、若干退屈だった。ロミーが死ぬほど好きな人なら楽しめたのだろうけど、私はそこまでのファンでもないし。

 撮影当時16歳というだけあって、ロミーはピチピチというよりパツパツという感じだった。あー、10代っていろんな意味でこんなんだよなぁ、、、と(遠い目)。

 自然や動物を愛し、自分に正直で、天真爛漫でお転婆で、、、、って、まるで少女マンガのキャラなんだが、まあ、本作はそういう映画なのだからしょーがない。

 見ていてどうにもストレスだったのは、夫となるフランツ。演じるカールハインツ・ベームは、お世辞にも高貴なお方には見えず、ちょっと品の良い兄ちゃんで、ロミーもあんなだから、高貴な方々のラブロマンスというよりは、舞台も山や川といった自然が多かったせいか、田舎のお金持ちの坊ちゃん・嬢ちゃんの恋物語にしか見えなかった。

 それは良いのだが、本来の婚約者であるネネ(シシーの姉)を万座の中で辱めるという、高貴なお方とは思えぬ暴挙に出る。大勢の貴族たちが集う婚約お披露目のパーティで、ネネの前を素通りして、シシーにブーケを渡すというその短慮な行動に、かなりゲンナリした。私がシシーだったら(という仮定が図々しいとか言わないでね)、このフランツの行動で一気に冷めたと思うなー。自分の姉を公の場で悪意なく侮辱するような無神経なヤツは嫌いだ。

 ……でもこれ、あながち映画の中のフィクションとも言い切れないらしいのよね。実際、フランツはネネには見向きもせず、シシーにばかり熱視線を送っていたというのだから。惚れるのは仕方がないけど、人の気持ちをもう少し考えてはどうか、、、とも思うが、実母にかなり抑圧されてきた彼にしてみれば、母親が強力に推してくる女なんか“ケッ、、、”って感じだったんだろうな、というのもまた容易に想像がつく。

 そのネネは、激しく傷つくものの、気高くプライドを守って取り乱すことなく、シシーに当たることもなく、別の幸せを手繰り寄せていく様は素晴らしい。マザコンのフランツなんかと結婚しなくて良かったよ、と思ったわ。

 というわけで、見ていてちょっと引っ掛かったのはそこくらいで、あとは、、、、まあ、パツパツなロミーちゃんをひたすら見ておりました。

 本作を見たのは今回初めてなのだけど、若い頃に見ていたら、もう少しポジティブな見方をすることができていたのかも。イロイロ修羅場をくぐって来たら、甘い砂糖菓子みたいなロマンス映画を見ても不感症の如く、能面なまま鑑賞して終わってしまった、、、ごーん。

 他の2作品、見たかったなぁ。かえすがえすも残念。

 

 

 

 

 

 

 

シシーの母親を演じたのは、ロミーの実母マグダ・シュナイダー(あまり似ていない気がした)。

 

 

 

 

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農民(2023年)

2024-12-02 | 【の】

作品情報⇒https://eiga.com/movie/102795/


 20世紀初頭、ポーランドの農村。村一番の美女ヤグナは、その美貌故に男たちからは欲望の対象とされ、女たちからは嫉妬の的にされている。

 村一番の大地主マチェイは、農地を親の代の倍に広げたことが自慢ながら吝嗇家で、自分の資産をいずれは引き継ごうと虎視眈々と狙っている長男のアンテクとは諍いが絶えない。そんなアンテクとヤグナは不倫関係にあり、アンテクの妻ハンカも黙認状態にある。

 マチェイは先年妻を亡くしており、周囲から再婚を勧められるものの最初は取り合っていなかった。が、「ヤグナはどうだ?」と言われたことで、息子たちに資産を渡したくないこともあって、俄然再婚に前向きになる。

 ヤグナは不本意ながらも、母親がマチェイと取引をしたことから逆らえず、愛人の父親と結婚したのだが、、、。

 ポーランドのノーベル賞作家ヴワディスワフ・レイモントの小説『農民』を映画化。


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 ポーランド映画祭にて上映。本作はロトスコープによる油絵のアニメーション映画です。制作に膨大な時間と人力が費やされているのですが、映画が完成する前に生成AIが普及してしまったという、何とも皮肉な事態となりました。が、作品自体はその熱量を十分に感じられるものとなっています。

 また、私が見た回は上映後に、ポーランド映画と言えばこの方、久山宏一氏によるレクチャーもあり、充実した鑑賞となりました。


~~以下、ネタバレしておりますのでよろしくお願いします。~~


◆登場人物全員、、、

 レイモントの名は、本作で初めて知ったのだけど、ワイダ監督作「約束の土地」(未見)の原作が同じくレイモントの小説だったと知って、へぇー、、、であった。「約束の土地」見たいと思っていたので、、、。

 内容としては、上記あらすじからも分かる通り、女性が主体的に生きる術のない時代の話で辛いものがあるのだが、これが実写でなくアニメだったので、グロいところは幾分緩和されていた。

 ストーリーはシンプルで、設定はちょっと違うけど、「マレーナ」に似ているかな。その美貌故に、男たちの容赦ない視線に晒され、終盤では女たちからリンチを受けるという、、、。マレーナは愛する夫に貞節を守っていたけど、ヤグナは、結婚した後も義理の息子となったアンテクと不倫関係を続ける。

 ……そらそーだわね。あんなケチ爺ぃ、別に愛して結婚したわけじゃないもんね。

 結局、不貞行為の現場を爺夫に見られて、アンテクともども焼き殺されそうになるところを逃げ出したヤグナだったが、土地を巡る諍いが起きて夫は死に、アンテクは投獄される。ハンカとアンテクの弟が土地の相続問題に乗り出してくるが、ヤグナはただただ成り行きを傍観しているだけ。……だけなのに、なぜかどんどん状況はヤグナにとって良くない方へと進展し、村人から総スカンを喰らう事態にまでなるという、、、。

 果ては、村人総がかりのリンチである。おまけに、サイテーなのがアンテクで、シャバに戻って来た彼は、ヤグナが村八分に遭っている状況を見て助けようとしないどころか、積極的に人身御供にするのである。

 とにかく、誰一人マトモな人間が出て来ないという胸糞悪い話なのに、映画としては、油絵独特の持つ味わいの効果か、全編にパワーが漲り、非常に躍動感があったという、、、稀なる作品だった。


◆久山宏一氏によるレクチャーから

 レイモントは、ポーランドのウッチ出身で、父親がオルガン弾きだったせいで(?)、終生、ピアノ音楽を憎んでいた、、、のだそう。面白いのは、ワルシャワの聖十字架教会の柱にショパンの心臓が収められているのだが、通路を挟んで反対側の柱に、レイモントの心臓が収められているという、、、。久山氏曰く「彼があれほど嫌っていた教会のオルガンと音楽家ショパンの心臓の傍らに置かれているということになります」だそう。

 若い頃のレイモントは演劇に興味を持って地方巡業の劇団に加わり女優に失恋して拳銃自殺を図ったり、心霊術の霊媒師をしたりもしていたとか。聖職者になることを夢見ていたことも。極めつけは、鉄道の保線係をしていたときに、駅長の奥さんと不倫してクビになり、奥さんはレイモントとの間にできた子を流産しているとか、、、とにかく、なんというかジェットコースターな生き様である。

 16歳で一念発起してワルシャワに上京した際には、既に書き溜めた短編を多く携えていたそうな。作家としてはもともと勝算があったということみたい。

 本作の原作『農民』はパリで書かれたもので、本作同様4部構成。残念ながら現在上梓している邦訳はないらしい。

 また、本作の監督ウェルチマン夫妻は『ゴッホ 最期の手紙』も監督していて、私はこちらは未見。そう言えば、予告編を見たことあるような、、、。面白そうだから見てみようかな。

 撮影手法は、『ゴッホ~』同様、ロトスコープによるペインティングアニメーション。なんと、のべ25万時間を制作に要したというのだから、気の遠くなる作業だったに違いない。冒頭書いた通り、その制作途中に、生成AIがあっという間に普及してしまったのだけれど、本作ではAIは一切使用されていないとのこと。

 なかなかインパクトのある映画だったが、やはり私には『執事の人生』に勝るものではなかったかなぁ。本作はでも、何となく劇場公開されそうな気がする。『ゴッホ~』の実績もあるし。あぁ、、、『執事の人生』、公開してくださいな、、、もう一度見たいです、是非是非!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ケチ爺を演じていたのは「デカローグ<ある殺人に関する物語>」の殺人犯役だったお方。

 

 

 

 

 

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