映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

太陽の蓋(2016年)

2016-07-17 | 【た】




 311の震災と原発事故、その時、官邸で何が起きていたかを、ある記者の視点から掘り起こす。総理や官房長官らは実名。

 綿密な取材を基に構成されていることは分かりますが、再現ドラマではないので、念のため。

 

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 演劇『BENT』を鑑賞後、夕方時間があったので見に行ってみました。


◆本作品を制作する意義

 総理や官房長官等が実名ということからも分かりますが、本作はかなり官邸の側に立った作品で、東電関係者や、被災者の方々見たら、憤りを感じる部分も多々あるだろうな、とは思います。思いますが、それでも、こういう映画を作ったその志には、敬意を表したい。

 アメリカだったら、もっと早くに作られていたでしょう。日本の映画業界は、こういう政治色の濃い、実際に起きた事故や事件についての映画を作ることに、非常に腰が引けているので、まずはよく作ったな、と思います。

 出演した役者さんも、相当、覚悟を要したことでしょうし、監督を始めスタッフも大変だったろうと思います。こういう映画を作ることに、役者や制作者たちが過剰な覚悟を求められること自体、現在の日本の業界風土がいかに幼稚であるかを物語っており、まずは、こういう幼稚な業界気質を、映画愛好者たちによって改善していくことが第一歩ではないかという気がします。


◆あの時、官邸で何が起きていたか

 大分前に、菅直人著『東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと』を読んでいたので、菅さん実名での作品ということは、多分、あの本の内容と概ね一緒だろうとは思っていましたが、だから、本作を見て初めて知ったことはほとんどなかったように思います。

 菅さんの本を読んだ時も思ったし、NHKの検証番組を見た時も思ったんですが、原子炉が爆発しなかったのは、本当に、ただただ“運が良かった”という、運頼みだったことの恐ろしさです。そして、本作でもそれは描かれていて、何度聞かされても戦慄する事実です。やはり、映像で見ると当時の切迫感はさらに増しますね、、、。正直、怖かったです。

 そして何より、原発を動かしていた東電自身も、ほとんどお手上げ状態だったということには、恐怖ではなく憤りを覚えますねぇ。

 私は個人的に、20年ほど前、東電社員に知り合いがおり(今はゼンゼン関係ありませんが)、まあ、恐らく幹部候補のエリートだったと思います。原発に当時から懐疑的だった私は、その人に「原発ってヤバくない?」と、素朴な感想を述べたところ、一笑に付されたので「チェルノブイリのことだってあるしさー」と畳み掛けたら、「あんなこと、あるわけねーじゃん。あれは、ソ連だから起きたんだよ。日本で起きるはずないって、ガハハハ!」と能天気に言っていたのを、今も鮮明に覚えております。東電には申し訳ないけど、その人1人のせいで、私は、その時、東電を“1ミリも信用できない会社”に勝手に認定しました。だから、東電のCMや広告を見ると、無性にムカムカと腹が立ったものでした。

 なので、福島の事故対応を見ていても、怒りとともに、やっぱりな、というどこか諦めに似た気持ちもありました。あんな人が幹部候補にいるような会社、ろくでもない、という予感は、当たっていたと思いますね。本作でも、東電は徹底的にダメダメに描かれており、私のような者からすれば、最早、怒りを超えて不謹慎ながら笑いさえ覚えます。

 あとは、役人たちの能天気ぶりというか、無能ぶりというか、、、。作品冒頭、官邸で、福島で何事か起きているらしい、という一報に、総理が経産省の担当者に「どうなっているんだ?」と尋ねると、「分かりません」と他人事のような答え。総理が「専門家だろ!」と畳み掛けると「私は、東大の経済出です!!」、、、脱力です。これが、日本の頭脳集団のはずである、官庁組織の実態なのです。

 あの時、官邸で何が起きていたか、、、という問いに対する答えは、もしかすると、「何も起きてはいなかった」かも。官邸も、東電も、ただただ混乱していた。皆が、右往左往していた。誰も、何も、事態をきちんと把握できていなかった。出来るような仕組みが、そもそもなかった。だって、原発は100%安全なんだから。


◆あの時、もし、、、

 私は、今も昔も、菅さんに特別な思い入れは全くありません。ずっと以前、今じゃ信じられませんけど、彼が厚生大臣時代に“次期総理に期待する人ナンバー1”になって人気者だった頃は、そういう人気に懐疑的でした。それは、菅さんの政治家の資質を見抜いていたとかではゼンゼンなく、私自身の性格の問題で、世間でもてはやされているものに、とりあえずは疑ってかかる、というひねくれ目線が常に働くからなのです。

 でも、事故当時の菅さんの言動、、、ヘリでの現地視察、東電への早朝乗り込みetc、、、は、私は、よくやったと思います。一連の彼の言動は今も非難轟轟で、右寄りの新聞など、いまだに菅さんを極悪人みたいな扱いしていますけれども、誰が総理であっても、事故自体は起きていたわけで、その後の対応についても、東電が官邸を蚊帳の外に置いたことは同じだったでしょう。

 ただこれが、もし、自民党政権だったら、、、ということは考えさせられますね。

 可能性は2つあり、1つは、東電がもう少し官邸に協力的になっていて、結果は同じだったにしても、東電と官邸の意思疎通はマシだったかもしれない、ということ。もう1つは、原子力政策を猛然と推し進めてきた自民党は、東電から上がってきた情報を隠蔽するかもしれない、ということ。いずれにしても、自民党政権だったら、菅さんよりマシな対応が出来ていたとは、到底思えません。

 何より、見ていて胸が詰まったのは、やはり、福島で被災された人たちの描写です。何を書いても上っ面になるので詳細は書きませんが、こういう人たちが今もたくさんいるのに、それを東電や政府は、どう思うのだろうか、、、と疑問は消えませんね。


◆その他もろもろ

 本作で、菅さんを演じたのは、三田村邦彦ですが、ズラが丸分かりで、深刻なシーンなのに、何か可笑しかった。三田村さん、久しぶりに見たなぁ。あんまし歳とらないですね、彼。必殺の秀のイメージが強いんですが、あまり崩れていないような。

 一番ハマっていたのは、枝野さんを演じた菅原大吉さんですかね。髪と耳たぶは付けたんだと思いますが、ちょっと猪首な感じとか口元とか、よく研究しているなーと。途中から、枝野さんに見えましたもん。

 北村有起哉演じる記者は、まあ狂言回しなので、ああいう描写になるのかな。何日も泊りで仕事している割に、顔も服もキレイなのはいただけないけど、無力感を覚えながらも取材を続ける姿は、なかなかサマになっていました。余談ですが、舞台『BENT』でも素晴らしかったです。彼は、ホントに声が良いですね。お父さん譲りでしょうか。舞台でも良く通る声で、映画の中でも渋い低音で一際耳を引く声でした。

 冒頭の紹介文でも書きましたが、本作は、よく取材された誠実な作品であることは間違いないけれど、再現ドラマではないので、これが現実にあったことだと鵜呑みにするのは危険だと思います。いくつも報告書が出ていますし、関係者による本もたくさん出ていますから、様々な立場からの話を見聞きして、真実を自分なりに探って行くしかないと思います。

 願わくば、東電の立場から描いた映画が作られると良いなあと。どんな内容にしても、顰蹙を買いそうではありますが、それでも、作る価値はあるのでは。もし、そうなったら、、、東電社長は、誰が演じるんでしょうか。

 本作について、作中にも登場する寺田さんがHPで感想を書いています。へぇ、と思うことも書かれていたので、読んでみても良いかもです。


班目さんの描かれ方が印象的。





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団地(2016年)

2016-06-17 | 【た】



 漢方薬局を営んでいた山下ヒナ子(藤山直美)と、清治(岸部一徳)の夫婦は、息子ナオヤをバイク事故でなくしたことをきっかけに店をたたみ、とある団地の一室302号室に引っ越してきた。

 清治は一日中、近所の森(?)に薬草収集に出掛け、ヒナ子はスーパーのレジ打ちのパートに出て、一見、平穏な日々を送っていた。

 4か月ほど経った頃、団地の住人達がある噂をし始める。「最近、山下さんの旦那さん、ゼンゼン姿見せないわね……」「おかしくない?」「もしかして……!?」「奥さんが!?」「うっそ~! やだぁ~!」

 果たして、コトの真相は……。
 


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 某全国紙で、主演の藤山直美さんのインタビューが載っていて、「演じている自分もどんな映画になるか分からなかった」と話していたのと、岸部一徳氏が割と好きなので、ちょっと興味をそそられ、劇場まで見に行ってまいりました。

 ===本作は、飽くまで予備知識なく見た方が絶対に楽しめると思いますので、ご覧になる予定の方は、ここから先はお読みにならない方が良いです。思いっ切りネタバレバレしておりますので、悪しからず===


◆斉藤工がなぁ、、、

 それでは、感想を。

 実は、見に行く前から懸念はしていたのです。本作の監督が阪本順治氏なので。と言っても、私が見た彼の監督作品は、多分2本(『闇の子供たち』『北のカナリアたち』)で、『亡国のイージス』はテレビでぼ~っと見ただけ。でも、どれも“良い映画だなー”と思えた作品はなく、特に『闇の子供たち』は、ちょっと制作者としての姿勢に疑問を覚えたものでした。なので、懸念していたのです。

 ……で。やはり、阪本作品、合わないのかも知れないなぁ、と改めて感じてしまいました。

 まずは冒頭、斉藤くん演じる真城さんが、深々とお辞儀をして、ご無沙汰ですと言うところを「ごぶがり(五分刈り)です」と挨拶する。、、、え゛……。もう、これで思いっきりドン引きしてしまいまして。その後も、なんかダジャレみたいな言い間違い連発してましたけれども衝撃過ぎて覚えていません。もちろん、彼が言い間違えるにはちゃんとした理由があるからなんだけれど。とにかくもう、、、サム過ぎ、イタ過ぎで、始まったばかりだというのに逃げ出したい気分に  実際、劇場内も空調効き過ぎで寒かったんですけど、サーッと全身に鳥肌が立つのが分かりました。

 まあ、おそらく斉藤くんの演技力にも若干難があったとは思うのですが、、、。他にも、例えば、姿勢良く椅子に座っていたかと思うと、突然貧血(?)で椅子から落っこちて、山下さんの漢方薬を飲んだらあっという間に治って元通りの姿勢で椅子に戻る、、、というシーンがあるんですが、ここでも、効果てきめんのことを「効果きしめん」と言ったりする、、、。こんな調子で、もう、最後までずっと、ダメでした、彼の出るシーンが。思いっきり興を削がれた感じです。

 はっきり言って、彼には、コメディはかなり厳しいのでは。真城さんがこういう不自然な言動をするのは、地球人ではないから、という設定のためであって、それは面白いし良いと思うのです。でも、いかんせん、肝心の斉藤くんが、、、。役者としてそういう突飛な役どころは不向きなように感じました。演技力やセンスも足りないとは思うけど、そもそも論として合っていないというか。雰囲気とかルックスとか。多分、堺雅人ならもっと笑えるように演じたでしょう。もの凄く重要な役どころなのに、最大のミスキャストだと思います。


◆コメディの生命線である“間”が悪い

 ストーリー的には面白い筋立てだし、後半の荒唐無稽なSF展開も、ゼンゼンOK。脚本もよく考えられていて面白いと思う。だけど、やはり演出が、、、。

 ダメ押しだったのが終盤です。山下夫妻と、石橋蓮司&大楠道代演じる行徳夫妻が、宇宙と地球上の異空間で会話するシーン。長いし、間延びするしで、もう思いっ切りツマラナイ。折角の芸達者たちなのに、どうしてこうも間の抜けたシーンになるのか、、、。もっとエッセンスを絞った会話にした方が良かったと思う。

 本作は、コメディの顔をした人情劇だと思うのですが、コメディ部分はいささか空回り気味な感じを受けました。

 でも、、、。劇場では、一部でかなり笑いが起きていて、私がドン引きしていたところで大ウケしていた人々もいたのです。そっかぁ、面白いんだ、こういうのが、、、と思いながらも、私の心は冷え行く一方。……ぴゅ~

 カラオケの妄想シーンから一転、ナオヤくんのヘルメットに画が変わり、ヒナ子さんの号泣、、、。と、印象に残るシーンもあるにはあったのですが、私には笑えるシーンは皆無でした。一人息子を、交通事故で突然亡くした山下夫妻の悲しみの深さが、コメディとのコントラストを構成していたと思うのですが、私にはコントラストはまるで感じられなかったのが致命的でした。

 藤山&阪本コンビで有名な『顔』は未見なので、そちらを見てみようかな。面白いとのもっぱらの評判だし。

 




藤山直美&岸部一徳の最強コンビも斉藤工の前に撃沈




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タイム・オブ・ザ・ウルフ(2003年)

2016-04-26 | 【た】



 天災か人災かは分からないけれど、何かが起きて、世界、、、少なくともヨーロッパ辺り一帯は終末を思わせる事態に陥っている。そんな中でサバイバルが始まっており、ある一家~夫婦と子ども2人~が、ありったけの食糧を抱えて別荘へ避難してくる。

 が、しかし、その別荘には見知らぬ親子が侵入し占拠しており、男が夫にライフルを向けている。夫は男と交渉しようとするが、男は問答無用でライフルをぶっ放し夫は死んでしまう。残された妻・アンナ(イザベル・ユペール)は、その親子に食料と車を奪われ、命からがら、娘エヴァ(アナイス・ドゥムースティエ)と息子ベニー(愛称ベン)を連れて逃げる。自転車を引きずりながら彷徨する母子3人、、、。

 『ピアニスト』以前の企画ながら資金不足で撮影できずにいたが、『ピアニスト』のヒットによりようやく制作が実現。311を経験した日本人にとっては衝撃の問題作。  
 
  
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 『マジカル・ガール』を見て、本物の不条理映画を見たいと思い、未見のハネケ作を見ることに。なんともはや、期待を裏切らぬ、いや、それ以上の映画でございました。こういう作品を撮る人と、マジカルなんちゃらの監督を同じ土俵で語られるのは、ハネケ好きとしてはやはりとっても心外。

 上記の作品情報のリンク先より、Wikiの方が詳しいので、内容の詳細についてはそちらをご覧ください。

 熊本で震災のあった折も折、アンナたち母子3人が行きついたあの駅舎のようなところは、まさに震災の度にテレビ画面に映し出される避難所の光景にそのまま当てはまります。もう、これだけで、平常心では見ていられない。

 ハネケは、本作を03年に撮っています。もちろん、それまでにも恐ろしい天災・人災は世界中のあちこちで起きていますけれども、あのような絶望感が充満した世界というのをシンプルに描き出してしまうというハネケの想像力が恐ろしいです。もしかして未来予知能力でもあるのか? と思ってしまうけれども、そうではなく、やはり彼の卓越した想像力なのでしょう。

 本作も、背景の説明は一切なく、いきなり話は展開します。しかし、展開されていく出来事の一つ一つは、不条理どころか理にかなったもので地続きです。突飛なエビソードのつぎはぎなどでは決してない。だからこそ、見ているうちに、少しずつ状況が分かって行くのだけれど、分かるほどに緊張感が増し、見ている者を精神的に追い詰める。

 、、、これぞ、見る者の脳をフル回転させ、その精神をギリギリと追い詰める、真の不条理映画なのでは。

 直截的な描写はほとんどないのです。夫が射殺されるシーンも、隣に立つイザベル・ユペール演じる妻・アンナの顔に血飛沫が飛ぶだけ。でも、不安感をかき立てる演出はこれでもか、とやってくれます。

 例えば、アンナとエヴァ、ベニーの3人が、途中、藁が積まれた納屋のような所で一夜を過ごすことになるのですが、ここのシーンが、まさにもう、真っ黒な暗闇なんです。画面全部隅から隅までベタの闇。これはコワい。そして、緊迫したエヴァの声、、、「ママ、起きて! ベンがいない!!」 そしてともされるアンナのライターの小さな灯。ボヤっと浮かぶアンナの顔。、、、暗闇はそれだけでも恐怖を煽るものですが、この、完全なる漆黒の闇というのは、自分のいる場所が分からない、自身の存在さえも疑わしくなる、足下が危うくなる恐ろしさです。

 母子3人は、ここではないどこか、、、希望のある地へ向かう列車が通ると言われる駅(?)に辿りつき、その駅舎にとりあえず落ち着きます。この駅舎には、最初は10人足らずの人しかいなかったのが、途中で大人数が押し寄せてきて、あっという間に避難民ひしめき合う避難所の様相を呈してしまう。そして、次第に、曲がりなりにも秩序が生まれ、統率する者が現れ、物々交換が成立し、人の思惑がぶつかり合う場所へと変貌していく。その過程が、実にサラリと鮮やかに描かれています。その巧みな描写に、ただただもう息をするのも忘れて緊張して見入ってしまう。

 この駅舎で、実に様々なことがあるのですが、それは、まんま人間の日常生活の縮図。平穏な時にも、どこにでも普通に起きていたことが起きている。盗み、レイプ、ケンカ、自慢話、音楽、笑い話、、、。違うのは、皆が生存競争という小さい檻の中に放り込まれているということ。逃げ場はどこにもない。そこで生存競争を勝ち抜いたとしても、一体どんな未来が待っているというのか、、、。

 そしてやはり、こういう終末状況で出てくるのが、謎の秘密結社、的な話。世界に36人しかいない“正義の団員”についてもっともらしく話している爺がいる。かつて、世界が危機に瀕したとき、その団員の1人が裸になって火に飛び込み生贄になることで世界を救った、、、という話。いかにも胡散臭い話だけれど、離れた所でベニーはジッとそれを聞いていた。

 もし、本作を、311の前に見ていたら、、、受け止め方が違っていたと思うけれど、もうあれを経験してしまった者としては、本作で描かれているこの絶望的状況は、まさに放射能汚染による地球破滅、という状況にしか見えません。

 家畜の牛が大量に焼かれている光景、ベンが時折流す鼻血、荒涼とした草原、汚染されている地下水、、、どれをとっても結びつけて見えてくる。

 そして、決定的だったのは、終盤の衝撃的なシーンです。10歳に満たないであろう少年ベンは、恐らく、父親を殺されたことで精神的にとてつもない衝撃を受けたと思われ、本作でもほとんど喋らず心を閉ざしていますが、時折り姿をくらまし、彼がこの状況に絶望という言葉でさえも軽く感じるほどの絶望を胸に抱いていることが伝わってきます。

 夜中、皆が眠っている中、ベンは一人目を見開いたまま、大量の鼻血を流している。拭っても止まることなく出てくる鼻血。、、、ベンは起き上がって外に出てくると、焚火の側へ行き、火を大きく起こすと、服を脱ぎ始めます。大量の鼻血を流しながら。裸になったベンは、焚火を見つめている。

 正直、このシーンは、見ていて苦しくなりました。もう、ひたすら苦しい。息ができない、窒息しそうな感じでした。ここで泣けた、という感想をいくつか見ましたが、私は、涙が出る余裕もなかった。もう、ヒリヒリするような、胸がギリギリする感じです。

 ベンは、夜回りをしている男性に、その行動を阻止され抱きしめられますが、ホッとするというより、私は放心してしまいました。

 ラストは、車窓から見た風景が延々約2分間。暗い森から、スーッと明るい開けた場所に出ます。近くの木々は飛ぶように流れて行きますが、遠景の小高い丘や森はゆっくりと左から右へと移動していきます。、、、果たしてこのラストを救いと見るか、妄想と見るか。

 私は、救いだと思いたい。ベンの行動が救ったのだかどうかは分からない。でも、何か、奇跡的な何かが起きて、ここではないどこかに向かう列車に、彼らは乗れたのだ、、、と。

 こんな寓話をハネケが描くだろうか、と思うけれども、ハネケが「ヒューマニズムなき芸術は存在しない。ヒューマニズムが芸術家の存在理由であり、意思の疎通こそ人間的で、それを拒むのはテロリストである」と特典映像のインタビューで言っていることからも、そうだと考えたい。ハネケのいうヒューマニズムは、人間至上主義的なそれではなく、恐らく、理性に基づく人間性尊重・礼賛、というようなものだと私は思う。であれば、やはりあの車窓から見る流れる光景は、アンナたち母子が見たものと思いたい。

 、、、ところで、本作は何気に豪華キャストです。イザベル・ユペールはいまさら言うこともないのですが、娘エヴァを演じていたのがアナイス・ドゥムースティエで、感激しました。彼女は『彼は秘密の女ともだち』で初めて知った女優さんだったのですが、とてもクレバーな女優さんだと感じていました。本作を見て、それを確信しました。この不条理極まる作品で、彼女はやはり素晴らしい演技をしています。もちろん、ハネケの演出が良いからでしょうが、それに応える能力のある俳優だということです。エヴァが、駅舎で亡き父に手紙を綴るシーンが良いです。ベンを演じた少年もとても可愛く、本作はこの2人に負うところ大と言って良いでしょう。

 不条理映画、余白を敢えてつくる映画、見る者に考えさせる映画とは、こういう映画を言うのだよ、カルロス・ベルムトさん。









やっぱり、ハネケが好きだー!




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誰でもない女(2012年)

2016-01-15 | 【た】



 以下、リンク先のあらすじのコピペです。

 第二次世界大戦時に企てられたナチスの人口増加計画、その負の遺産を継いだ東ドイツの秘密警察、ノルウェーの女性の悲劇をテーマに、繰り返されるフラッシュバックや謎の人物の登場など、目まぐるしい展開で綴られるサスペンス。監督はこれが長編第2作目となるゲオルク・マース。アカデミー賞外国語映画賞ドイツ代表作品。

 カトリーネは、ノルウェー占領中のドイツ兵を父、ノルウェー女性を母として、第二次大戦中に生まれた。出生後は母親と引き離され、旧東ドイツの施設で育っていたが、成人後に命がけで亡命、母との再会を果たした後はノルウェーで母や夫、子供たちと共に暮らしていた。1990年にベルリンの壁が崩壊すると、カトリーネの元にスヴェンという弁護士が訪ねてくる。戦後にドイツ兵の子を出産した女性への迫害について、その訴訟における証人が欲しいというのだ。頑なに拒否したカトリーネはドイツに渡るのだが…。

=====コピペここまで。

 何気なく録画しておいたものが、思いもしない素晴らしい作品でした。衝撃、、、。残念なのはこの邦題。


 
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 またまたナチものです。なんだかんだ言っても、ヨーロッパ映画にはナチものがすごく多いですね。本作は、2012年制作だから、4年前の作品ですか、、、。

 さて、ナチスのレーベンスボルン(生命の泉)という単語は聞いたことありますが、内容はよく知りませんでした。日本の戦時下の“産めよ増やせよ”と同じようなものかという程度の認識でしたが、これがトンデモない大間違いだったことが分かり、衝撃的でした。本作の背景には、このレーベンスボルンにより数多引き起こされた悲劇がずしりと横たわっております。

 ノルウェーは、より純粋アーリア系というナチスの認識の下、SSは隊員とノルウェー人女性との間に積極的に子づくりをさせ、ノルウェーにもレーベンスボルンの施設を作って、そこでSSの子らを育てたわけですが、終戦とともにもちろんそれらは解体されただけでなく、ノルウェー政府によって、残されたノルウェー人女性たちは逮捕され、その子たちの多くは精神病院送りにされたという、、、。弁護士のスヴェンは、この時の政府の対応を糾弾しようとしていた様です。

 ただ、本作のカトリネ(字幕ではカトリーネではなくカトリネだったので、以下はカトリネで表記します)は、母親のオーゼがカトリネを出産後すぐに養子に出したため、戦後旧東独に連れ去られます。

 (ここから大いなるネタバレになりますのでご注意を)

 とはいえ、本作のカトリネですが、実はあらすじにある身の上話は別人のもので、彼女の本名はヴェラといい、旧東独の秘密警察、つまりシュタージのスパイだったのです。スパイとして、実在のカトリネの人生を乗っ取ったわけです。ヴェラ自身、東独で両親とは戦争による爆撃により死別し孤児院で育っており、孤児たちはシュタージに多くがスカウトされたようです。ヴェラもその一人だったということです。

 そして、旧東独は、スパイ活動の一環としてノルウェーの民家にスパイを潜入させたとか、、、。こわっ! しかも、レーベンスボルンで育った子どもを母親に返す、という名目で送り込まれた子もいたということで、ヴェラは、カトリネになりすまし、オーゼの前に「私があなたの娘、カトリネよ」と言って堂々と名乗り出たわけです。オーゼが信じ込むのもムリはありません。

 そして、カトリネになったヴェラは、潜り込んだノルウェー海軍で出会った男性と職場結婚し、娘にも恵まれ、オーゼとも良好な関係にあり、幸せな家庭を築きます。こうして、彼女のカトリネとしての人生を恐らく20年以上を積み上げてきたところから物語は始まります。

 要は、弁護士のスヴェンが、訴訟を進める過程でカトリネを名乗るヴェラの過去に不審を抱き、ヴェラの過去を明らかにしていくというのが、本作の筋立て。

 確かに、ヴェラのしたことは犯罪ですが、ヴェラ自身も戦争の被害者であり、旧東独という国家に翻弄された身です。すでに現実に夫と娘との家庭を築き、幸せな実人生を送って長い時間を経ている今になって、過去を暴き立てようというスヴェンが、私はヒジョーに憎たらしいと思いました。一体、アンタは何の権利があって人の人生をズタズタにするのさ、と胸ぐらを掴んで締め上げてやりたくなります。

 でもまあ、スヴェンにしてみれば、職業柄の正義感から、ヴェラのしたことが見逃せない、ってことでしょう。実際のカトリネは、不幸な亡くなり方をしており、それにはもちろんヴェラも絡んでいますし。

 しかし、それでもやっぱり、私はスヴェンの行為がムカツくのです。正義、ってのはね、もろ刃の剣なんですよ。正義を大上段に構える人間は、胡散臭いです。とにかくやり方が汚いんですよ。嫌がるヴェラを無理やり法廷の証言台に立たせたり、現在のカトリネがヴェラだという明らかな証拠をヴェラ自身ではなく、娘に見せたり。凄くイヤらしい。正義を通すのなら、現状を考えて、まずヴェラ自身と直接対決すべきでは。何でもそうだけど、私は、こういう外堀を埋めるタイプの人間は大っ嫌いです。

 スヴェンのしたことで、ヴェラの家族は崩壊、オーゼも放心状態となります。いくら真実だからと言って、こんな事態を引き起こす権利が彼にあったと言えるでしょうか。

 ラストは、衝撃的というか、予感したとおりというか。とにかく、最悪のバッドエンドです。と言って、鑑賞後感が悪いわけではありませんが、もの凄く胸が苦しくなるラストです。

 ヴェラの夫がすごくイイ男なんです。ヴェラに全てを打ち明けられた後、怒りと衝撃で呆然となって海を見ていると、そこへ同じく全てを知った娘が来て言います。「憤りを感じない?」……するとこの夫は、当然憤りを強く感じているのだけれど、こう返します。「それでも君の母親だ」と。、、、泣けました。夫としては怒りを感じても、父親としてはやはりこれが本音でしょう。すごくジーンときました。

 この夫は、序盤でも、娘にイイこと言うんです。娘(どうやら未婚の母らしい)が「もうダメ、何もかもうまく行かない。カオスだ」と言って頭を抱えるんですが、そんな娘に対し「うまくやろうとするな」と言うんです。そしてこうも。「今の君に必要なのは恋人だ」とね。こんなこと言える親、世界で多分10人くらいしかいない(根拠はありません)と思いますよ。素晴らしいキャパの広さです。ヴェラは男を見る目はあったのですね。

 あと、過去のシーンが随所に挟まれるんですが、ここでヴェラの若い頃を演じている女優さんが、現在のヴェラを演じるユリアーネ・ケーラーにそっくりで、最初、私は本人が若いメイクをして演じているのだと思ったほどです。過去のシーンは、ちょっと画像を敢えて荒くした感じにしているので、余計にそう思いました。

 冒頭から緊迫感全開で息つく暇もない逸品です。見終わった後、もう一度見ると、色々と合点が行き、納得できます。私も、都合2回見ました。そして、また見たいと思います。なので、DVDに保存しました。こういう地味だけど、思いがけない掘り出し物に会うから、映画ってやめられないのよぉ、、、。





果たしてカトリネとしてのヴェラの人生は偽りだったのか、、、。




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ダリオ・アルジェントのドラキュラ(2012年)

2015-10-30 | 【た】



 ご存じ、あの「ドラキュラ」を、あのダリオ・アルジェントが撮った作品。ドラキュラ公を演じるのは、あの、トーマス・クレッチマン。

 ある意味、期待にたがわぬ作品。

 
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 ヴァンパイアものも4本目となりました。本作は、一昨年だったと思いますが、確かレイトショー限定で公開されていました。かなり見に行きたいとウズウズしていたんだけれど、なにせレイトショー、、、終了時刻が日が変わる直前、ってんで見に行く根性がありませんでした。DVDになってようやく鑑賞できることに!

 いや~、正直、参りました。これで、私のヴァンパイアものに対する認識(というほどのものでもないけど)は決定的となりました。はい、それはつまりこーゆーことです。

 ヴァンパイア映画≒バカっぽい

 お好きな方、ごめんなさい。4本だけで決め付けるな、とお叱りを受けそうですが、、、。そしてこれだけは言っておきたいのですが、バカっぽいからダメとか、唾棄すべきものとか、そういうことではもちろんありません。

 でも、もうこれは拭い難いものとなってしまいそうです。1本目『美しき獣』しかり、2本目『吸血鬼』しかり、3本目『ドラキュラ』しかり、そして本作。全てに感じたこととして共通するキーワード、それは「バカっぽい」なのです。

 本作は、もちろん、アルジェントがそれをある程度狙って作ったものだと思います。でなきゃ、あんなわざとらしいペンキみたいな血とか、不必要にエグい殺し方とか、女性の無駄脱ぎとか、稚拙すぎるCGとか、グダグダなストーリーとか、あり得ないと思うんで。だから、きっと、彼もバカっぽさを承知でこういう作品にしたのでしょう。

 ということは、本作は、もしかしてコメディとして見るべきなのか・・・? という疑問も持ちました。少なくともホラーとは言い難い。だって、怖くないもの。私、グロいの基本的には苦手なんですけど、本作はもう“作り物感満載”なんで、ほとんど抵抗なく見れちゃいました。そう、わざとらしいのですよ、全てが。そして、このわざとらしさも、4作全てに共通するものでした。

 ホラーのキャラとして代表的なモノだと、ゾンビでしょうか。ゾンビだって作り物なのに、ドラキュラほどバカっぽさを感じないし、いやそれどころかリアリティさえ感じる。おまけにかなり怖い。同じ“あり得ない”ものなのに、どうしてこうも違うのか。そもそも、映画史上においてはドラキュラなんてゾンビの祖先みたいなもんなわけで。なのに、どうして、、子孫は怖いのに、ご先祖様はバカっぽいのかしらん・・・?

 まあ、でも、ポランスキーもアルジェントも、初めから“三の線”狙いだったんだと思うので、この2作品はバカっぽいのは計算されたものなのだと思えば、それは納得です。でも、『美しき獣』のカサヴェテス娘や、コッポラは、恐らくはマジメに作ったという感じがするのです。それもかなりの気合の入れようで。それでも、バカっぽくなるのは、やはり、このドラキュラの持つ性質にあるのかも。

 ゾンビはもう、人格なんかなくて、会話もないし、ただ、わ~~っって襲ってくるだけ。ゾンビは十把一絡げで個々の性格付けなんてされないので、まあ、例えが悪いかもだけど、ホオジロザメのジョーズとあんまし変わらない。でも、ヴァンパイアには人格があって、キャラが形成される時点で、どうしてもファンタジー要素が入ってしまって、、、。ホラーとファンタジーは相性悪いんですかねぇ。

 化け物でキャラがあると言って思いつくのは、あのフランケンシュタインの化け物ですが、フランケンシュタインも何度か映像化されています(ちゃんと見たのはデ・ニーロのだけですが)が、やっぱりどこかこう、、、ドラキュラほどじゃないけど、滑稽さってあるのですよね。

 思えば、ドラキュラも、フランケンシュタインも、古典文学です。やはり、こういう、妄想上の存在は、映像化するとチープになるのを避けられない、ということかも知れません。文字で読んで、読者の想像の中で物語が展開する分には恐怖も感動も味わえるのですが、それを視覚でバッチリ見せられると、、、。邦画でも妖怪ものとか、笑っちゃうのがほとんどですもんね。

 そうはいっても、やはり、映画としてのドラキュラの金字塔作品が是非出現してもらいたいものです。怖くなくてもいいから、ゾッとさせられたい、いろんな意味で。

 ドラキュラ公を演じたトーマス・クレッチマンは、でも、すごい頑張っていました。ゲイリー・オールドマンより美しいしカッコ良くて、ビジュアルは本作の方がかなり良いかも。ヴァン・ヘルシングもアンソニー・ホプキンスより、本作のルトガー・ハウアーの方が合っている気がします。ちょっとオシム監督に似ている? なかなか素敵です。出番が少なくて、あっさりドラキュラ退治しちゃったのが残念でしたが。

 ミナを演じたマルタ・ガスティーニは美しくてなかなか。ルーシーは、アルジェントの娘さんアーシア・アルジェントが演じておられます。ちょっとお父さんに似ているかな・・・。必然性のない全裸シーンあり。

 






ドラキュラ公は美しい方が良い。




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ダブリンの時計職人(2010年)

2014-05-02 | 【た】

★★★★★★★★☆☆

 アイルランドに、一度は行ってみたいと思っているが、なかなか実現しそうにないなぁ。そもそも、何でアイルランドに興味を持ったのか、それさえよく思い出せない。多分、きっかけは『フィオナの海』だと思う。そこで興味を持ったところへ、愛するダニエル・デイ=ルイスがアイルランドにまつわる作品に立て続けに出演していたので、行ってみたくなってしまったという感じ・・・。

 とはいえ、アイルランドのことは、まだまだ勉強不足で、ほとんどよく知らない、と言った方が良いレベル。ジョイスの「ダブリナーズ」は一応読んだけれども、イマイチ、ピンと来なかったし。司馬遼太郎の「街道をゆく 愛蘭土紀行」はそれなりに面白かったけれども、内容はかなり忘れている・・・。

 本作も、ダブリンが舞台の物語であることで、興味をひかれて見に行ってみた次第。

 まず、良くないことから先に書いてしまおう。この邦題である・・・。主人公のフレッドは、時計「も」直せる技術を持っているが、失業前はロンドンで職を転々としていた、と自分で言っており、決して時計職人という設定ではない気がする。原題も『Parked』であり、こっちは作品を端的に表したタイトルである。そう、この邦題はダメでしょう。

 と、言ってはみたものの、本作は、なかなかの逸品だと思う。展開や、人物の配置は割とベタなところもあるのだが、人物描写が丁寧で、登場人物それぞれに共感できる。それぞれの立場になって見てしまえるという、素晴らしい脚本。

 一番グッと来たのは、棺に入れられたカハルのために、フレッドが自作の詩を読むシーン。カハルの生前読み聞かせた前半に続く、「いつか読むよ」といった後半には、希望の言葉が連なっていたのだが、それをカハルの亡骸に向かって読まなければならないという哀しさ。生前に読んでいてもカハルの運命は変わらなかったかもしれないけれど、変わったかもしれない。でも、カハルはもうこの世にいないのである。

 本作は、優しいね。制作者たちが、登場人物それぞれを愛しているのが伝わってくる。だから、ベタでもベタさを感じない。哀しい結末だけど、心に沁みる。

 しかし、ものすごく考えさせられたことも一つある。ボロボロになった放蕩息子カハルが金の無心に帰ってくるのだが、カハルとのあれこれに疲れ切った父親は、カハルの先行きを予感しつつも、突っぱねるのである。私が父親だったらどうするだろうか・・・。このまま返したら、この子は、とんでもないところまで堕ちるのではないか、いや、間違いなく堕ちるだろう、と分かっていて、突っぱねられるだろうか。今も答えは出ていないけれども。子ども、いえ、一人の人間を育てるって、想像を絶する難行なのだと、改めて思うのである。
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ダーリング(1966年)

2014-04-29 | 【た】

★★★★★★☆☆☆☆

 幸せのハードルが高い人、もっと言っちゃえば、幸せ感度の鈍い人、とも言えるけど、そういう人は、十分恵まれた状況にありながら、足りないところばかりを探して自らを不幸に導くために、いつまでたっても、どこまで行っても幸せを実感することができない、そこれこ正真正銘の不幸者と言える。

 オトコ遍歴を重ねてのし上がっていく女性、というのを描く場合、上記のような女性像として描かれがちかと思うけれども、本作の主人公ダイアナは、ちょっと違うと思う。彼女も確かに、ちょっと幸せ感度の鈍い部分はあるんだけれども、どちらかというと、目先の快楽に弱いだけの、もっと言っちゃえば「頭の悪い女」なだけのような気がするのだ。

 見る人によっては受け止め方が変わるかもだけど、ダイアナには打算的なものが感じられない。幼いころからちやほやされて育ったためか、ひねくれていないのである。その時その時で、自分の気の向くままに行動してしまう。先のことなど考えない。寂しいときに構ってくれる男が誘えば、着いて行っちゃう。王子様にプロポーズされて断っても、本命男に邪険にされたら、やっぱりあなたと結婚すると言ってあっさり戻っちゃう。

 なので、あんまり嫌らしさを感じることなく、あらあら・・・、ってな感じで見ていられて気楽なもんである。最終的には公国の王女様で何不自由なく愛されて暮らすという、めでたしめでたしなエンディングで、よござんした。ただ、魅力的な女性とは、到底言えないけれど。ひたすら流されて生きている女性って、むしろイタい。王子様に見初められたからおとぎ話で終われたけれど、とんでもない詐欺師とかだったら、サイアクだよ、マジで。

 というわけで、ストーリー的にはイマイチだけれども、本作にはそのほかに見どころが結構あると思う。まず、ダイアナを演じたジュリー・クリスティ。絶世の美女、というわけじゃないけれども、魅力的な美しい女性。ちょっとバカっぽいところを上手に演じており、素晴らしい。そして、不倫相手のロバートを演じるダーク・ボガード。正直、あんまし好きな俳優さんじゃないんだが、本作では、くたびれた、でも渋い魅力の残っている中年オヤジを見事に演じており、この2人の魅力で本作はかなり評価がかさ上げされたのではなかろうか。

 そして、何よりイイのは、オープニング。かなりステキである。ジュリー・クリスティの出演作、他にも見てみようかな。
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